覚束無い絵筆
ポケマスのチャンピオンバトル(エンドコンテンツ)に頭を悩ませていたらこんな時間になっていた。ちなみにクリア自体はできたが、コンプ要素のことを考えると絶望しかない。まだまだ自分の戦力も磐石ではないということだ。
うーん……サイドオーダーの話でもするか……?ただあれもまだコンプには程遠いんだよな……。
既にもう日付変更には間に合わないと思うが、寝る時間も迫っているので、急いでネタ帳から引っ張り出してきた「自分と絵」の話でも書こうと思う。
自分はほんの少しだけ、絵を描くことがある。
それはSNSのアイコンのためだったり、生み出したキャラクターの確度を上げるためだったり、ネタ発言の描き起こしだったり。
とはいえちゃんと絵について(趣味程度だとしても)学んでいるわけではなく、その技術は極めて稚拙だ。
たまにデフォルメしたキャラクター、マスコット系のキャラクターを褒められることはあるので、どちらかといえば自分はそういうの向きなのだろう。
絵の上手い人が溢れているこの世の中、あまり上手くもないのに自ら描く必要はあるのかと言われると、ないのかもしれない。
現状の自分は、ある程度のものは自給自足したい、という意地だけで描いているようなものだ。
「何か作りたい」と思った時、それをその場で形にできないのが嫌なのだろう。
どれだけ拙くても、他の人からしたら見るに堪えない物でも、自分のために文字が書ける。絵が描ける。音を紡げる。
それを極める人には到底叶わなくとも、「自分の〇〇」が、手元に生まれる。
その幸せだけでやっているところはある。
まあ、普段からもうちょっと真面目にアタリを取ったり、下書きを繰り返してみたりするに越したことはないとは思うのだが……こういうところをサボるから上手くならないのだ。
だが、最低限欲しいレベルが手に入ってしまうばかりに向上心を持てずにいる。それに、好きな絵柄があったとて自分がそれになる意味はあまりないとも思っているのもある。だってその人の絵でいいじゃん。
……あ。すごい嫌なこと思い出した。
いや、これはだいぶ自分が悪いというか、納得していない気持ちと「そりゃそうだ」の気持ちが同居しているエピソードなのだが……
昔図画工作、つまり小学校の授業で「名画の模写」という課題があった。
画集からでもよし、自分が元々知っている絵でもよし。「自分の一番好きな絵」の模写をしよう、という授業。
当時の自分は母親の影響もあり、よく美術館に連れていってもらったり、家で絵画の話をしたりしていた。
そしてその中で一番心惹かれたのはパウル・クレーによって描かれた、「忘れっぽい天使」だったのだ。(気になる方は検索してほしい)
彼の作品に限らず、色鮮やかな絵ももちろん好きだった。
けれど、自分を永遠に捉えたのは、あの天使の微笑んでいるような思案するような表情だったのだ。
……当然、先生には怒られた。し、サボりたいがためにそれを選んだ、とまで言われた。
未だに心外ではあるが、まあそう言われても仕方ない題材ではあるよな……、と高校生くらいでやっと納得した。
結局その時は代わりにクロード・モネの「花咲くアーチ」を描いて提出したんだったか。ちょっと刺々しい気持ちで描いていたせいか、元の作品よりかなりビビットな色合いになってしまった記憶がある。ごめんなさい、モネ。
でも、自分は「一番好きな絵」と言われたからそれをそのまま描いただけだったのだ。図工の授業自体は好きだったから、サボるためになんてするわけない。(先生はあんまり好きじゃなかったけど)
美術を授業として行うのは、難しいものである。
さて、時間も時間だ。流石にそろそろ筆を置いて寝ることにする。
いつか改めて美術館語りする記事でも出そうかな。
おやすみ、拜拜。
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