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2024年夏。家族全員震えながら渡英してきた

2024年7月。会社の研修プログラムに参加するために、1週間渡英してきた。いまだに7月の記憶の中を漂っているのか、と言いいたくもなるお気持ちをお察しするが、続ける。
国内で2−3泊程度の出張ならまだしも、1週間も(しかも行き先は海外!)家を空けるのは出産してから初めてのこと。夫も、子どもも、わたしも、もはや未知の領域。しかもこのプログラム参加が確定したのも、フライトの約1ヶ月前。弊社、相変わらずラストミニッツ過ぎる。夫も、子どもも、わたしも、ちゃんと思考する間もなく、あっという間に当日を迎えた。

出張前夜の冷蔵庫。数少ない得意料理の中から頭を捻って捻って作り置きをした。

そもそも、この研修プログラムへの参加は、珍しく挙手・応募制だった。ぷっちゃへんずあーっぷ!いぇ!いぇ!と、わたしの脳内ではどこかのDJもどきがWOWOWしている謎のシーンしか再生されず、そもそも家のこともあるし身分不相応だしわたしが選ばれる訳もないしと「やらない」理由を、誰にも求められてないのに並べていた。
そんな中、会社の先輩に「一度考えてみたら?」と声をかけてもらい、やっとこさ無関心のフリをしていた自分に関心を向けてみた。そこから熟考すること3日間。夫にも子どもにも相談なく、応募締め切りの数時間前に、わたしは応募画面にあるSUBMITボタンをえいやと押した。

世界情勢の都合でフライトは片道14時間。飛行機苦手人間のわたしはずっと武者震いしていた。

そしてフライトの1ヶ月前。コングラッチュエイション!英国行ってきな!メールを貰った。震えた。色んな理由で震えた。とにかく早くフライトの予約しなくっちゃ旅程立てなくっちゃ、と、とにかく早く夫と子どもに報告しなくっちゃ、と。1週間不在になることを聞き、夫も子どもも身震いが止まらなかったご様子。背に腹は代えられぬ、ばぁばに初めてサポートを乞う電話をした。

ばぁばへの感謝の気持ちを表すべく、お土産をたくさん買い込んだ二日目の夜。

研修プログラムそのものは、とても有意義だった。知的好奇心をこちょこちょくすぐられ、時差ボケもあるはずなのに居眠りすることもなく、時間が過ぎ去る。低い英語能力しか持ち合わせていないわたし(この点でもなぜ選ばれたのか謎)は、話の主旨を見失わないことに必死で、波のように押し寄せる情報を取りこぼさないように必死にメモを取った(多分こういうクソ真面目さで選ばれたんだと推測)。

研修 + カウンターパートとの会議 + 延泊してロンドン観光を含めた1週間の出張、始まってみればあっという間に終わってしまった。でも、写真を見れば直ぐに、わたしの心はあの貴重な時間に舞い戻ることができる。
ということで、れっつ!ふらい・とぅ・まい・めもり〜(如何に英語が拙いか露呈中)。

プログラムの後、カウンターパートとの会議のために訪れたLedburyという街。観光客なぞほぼ来ないという超絶ローカルタウン。

16世紀の建造物を活用したホテル。当然エレベーターなんてなくて重たいキャリーケースを3階まで運んだ。腰が吹っ飛んだ。
色のコントラストがかわいい街。
か、かわいい、、撮りたい、、とモジモジしていたら飼い主のおじいちゃまが「Why don’t you!」と言ってくれた。
「初めて日本人に会いました」と言われた。末永く。お元気で。
Mandatory things to do in UK.
我が子と約束した「現地の電車を写真におさめてくること」を達成。
GWRは「ひたちせいさくじょ製なんだよ!」って我が子に教えてもらった。大正解だった。

ご飯問題は杞憂に終わった。何もかもが美味しかった。

米騒動とは無縁の世界でした。
ベネディクトの断面。美しい。
ところで、「ベネディクト」とは。
ピザはキッチンバサミでジョキジョキ行くタイプだった。これ以降、我が家でもこれ式を導入している。大変に便利。
野晒しのスイーツ。勝手に京都のおばんざい屋さんを彷彿とさせた。

ロンドンのランドマークにも行ってきた。どこに行ってもスクランブル交差点の中に居るのかってくらい、人人人人!田舎街に戻りとうございました。

イギリス人の上司に見せたら「あー、懐かしい。この曇天」と言われた。えっ。背景。。
リバティロンドン。パッチワークがライフワークだった祖母に見せたかった。
どこの国へ行っても、「推し」はあるのね。
楽勝でしょ!と階段を選んだけど、エレベーターにしたら良かった、、と大後悔。最終日も、腰が吹っ飛んだ。

なーーーーんにも事件は起きなかった英国滞在。
得るものが多かった英国滞在。ありがとう弊社。ありがとう家族。大きくなって母は舞い戻って参りました。