追求のおしゃれ番長(女児)

さて……昨日は着せ替えゲームの話を書くと言ったな。

この記事を読むにあたって読者の方には一つ覚悟をしてもらわねばなるまい。

この話はクソ長くなる、ということを。

というのも自分は人生で着せ替えゲームに触れていない期間が存在しないのではないかというくらい着せ替えゲーム狂いなため、思い出話を交えて……というか思い出話メインの記事になることが予想されるからだ。なのでまあ、気長にお付き合いいただければ幸いだ。

そういえば見出し機能、クソデカ文字としてしか使ったことないな。今回は長くなりそうだし使ってみるか。

着せ替えゲームの魅力

とりあえず着せ替えゲームにここまで魅せられるワケの話をしておこう。

まず、自分は私服がそんなにオシャレって程ではない。奔放に好きな服を着る方ではある。クソダサTシャツは好きだし半ズボンも好きだしドライ生地の服で普通に出かけたりする。中学の時は数少ない友達って程でもないクラスメイトに「あんまり一緒に歩きたくない」と言われた。うるせぇなぁ。

そして自分の容姿についても、これまたそこまで評価は高くない。
体型をどうにかこうにかする努力というのも人生であまりしたことがないし、化粧も未だによく知らない。というか興味がない。
まあその方面への努力に興味が無いのに自己評価が高いというのもおかしな話なので道理ではある。
そしてその感覚は、化粧やら体型やらを気にするより前の年齢でも共通していた。どうやら生来のものらしい。

とはいえ、興味が無いのは自分への評価だけ。自分にも綺麗なものや可愛いもの、かっこいいもの等ビジュアルに好感を持つような思考は持ち合わせている。

じゃあ、着替えるのが自分でなければ。

明らかに顔のいい人間が、色んな服を着ているのが見たい。

そういう気持ちを持つことは、なんの不思議もないと思う。
そんなワケで、ある意味必然的に着せ替えゲームにハマったわけである。

幼稚園生〜小学校低学年

幼稚園生時代

でもさ、この時期に着せ替え遊びにハマらない女児居なくない?(過言)
着せ替えシールで遊んだり、拙いながら女の子が色んな服を着ている絵を描いたり、誰もが通った道を自分もまた通過した。
もちろん、ラブandベリーもやっていた。ムシキングと二足のわらじだったが。

ちなみにムシキングの方が先に始めたためラブandベリーのカードはあまり持っておらず、ショッピングモールの筐体の前でオロオロしていたら、同年代と思しき先輩幼女が色やら属性やらを手取り足取り教えてくれた上に分厚いバインダーを広げてダブっているカードをくれた。
あの日の先輩幼女が居なければ着せ替えゲームへの感情はまた違っていたのかもしれない。楽しさを教えてくれてありがとう、先輩幼女。

小学校低学年

自分は小学校へ上がると同時に引越し、新宿へ降り立った。
そしてラブandベリーの筐体は「ゲームセンターに置いてあるもの」へと認識が変化した。とはいえそんなに気軽にゲームセンターに連れて行ってもらえるわけもなかったのだが、持ち合わせているカードでプレイを継続できる手段だけはあった。

そう、「オシャレ魔女♥ラブandベリー 〜DSコレクション〜」である。
GBAスロットにカードリーダーを装着し、所持しているカードはもちろん仮想カードでオリジナルカラーの服がデザインできるという大盤振る舞い。ハマらないわけがなかった。流石都会、同級生も結構な割合でDSを所持していたので通信して遊んでいた。ムシキングの方はポケモンがあったのであまり盛んにならなかったけど……

あとはアナログな話もしておくと、
①予め番号に髪型や服装を割り振っておく
②サイコロを振る
③その目に割り振られた特徴を持つ女の子を描く
みたいな遊びが割と盛んだった。TRPGのキャラシ作ってるみてぇだ……
オリジナルキャラクターを作る、という概念自体が流行っていたので、自分が創作好きになったのはこの辺が源流な気がしなくもない。

そうそう、どうぶつの森のマイデザイン機能の話も外せないだろう。当時はまだそれほど詳細なマイデザインは作成できなかったものの、ラブandベリーDSでもあった「オリジナルの服を作って着られる」という機能はひどく魅力的だった。
親に頼み込んでブックオフにあった攻略本を買ってもらい、そこに載っているマイデザインを作ってみたり、応用したりして多くの服を作り上げていた。とはいえドット絵は小学校に上がったばかりの子供には中々扱いが難しく、一着作るのにかなりの時間を要していたが……。

小学校中学年〜中学生

小学校中〜高学年

突然だが自分の生まれ年の話をしよう。
平成12年生まれ(早生まれ)、学年的には平成11年度生まれである。
西暦下2桁がそのまま年齢となり、非常に計算がしやすい。

さて、なぜこの話をしたのか。

3年生にあたる年、つまり2008年と2009年に何があったのか分かれば、自ずと理解いただけるはずだ。

まずは2008年10月23日。

「わがままファッション ガールズモード」の、発売日である。
やった事ない人も大体どんなゲームかはご存知かと思う。着せ替えゲームといえば、でイメージする方も多いのではないだろうか。

それはそれはもう、革命的だった。

髪型からメイクから、見た目が自分で決められる可愛い(綺麗な)お姉さんが、バリエーション豊富な服の中から自分が選んだ服を着てくれる。そして女児は着せ替えゲーム以外に、お店屋さんごっこも好きと相場が決まっている。(諸説あり)

マジモンの夢のゲームだった。なんなら今に至るまでちょくちょくプレイしているし、手元のDSLiteもしくは3DSが動き続ける限りプレイし続けるだろう。
昔から和風ブランドのKARAMOMOが好きなのは変わらないとしてそこは女児、CherryBerryとかLovitsとかもストレートに好きだったし、「自分ではしないけどとってもカワイイ服装」としてMarble LilyとかRaven Candleあたりもお気に入りだった。以降、年齢による好みのブランドの変遷もちょこっと書いていこうと思うので何を言っているのか分からない方はこちら(Wikipedia)を参考にされたい。ブランド名と傾向が書いてある。

というわけで2008年に大革命が起きたのはお分かりいただけただろう。おいおい、次の年もなんかあったかよと思う方も、読んでもらえれば納得が行くはずだ。

2009年2月19日。

アメーバピグ、サービス開始。
皆、覚えているだろうか。我々に善悪問わず多くのものをもたらした、あのゲームを。

まるで「もう1人の自分」とも言えるようなアバターに夢中になった人は多かったはずだ。
自分も自分で、アメ(無料通貨)をかき集めて、スクラッチを引き、手に入れた引換券を使ってささやかな着せ替えパーツを入手してみたり、つりPやカジノ$を稼いで、これまた着せ替えに利用したりお部屋を模様替えしたり。あとはクリックしてアメG(有料通貨)獲得!(後にコインへ統合)みたいなのもやってたな……なんか、とある無料サイトで自分の○○ベスト3!の記事を投稿する度にコインがもらえる、みたいなキャンペーンがあってそれで荒稼ぎした記憶がある。

自分の家庭は親が寛容というか放任というか、パソコンの使用、ひいてはオンラインゲームに対しては基本的に制限がかかることがなかったので、アメーバピグもOKが出たし同時期にMORPGの「チョコットランド」も始めた。チョコットランドのサービス開始自体は2007年頃で、その頃からプレイしている筋金入りの同級生に誘われて始めたのだった。
もちろんチョコットランドの方も着せ替え……というか最初の頃は見た目装備という概念がなかったのでモンハンの如くビジュアルと性能、装備可能Lvの兼ね合いでうんうん唸っていたものだ。その後見た目装備が実装されて随分とコーデを重視できるようになった。自分の操作キャラのCVは梶裕貴である。

アメーバピグとチョコットランド、この2つは着せ替えゲームとして、ではなくオンラインコミュニケーションゲームとしての側面でも語ることが山ほどあるが、この記事内にそれを盛り込むと著しく脱線して帰って来れなくなる恐れがあるのでそれはまた別記事に譲ることとする。

中学生

自分にとっての暗黒時代である。中学のヤツらに関して言えば嫌いな人間より好きな人間の数を数える方が遥かに早く済むだろう。
また、都会という属性が今度は逆に牙を剥き、携帯電話を持っていない自分は少数派、スマホゲームでクラスメイトと関わりを持つということも無かったのである。結局人と遊ぶのは小学生の頃からの友人と公園で駆け回るとか、児童館でモンハンをするとかが殆どだったのであんまり支障はなかったが……。
そういう事情もあって、今まで以上にオンラインゲームや、ゲーム機で遊ぶことにのめり込むようになる。

幸か不幸かこの辺りの年代になってくると、アバターを伴ったゲームというものが非常に増えてきた印象がある。インターネットへのハードルが下がったというか、インターネットの大衆化の始まりというか……この辺に対して思うことも、恐らくいつか記事を書くだろう。
自分はそんな時代の流れにこれ幸いと縋り付き、各所のサービスでそれぞれ違った形、違った服装のアバターを量産した。現実であれば決して消えることのない強い強いフィルターである「自分」を通してではなく、「誰でもない誰か」になれるアバターを通して自己を承認して欲しかった。
……のだと思う。正直なところ世界の全てが嫌すぎてこの年齢付近は記憶が曖昧なのだ。

ちなみにそれでもこの頃にガールズモードでハマっていたブランドは何となく覚えている。
順当に厨二病だったのでJack-tarやRaven Candleは特にお気に入りだった。(Raven Candleが好きなのは黒魔女さんが通る!!の影響もあると睨んでいる)
あとは自分自身への忌避感が強かったのもあり、パーソナリティとかけ離れたブランドによるコーデ……AZ*USAなども好んでいた気がする。ただこの辺からブランドを跨いで調和させるコーデの楽しさにも目覚め始めたので、そこそこ満遍なく扱っていた記憶もある。もちろんKARAMOMO好きは健在である。

ちなみに、自分もアメーバピグの年齢による規制に涙したうちの1人だ。年齢詐称せずちゃんとバカ正直に生年月日を入れたので。

高校生〜現在

高校生

高校生になって自分にも携帯が与えられた。
その反面、寮生活となったため日常的にパソコンを自由に触ることはできなくなった。アメーバピグを始め、スマホで全く同じ遊び方ができないゲームについては嫌でもプレイ時間が減った。

とはいえスマホゲームにも着せ替えゲームは大量にある。自分が特に沼ったのは、知っている人も多いであろう「ポケコロ」というゲームだ。
着せ替えはもちろんコロニー(家の外観みたいなもん)や部屋の模様替え。自分が始めた当時は釣りのミニゲームも存在した。何故かアバターゲームって釣りが付いてきがちな気がする。何でだろ。

そして高校生になって解禁されたものはもう1つ。アルバイトである。
長期休暇で家に帰ったら友達と約束がある日以外は日雇いバイトを入れまくり、遊びにいくのはもちろん課金もし始めてしまった。地獄の始まりだとも知らずに。

日々のクエストクリアによる微々たる通貨と、学生らしい慎ましやかな課金によってある程度のアイテムは手に入ったが、当然上ばかり見てしまうのが人間というもので、次第に交流を通して「このアイテムは趣味じゃないけど人気だから入手しておけば他の人との交換に使える」とか「自分はこのアイテム好きだけど人気って程でもないから交換交渉楽だな」とか狡いことも考えるようになっていった。着せ替えソシャゲの闇は深い。
着せ替えゲームを題材にした小説で「アバター(著:山田悠介)」という作品があるが、あそこまでとはいかないにしても人を狂わせる何かがあるのは確かだ。

一方でわがままファッションはプレイし続けていたものの、3DSを買うのが遅かったため新しく発売されている方のわがままファッションには手を出していなかった。あとはこう……下手にMMDやらに触れて目が肥えてしまったので3Dモデルの粗さが……いや、当時としてはちゃんと妥当なクオリティなのだが。
今とほぼ変化のないお気に入りブランドについては、一周まわってシンプルだったりかっこいい感じのものが好きになったが、成長して改めて各ブランドの良さが満遍なく分かるようになったので今ではどれもお気に入りだ。
強いて言うならお馴染みKARAMOMO、あとはしっかりオタクが染み付いていたのでRanunculusのコスプレ系アイテムも揃えてニヤニヤと眺めるようになった。まあ普通にコンプリート欲刺激されるしね……

他にわがままファッションの新作を買わなかった理由で大きいものとして、とびだせどうぶつの森の発売と、ポケモンに着せ替えの概念が登場したのも大きいだろう。ポケモンやりながら着せ替えもできる?!いいんですか?!という感じで、第6世代でも第7世代でも色んなコーディネートを作って遊んでいた。バトルシャトーやレストランにカチ込み、ナマコブシを海に向かって投げ、ポニの海岸で岩を破壊しまくり……寝る前ベッドでやっていたら寝落ちして数時間の努力が無駄になった時は絶望した。
ちなみに結局のところ行き着くのは両作とも高級ブランドだった。他にもお気に入りはいっぱいあったけどね。
SM時代のコーディネートを描いた絵は発掘できたので恥を忍んでここに載せておこう。

この頃よりは多少上手くなってるな、絵……

恐らくノートに描いたものに色を付けたくなって写真でスマホに取り込み、線画抽出でもやったのだろう。(髪の斜線、線画の粗さから推測)
大小ツッコミたいところはあれど、当時にしちゃ随分頑張って描いたものである。

どうぶつの森についても書いておこう。
なんととびだせどうぶつの森から、プレイヤーキャラクターの頭身が上がった。具体的には服とズボン・スカートが分かれ、男女キャラによるズボン/ワンピース固定が撤廃された。
更にマイデザインによるオリジナルの服に関してもシャツとワンピース、それぞれ袖の長さを指定した上で、前面/背面/右袖/左袖をそれぞれ個別に描くことができるようになった。これにより自由度はグッと上がり、着せ替え欲が満たしやすくなったのである。マイデザインで模様を変えられるようになった家具も多く、模様替えもかなり楽しめた。
ちなみに、とびだせどうぶつの森における自分にとっての一番の力作は艦これの時雨の服だ。

社会人なりたて

まあシンプルに、バチクソに課金が加速した。
結構娯楽に制限の多い環境だったのもあり、その分手元で完結するモノに強く執着するようになった。
ポケコロの廃課金者配布アイテムがちらほら手に入っていたのもこの辺りの話だ。逆算してみると頭のおかしい金額になる。よくもまあここまでどっぷりハマれたものだと今でこそ思うけれど、当人は盲目になっているものである。

ポケコロは一応着せ替えコミュニケーションゲームなので自分も交流のあるゲーム内の友人は少なからずいた。仲のいい人にはダブったアイテムをポンポン投げていたあたり、人への無責任な甘やかしはこの頃から現れていたのだろう。
ただ、次第に周りのコミュニケーション欲の強さについていけなくなるというか……早い話がコミュニケーションに疲れてしまった。そこで引退しますと宣言した上でフレンドにアイテムを投げまくった後全て切って、自己完結の世界を作り上げた。交換もアイテムのみのやり取りで済む機能によるもの以外はほぼやらなくなった。課金もわざわざしなくなった。

それに次いでSwitchで発売されたポケモン剣盾も着せ替え可能であったこと、ミラクルニキとかCocoPPa playとかポケットランドとかAlice closetとか、色んなゲームを分散して触ったのもあってだいぶ着せ替え欲は満たされていた。(なんならCocoPPa playとポケットランドは両方セルフィアバターだし)

〜現在

未だに着せ替えゲーム狂いなのは変わっていない。あつまれどうぶつの森でもよく着替えて1人でテンションを上げている。ポケモンSVの服の着せ替え制限については残念の一言に尽きる。
あとは、Switchにて「SELFY COLLECTION 夢のスタイリスト」や、前の記事でも話題に出した「ファッションドリーマー」を購入した(=買い切り自己完結)ことや、ポケコロが仮想通貨サービスに手を出してコーデをNFTとして売買するサービスを始めて雲行きが怪しくなってきたのもあって、リアルマネーを大量につぎ込んでアイテム収集、ということはなくなった。
何個か着せ替えゲームにあたるソシャゲは続けているが、無料でやっていてもそこそこアイテムが手に入ることもあってのんびりと遊んでいる。
あ、あとモンハンはCERO:Cの着せ替えゲームです。

と、ここまで書いて思ったのだが、これ各ゲームについて詳しく話すなら個別記事の方がいいな?
というわけで今後またゲームについて深堀りする記事を出すであろう。多分。

終わりに

長々と、それも思い出話ばかりだったが、まあ、自分はそれだけ着せ替えゲームと共に人生を歩んできたということだ。マジでほぼ途切れてなくてウケるな……。

追谷類は属性キメラなので未だ女児でもある。そしてそれ故に、きっと着せ替えゲーム自体に飽きることはないのだろう。今日も画面の中でおしゃれを探求し、満足感にひたるのだ。
そして、先程コミュニケーションに疲れたとは書いたが、それはゲームにかかりきりになる場合の話。着せ替えゲームを語れる友人はぶっちゃけ欲しい。

なので皆、ファッションドリーマーやってくれ!!!!!!!!!!!!!
ソシャゲだと結局課金アイテム欲しくなるから、買い切りを、やろう!!!!!!!!!!!!!!!

楽しさは保証するので!!!!!!!!!

あとこの記事に出てきたゲームについての話も大歓迎。着せ替えゲームの話、しようね。

なんかスパッタリー記事より長くなっちゃったな。お付き合いいただきありがとうございました。

拜拜。

いいなと思ったら応援しよう!