誰かの好きなことのキッカケは、あなたかもしれない

俺は料理を作ることと文章を書くことが好きだ。

料理に関しては仕事が必要以上に遅くなった時やめちゃくちゃ疲れている時以外はするし、文章だってnoteにこうして気まぐれにあげるもの以外にコピー用紙とかノートに毎日つらつら思ったことを書いている。

先日、日課の夜散歩をしながら「なんで好きになったんだっけな?」と起源を辿ってみたら、どちらにも自分以外の誰かの存在があった。

始めて料理をしたのは小学1年生の時の卵焼きだと記憶している。とは言え、フライパンにくっつきまくってぼっそぼそのそぼろ卵だったから、料理とは呼べるものじゃなかったけど。なのに母は「おいしい!すごいじゃん!」って言って食べてくれた。限りなく純度の高いお世辞だとはわかっていたけど、ほめられるって嬉しい。そこから親が留守の時に下の兄弟にチャーハン作ったり、今だったら相方に飯を作ったりという具合に繋がっている。

文章もだいたい同じくくりのキッカケだ。高3の時に吹奏楽部の部長をやっていたので校内新聞に部活に関する記事の執筆を頼まれた。悩んだ挙句、定期演奏会(年に1回自主企画でやる演奏会)を題材に書いてみた。正直そんなに文章を書くのが好きではなかったしむしろ苦手意識があるくらいだった。

記事を書いたのを忘れた頃に担任の阿部先生に廊下で呼び止められ、先生はこう声をかけてくださった。

「記事すごくよかったー!演奏会の情景が浮かんでくるいい文章だったよ。文才あるじゃん!」

すっっごく嬉しかった。あと「っ」を67個付け足したいくらい。10年経っても忘れないくらい。これを機に当時流行っていた個人HPだったりmixiに日記を書いたりノートに書きなぐったりするうちに、文章書くって楽しいんだなって気付いて好きになった。

料理に関しては「自分のスキルで人を喜ばせることができた」という満足感。文章に関しては「自分のスキルを認めて応援してくれた」という喜びが関係していて、そのどちらも自分だけでは気付けないことで、誰かがいて始めて開花したキモチだ。

もしかしたら先生はコミュニケーションの一環として何気なく言ったことかもしれない。でも、それは私が人生を楽しむキッカケになっている。母が言ったお世辞だって、自分を誇らしく思うための大きな財産になっている。

こう考えてみると何気なくかけた言葉やweb上の投稿が誰かの人生を動かすキッカケになってるんだろうなって感じて。ならば、その影響力は誰かの人生が楽しくなる方向に向けたほうがいい。

一番簡単なのは、やはりいいものにはいいと言ってあげることだと思う。認めてあげること。人は誰かに認めてもらえるだけでアホか!って突っ込みたくなるくらい、笑っちゃうくらい馬力がグングンでるもんだ。

あなたが喜んだり、いいね!って認めてあげる行動は、その人の人生を変えちゃうくらい凄いことだったりするのかもしれない。

人間て繋がってるね!

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おいたん
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