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【短編】 ドッグイヤー
バイト帰りの駅前でオオノ君に会いました。高校卒業以来でした。
「成人式に帰ってこないなんて。みんなガッカリしてたよ」
「テスト準備と補講で忙しかったんだよ。その代わり今年は夜神事に出るから」
「あれ、戌生まれだったの? おめでとう」
「ありがとう」
オオノ君は嬉しそうに笑いました。この界隈では春の夜神事に参加出来ると大きな厄払いになるのです。
「じゃあ私の厄も捨ててきてね」
「うん。任せて」
オオノ君は昔と変わっていませんでした。でも噂は聞いていました。咳をしたら「風邪?」と心配してくれたので、「花粉だよ」と答えておきました。
小さい頃から歴史ある神社の近くに住んでいます。来週はその神社の大きなお祭りです。
そこは幽玄な森に囲まれた、凛とした気配があります。近くには神様の奥様が祀られた祠もあります。距離にしたらほんの十メートル離れますが、そちらも丁寧に掃除のされた、様々な樹木で優しく囲まれた穏やかな雰囲気の空間です。
両の社の両脇にいる狛犬は石造りで古めかしく、お顔が丸くてあんよが太くてずんぐりむっくりとしています。全体に苔が生えていて、雨が降るとそれがムクムクと生えてモコモコします。
神社の夜神事は、狛犬と戌年月日生まれの神男達が、深夜にその年の厄を祓います。狛犬達と神男達が協力し合い、神社裏手の沼に災難を追い詰め封じる、そんな荒々しい慣わしです。
オオノ君は昔からスラリと背が高く、何でもこなせる穏やかで落ち着いた男の子でした。
「ナエちゃんはオオノの幼馴染なんだよね。仲良いの?」
友人達にはよく聞かれましたが、
「保育園から一緒なだけだよ。どうかしたの?」
水を向けると、大概の子が自分の想いをとうとうと話し出しました。大概の子がオオノ君を好きでした。
(オオノ君モテるね、よかったね)
私は心の中でいつもそう思いました。私から見ると、彼は幼い頃からとても寂しそうだったからです。
オオノ君は成績も順調に伸びて、県内の国立大医学部に地域枠で入学しました。そんな話も良かったなあと思っていました。
だけど良くない噂もありました。モテるのをいいことに女の子を酷く邪見に扱うとか、大学でも取っ替え引っ替えだとか。成人式に来なかったのも向こうでトラブル発生中だからだと、明らかなやっかみも飛びました。
夜神事の前日、バイトに行く前に奥様の方の神社にお参りしようと立ち寄ったら、オオノ君が狛犬を撫でていました。ちゃんとオツムの間や耳の後ろ、顎の下を撫でています。うっかり笑ってしまいました。
「何、今見られた?」「うん」
今夜から神男のお篭りの筈です。
「ここはいつも空いてると思ったのに。油断したなあ」
「私はよく来るんだよ。狛犬にご挨拶?」
「うん、それと近況報告」
「元気でやってます、って?」「そんな感じ」
オオノ君は狛犬をもう一度撫でると「じゃあお先に」と去って行きました。私も彼の近況を聞きたかったけれど、聞きそびれました。言いたくないかもしれません。でも元気ならいいやと思いました。
その日のバイト先の同じシフトには、中学時代の同級生がいました。
「ナエちゃん聞いた?」
仕事中のお客さんの途切れた合間に、とんでもない内容を囁きます。
「オオノ君、二十歳になってすぐに学生結婚してたんだって!」
なんでも同じ大学の二つ上らしいよ。相手は開業医の一人娘で婿養子に入ったらしくて、今の名前はムトウ君だって。狙ってた子達がジタバタしてるよ。
これはさっき狛犬を撫でていたオオノ君の話でしょうか。
「また……いつもの噂なんじゃないの?」やっとそれだけ返したのに、
「嘘じゃないって!」
同級生はその噂が自分の耳に入るまでの経緯を大きな声で述べました。私はわざとガシャガシャと片付けをしました。
オオノ君が幸せならいいと思います。彼はいつも寂しそうでした。大学で寂しくなくなったのなら、とても好い事だと思います。
深夜、夜神事が始まりました。私は今年も家族で出掛けます。
松明の焚かれた参道沿い、巫女さんから桃の種を包んだ紙つぶてを渡されます。これを駆け抜ける神男達にぶつけて、オノレの厄を渡すのです。
太鼓の音を合図に、松明が点々と光る石畳の道を神男達が駆け抜けます。最初に狛犬一対に模した二人の神男が、その後を今年参加する神男達が、そして最後にもう一対の狛犬に模した二人の神男が。
オオノ君は何処でしょう。皆同じ様に白装束の半被で、結構な人数です。松明の灯りしかありませんし、誰が誰だかわかりません。
だけど、ひとりの神男の両脇を、ムクムクの狛犬が走っているように見えました。小ぶりな二匹がハフハフと、爪の音をカシャカシャと立てて、走っているような気がしました。
だけど全部気のせいだと思います。すごい人数で、皆が大声を出していて紙つぶてがバラバラと散って。現実逃避したいだけの、自分の幻想なんだと思います。
どうして泣けるのでしょう。松明が綺麗でした。春先なのに冷えて、空気が澄んでいました。私は何を泣いているのでしょう。
狛犬を撫でたい。私もこの間のオオノ君のように、いつも狛犬を撫でていました。何の願いがあった訳ではなく、撫でていました。女は神事は参加出来ません。だけど狛犬はいつも、私の何を引き受けていたのでしょう。
自分の真の願い程、自身は気づいていないものです。
帰りがけに母が言いました。
「オオノ君、張り切って走り抜けたわね」
ちゃんとオオノ君を見つけたようです。
「新しいお父さんとずっと上手くいってなかったけど、立派な名目で家を出られて本当によかった」
「どういう意味?」
母は色々と聞いているのでしょうか。少し笑って小さい声で、簡単に話してくれました。
バイト先の同級生より詳しかったのは、オオノ君の歳の離れた弟が、母の勤めている小学校で来年度の児童会長をする件です。
父も黙って聞いていましたが、やっぱり「よかったな」と言いました。
「オオノ君、今夜はいい納めをしたな。いろんな納めをしたな」
今年は一段と寒く、手と足の先が冷え切ってしまいました。オオノ君はもうここには戻らないかもしれないけれど、どこまでも狛犬が付いていってくれるといいなと思います。
ずっと願っていたのです。オオノ君が幸せになるといいなと、本当にずっと、そう思っていたのでした。
おしまい