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山梨クィーンビーズ 若原愛美選手引退。誰よりも悔しがりで、泣き虫で、バスケが大好きな選手!

この日が来ることはなんとなく分かっていた。
それでも実際、この日が来ると、なんかショックで…。
山梨クィーンビーズ 若原愛美選手引退。

2019年、東京医療保健大学のキャプテンだった若原愛美選手が、山梨クィーンビーズに来るということを知って、本当に嬉しかったのを覚えています。
当時のスタッフとのおしゃべりで、「可能性は未知数だから」と言われ、
あまり期待しすぎてプレッシャーを与え過ぎちゃいけないなーと思いつつも、期待していたのを覚えています。

試合に出るなり、ビックリしたのが、新人にも関わらず、自分の所にボールきたら迷わずシュートを打つ!とにかくあいたら打つ!という度胸のある選手で驚きました。


実は大学時代の過去の動画を見ていた印象では、シュートを打つというよりは、影の存在に回り、つなぎ役的な存在だったからです。もしかしてプロの世界に行ったら、積極的に点を取るぞと心境の変化があったのかもしれません。その辺は分かりませんが。。。

桜花学園、東京医療保健大学とある意味、バスケのエリートコースを進んできた若原選手。誰よりも負けず嫌いで、誰よりもストイックで誰よりもバスケが好きだったような気がします。

コロナ禍でバスケの練習ができないときも夏の暑い日、一人、河原でトレーニングしている姿には関心しました。20-21シーズン、特別な東西リーグに分かれての戦いで、リーグ終了後の報告会で、当時キャプテンだった水野菜穂選手が1勝しかできなかったことを報告し、思わず涙してしまった。その時に、若原選手も同時に泣いてしまったのを今でも覚えています。

2021年だったシャンソンに大差で負けた時、チーム的には「しょうがないね」って感じだった中、ひとり悔し泣きする若原選手に心を打たれました。
皇后杯で紀陽銀行に負けた時も、1人33得点を取り、奮闘するも負けてしまい、涙していました。

これまで勝てるチームにいた若原選手は、山梨クィーンビーズにきて、勝てない経験をして、それは悔しい日々だったと思います。ファンとしてはもっと応援して涙する回数を減らしたかった。それができなかったのが心残りでした。
ただ2023年、アーリーの選手が納得いくプレイができずに涙している所に寄り添っていた若原選手を見た時には成長したなぁっと実感しました。

思い出を書き出すとキリがないので、この位にしておきますが、やはり心の支えだった水野選手、岡選手が移籍したのはメンタル的にも大きかったのかなと思います。ただ1つだけ絶対に言えることは、若原選手はバスケが大好きだということ。

僕はランさんがコートに入ったり、ボールを持つと、なぜか頭の中で、渡辺美里さんの『My Revolution』が流れます。
自分自身で革命が起こせる選手なんです。

この後、どういう進路に進むか分かりませんが、あと何年後になるか分かりませんが、どこかのアシスタントコーチ、ヘッドコーチとして、コートに立っていることを願っています。
だってこんなにバスケが好きな子がバスケから離れたらもったいない。
だってこんなに悔しがりで、泣き虫で純粋な気持ちを持った選手がバスケから離れたらもったいない。

勝っても負けてもコートで大泣きしている若原選手が見られることを夢見て。今まで青春ありがとう。

『My Revolution』(一部抜粋)

さよなら Sweet Pain
頬づえついていた夜は 昨日で終わるよ 確かめたい
君に逢えた意味を 暗闇の中 目を開いて


きっと本当の 悲しみなんて
自分ひとりで癒すものさ

※わかり始めた My Revolution
明日を乱すことさ
誰かに伝えたいよ
My Tears My Dreams 今すぐ

夢を追いかけるなら たやすく泣いちゃダメさ
君が教えてくれた
My Fears My Dreams 走り出せる※

感じて Heart Ache
笑顔が多いほど ひとりの夜がツライね わけあいたい
~~
求めていたい My Revolution
明日を変えることさ
誰かに伝えたいよ
My Tears My Dreams 今すぐ

自分だけの生き方 誰にも決められない
君と見つめていたい
My Fears My Dreams 抱きしめたい

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