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#30『ディア・ベイビー』サロヤン

 またまたサロヤンである。この三か月くらいで『人間喜劇』『リトルチルドレン』そしてこの『ディア・ベイビー』と、三冊も読んだことになる。そんなに好きなのか?別にそんなに好きじゃない。しかし苦労なく読めるのが良い。基本的に優しい。興奮させられたり、苛々かっかさせられたりしないのも良い。小難しくなく、文章は透き通っていて、硬質ではないが無駄もない。何と言うか、「馴染む」という感じがするのである。
 この本も、さらさらとお茶漬けのように味わった。ただしそんなに面白い訳ではない。とても良い作品集、とは思わない。画家のラフスケッチや走り書きを見たような感じだろうか。あくまでも小品であり、小品はつまらないなんてことではないのだけれど、充分に発酵していないパン、みたいな感じ。「あ、そう」という感じで、次々読み終わってしまう掌編集。
 私が過去に読んできた感じだと、サロヤンは子供をよく書く。子供の善良で将来性に満ちた部分、誠実で勤勉で、未完成な部分。それを大人がよく接してあげて導いてあげる。そのやり取りは優しさに満ちていてまさに「古き良き」時代を思わせる。この話の通りなのだとしたら「その頃のアメリカっていいな」と素直に思う。
 しかしこの本では子供も出てくるが、主人公には大人が多い。古き良き時代の、弱き人々が描かれる率が高い。サロヤン自身が移民の子なので、基本的に成功者は書かない。彼の物語にそういう人たちは必要とされていない。『リトルチルドレン』や『人間喜劇』において、古き良き、貧しくとも心清き時代の子供たちは、無限の生命力と感受性を備えて描かれている。「どんな時代にあっても子供は…」という眩しいものを見るような気持にさせてくれる。しかしそんな彼らもいつか大人になる。大人になる前に、場合によっては非常にこんがらがった思春期も通過する。そこで卑怯者になったり自殺を願ったり、訳の分からん思考の迷宮に入り込んだり、他人を利用したりもする。『ディア・ベイビー』ではそういう部分が多く書かれていて、明るく愉快で面白い話もいくつかあるけれど、歪なものを見ている時の特有の暗い気持ちに誘われることが多かった。
 作品の傾向は無論色々あって良いのだけれど、サロヤンという人は、人間の暗さやどうしようもなさを充分よく知った上で、それを素朴で毒のない物語にまで蒸留昇華するのが、最もふさわしい芸風なのではないかなという気がする。その意味で、この本は「素材集」か、または先に述べたように、発酵の足りないパン、というような気がする。話の筋自体も面白味に欠けるものが多かった。
 自分用メモとして面白かったもの:
「冬を越したハチドリ」「羊飼いの娘」「ハリー」

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