おおいなるはっけん
今日は体調が芳しくなく、薬を飲んで寝ていたら気付くと16時付近だった気がする。
そんな訳で今現在1番書きたいネタというのが思いついていない。非常〜〜〜にまずい。(現在時刻18時30分)
というわけで今日はネタ帳のストックの中から書きやすそうなものを。
「幼い頃に『大変なことに気づいてしまった……!!』と思ったこと」について、でいこうと思う。
皆も、経験がないだろうか。今でこそ仕組みを知っていたり、そんな深く考えるようなことでない話が、幼い頃の自分にとっては世紀の大発見だったりする現象。その大発見が(幼い自分の想像上は)影響を及ぼす範囲が大きすぎて、「これに気づいた自分は消されるのでは……?!」と怯えた思い出すらある。
小さなところで言うと、ごっこ遊びに使うハンバーグ。
あれの作り方はコツがあって、折り紙をくしゃくしゃにしてシワだらけにするのだ。
その折り紙でティッシュを包んで整形すると、結構ビジュアルが本物に近くなる。当時の自分的には「こんなにリアルにできちゃったら誰か間違えて食べたりしないか、大丈夫か」というのが目下の悩みだった。ちなみに自分で考案したつもりだったのが、工作の本とかに普通に載ってて多少なりともショックを受けたものだ。
あと、「ぬいぐるみが小さくなっている!!」とか。なんてことは無い、自分がどんどんデカくなっているだけの話なのだが、私が幼い頃から一緒にいるクマのぬいぐるみは、赤子の頃の自分とのツーショット写真を見た限り超巨大に見えたのだ。小さくなりつつある(違う)のに気付いたのは年少さん頃だろうか……。身長が伸びる度に何故か(明白)小さくなっていくぬいぐるみをいつか消えてしまうのでは、と不安になりつつ抱きしめていた記憶がある。
ちなみに、ヨレヨレではあるがそのくまさんは未だ現役だ。ワタが大分抜けてしまっているので、いずれぬいぐるみの病院とかにお願いしたいものである。
そして1番初めに書いた、影響の及ぼす範囲が大きすぎて怯えていた話。
それは、信号についてだ。
この世には押ボタン式横断歩道というものが存在する。
幼少のある日の自分は、ボタンを押した時考えた。
信号というのは、連鎖して動いている。
先の方の信号が赤になったのでこちらもいずれ赤になるだろう、などの予想ができる。
ではそれが途切れる場所はどこだ?
いや、途切れる場所があったら、破綻してしまうのではないか。
ということは、今自分がボタンを押したここも繋がっているはず。つまり、今自分が全ての信号の流れを変えてしまったのではないだろうか。
まあなにぶん幼い頃なのでここまでコンパクトに思考していたわけではないのだが概ねこんな感じで“真実(ではない)”に気づいてしまい、自分的には規模が大きい話であった故に怯えて親に話すこともできず、1人この秘密を抱え込んでビクビクしていたものだ。当時小学2年生とかだったと思う。
そんなちっぽけな行動に動じることの無いコンピューターによる管制を知るのは、そこから数年経ってからだった。
こういうことで一喜一憂できる心をなくしてしまったなぁ、と常々思う今日のこの頃。「自分が思う懸念点なんて考慮されてないわけないだろバーカ」と言い聞かせる己が生まれたのは、いつのことだったか。
創作に関してだって、幼い頃の自分は自由だった。とんでもない物語の種を見つけてしまったと大はしゃぎしては、拙いながら形にしてみることを繰り返していた。
今はどうだ。先駆者ばかり頭に浮かんで、影響を受けているのも自覚しているから「今更こんなの……」なんて考えてしまい込むことの繰り返し。恥ずかしい話である。
幼い頃の自分はきっと、自分の考えたものは大人になった自分が形にしてくれると信じてくれていたはずなのに。
心機一転、幼い頃の自分に答えるために、(明らかにパクりっぽいものを除いて)生まれたものは積極的に形にして世に送り出していきたいものだ。
意外と書けたので今日はこの辺で。
拜拜。