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愛する人より先に死にたい
作業療法士国家試験まで残り14日、あと2週間ピッタリである。(何日かかけて書いてたからもうあと12日しかないよお)
我々作業療法士国家試験に臨む者どものの前に立ちはだりたるものは(本当はこれのおかげで勉学ができているので感謝すべき)。
1000ページのクエスチョンバンクである。
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「この一冊で合格する!」
とでかでかと書かれており、たいへん安心させられる。
私はこのお言葉を信じ、究極の一冊手技で国家試験に臨む所存である。
これだけ分厚いということは、ありとあらゆる情報が書かれており、ありとあらゆる病気について知ることができる、ということである。
読み進めるにつれて私が思ったのは、
病気じゃないという状態で居られるのは奇跡的すぎないか?ということである。
今のところ健康に生活を送ることができている私たちは、日々のほほんとしすぎている。まだ死ぬときじゃないと嵩を括って。
しかし、それは本当に、全くもって間違っている。
私は中学生の頃友人を病気で亡くしており、そこから、並々ならぬ死や喪失への恐怖というか、受け入れがたさ、を持つようになった。
人はいつ死ぬかわからないのだ。
私は本当に、それが怖いのだ。涙が出ちゃうほどに。
話は変わるが、私には愛する人がいて、もちろん一生、そして死後、来世と添い遂げることになっている(確定事項)。
しかし、愛する人がいつ死ぬかもわからないし、いつ、私のことを忘れるかもわからないのだ。私もいつ、最愛の人のことを忘れちゃうのかわからない。
私は本当に、最愛の人のことを愛しているので、その人がいない世界を生きていける自信がないし、普通に同じ日に死にたい。
しかしなかなか、難しいらしい。というか奇跡的な確率である。
以前、老夫婦が偶然にも数時間差でお互い病死した、というニュースを見たが、羨ましすぎて歯を食いしばりすぎてしまい、歯が全て砕けてしまった(嘘)。
そういった奇跡を望んではいるが、実際にはどちらかが先に死ぬだろう。
それならば私は、最愛の人よりも先に死にたい。
愛する人がいなくなるというのは耐え難いことだと思う。
プーさんだって、マカロニえんぴつだって、ジョンレノンだって、
「僕より先に死なないでね」
と言っているが、私はそうは思わない。
私のいない世界を、彼には過ごさせたくない。
愛する人にそんな大きな悲しみを背負わせたくない。
だったら私が背負いたい。私が先に死ぬ。
まあ、そのときまで元気に過ごせるように、まずは今日もお野菜を食べて、健康に過ごします。
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