発信する楽しさがわかりはじめた
この頃文章を書くのが楽しい。
時々サボっているけど今までの人生で一番継続している。
mixiとか高校の時(2005~2008)に流行っていたガラケーで作れるホームページでも書いてはいたけど内容が薄かったし文章量もスカスカ。これが骨だったらしょっちゅう骨折するだろっていう密度だった。
なんで続いているか考えてみたら理由は次の2つだった。
・上達しているのがわかる
・考えをアウトプットする気持ち良さ
上達しているのがわかる
noteを書き始めた頃は1つの記事を書くのにすごく手間取っていたし1000字すら「無理ぽ」と感じるハードルの高さだった。プラス、完璧主義だから(最近気付いた)書く前に考えすぎて1字も打たずに電源を落とすことがよくあった。
それがだ。亀の歩みでもへこたれずに書き続けることで「楽しい」と感じながら書けるようになったし1000字の壁も越えられるようになった。
上達するって何歳になっても嬉しい。
考えをアウトプットする気持ち良さ
俺は考えるのが好きだし本を読むのも好きだ。放っておいてもインプットは増えて行くタイプの人間。だから自然とアウトプットしたくなって書き始めた。
満足のいくアウトプットをするためにはインプットしたものを自分がわかるレベルまで咀嚼しなければならない。
細かく噛み砕いて行くと「自分はこんな考えをもっているのか」と第一の感動があり脳汁が湧き出る。それを文章にまとめて記事にするとスキという形でリアクションがもらえる。「考えが伝わってうれしい」第二の感動があり脳汁が氾濫する。
二層仕立ての気持ち良さ。贅沢すぎてそりゃあ溺れもする。
こうしてハマっていった。そして好きになるともっと上手くなりたいと思うものだ。
欲を満たすために昨日図書館へ文章に関する本を借りに行った。探していると「これだ!」と思うものを発見し内容も面白かったからそれを紹介して終わりにする。
コピーライターの著者が書いた本。言葉に対する姿勢が違った。鬼気迫ると言ったら言い過ぎかもしれないがそれくらい真剣かつ丁寧に言葉と向き合い選んでいることが驚きだった。
言葉は発された途端に受け手をつくり両者を繋ごうとする力がある。
伝わらなければ、どんなに正しく美しい日本語も音に過ぎない。
このあたりは「なるほど」と思うポイントで言葉の面白さを再確認することができた。言葉って深いなぁ。
肝心の「どうしたら伝わるのか?」については一度本を手にとって読んでみてください。とても面白いからオススメ。