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【短編】 サザンカ啖呵 

 歩道に並ぶ山茶花がとても綺麗です。濃いピンクの花弁の中央に黄色がキュッとつまった、冬の可憐な彩りです。

 恥ずかしながら私は、最近までそれが椿の花だと思いこんでいました。だけど世代的にはそんなモノだと思います。十代は日々目まぐるしく慌ただしいので、周りの景色を見回す余裕が無いのです。



 年下男子が流行っている昨今を、母が苦笑しているのでした。何故ならうちの両親は、父が母の二つ後輩だったからでした。

「あの頃は年下と付き合ってると馬鹿にされて笑われたわ」
「じゃあどうしてママは結婚したの?」
「それがママにも解せないのよ。可笑しいわよね」

 馴れ初めは高校在学中の文化祭実行委員で、お互いピンと来たからだそうです。でもその三ヶ月後の冬休みに父の浮気が発覚、速攻で破局に向かったそうです。

「私が受験で忙しい時にね、パパったら気になる同級生の女の子も含めたグループで映画に行ったのよ」
「え、でもそれ位なら浮気じゃなくない?」
「本来ならそうね。あの時は確かにパパも『友達に誘われて暇だったから』って言ってたわ」

 だけど父は阿呆だったそうです。本当は入学した時からずっとずっと、その女の子がとても、だったそうです。

『でも……好き過ぎて、声が掛けられなかったんだ』
(は)
『仮に付き合えても……絶対すぐフラれる……オレなんかじゃ釣り合わない女の子なんだ』
(はあ?)

 ちょっとおかしいなと思いカマを掛けた母の尋問に、当時高イチだった父はあっさりと引っかかったのでした。

『でも今回……たまたま見たい映画が一緒で……』
(何言ってるの?)
『でもオマエに悪いから……みんなで……』
(それって、どれだけ私をコケにしているのかわかってるの?)

 母は呆れ果てました。同時に非常に傷付きました。

 だけど年下の可愛い男の子です。やっぱり大事なボーイフレンドなのです。腹立たしさと泣きたい気持ちをグッと堪え、優しくこう聞きました。

「それなら私となんか付き合ってないで、その子に告白すればいいのに」
「あの子はそんなんじゃないんだ! 自分にとっては女神様みたいな子で、好きとか付き合うとか……そんな小さなレベルじゃないんだ!」

 阿呆の極みだったのだそうです。

 当時は自己評価も低く万事控えめな母でしたが、流石にこれは可愛さが余ったとか。それを機に現時点への思慕が全て消えたとか。父との未来を夢見た地元公立大の願書も、バッサリ破って捨てたとか。返す刀で当時大人気だった隣県の有名女子大を怒りのパワーで合格し、父をサックリ捨てたとか。更にお洒落に全力を尽くして数々のサークルにも参加、花の女子大カードをフル活用したとか。

 それは大正解だったそうです。当時のその女子大は、巷のお嫁さん候補の筆頭でもありました。各企業からも評判で、手堅い就職の出来るラッキーポジションだったそうです。

 その経験は母に『自分の時間と能力は自分の為に使ってこそ』と、心底思い知らせたそうです。その上で今、母は私に言うのです。「自分を大事にしなさい」と。

 そんな阿呆が私の父親だなんて、心から不甲斐ないのです。そんな不甲斐ない親の遺伝子を自分も引き継いでいる現状が、不憫で仕方ないのです。



「ゴメン。これから友達と新春ライブ」

 冬休みの最終日です。初詣の後、門前町散策を楽しみにしていた私を、ユウゴはあっさりと置き去りにしました。

「え、じゃあ私、これからひとり?」
「なんなら一緒に来る? でもライブハウスでハードロックだぞ。ミキはダメだろ」
「……なら、いい」

 私は小さなハコでのライブが苦手です。以前貧血で倒れて以来、狭い密室がすっかり怖いのです。

 私の顔色を見て取ったユウゴは「じゃあな」と、さっさと地下鉄に向かってしまいました。私はひとりで帰ります。新春賑やかな門前通りを見ないように、伏し目がちにトボトボと歩きます。


 ユウゴは今年度の学祭委員で一緒になった、ひとつ後輩の男の子です。長身で見目麗しいので、同学年の女の子からも注目が有るそうです。

 そのせいか、私と仲良くなった時も「なんであんな先輩と」と、周囲が少々不穏になりました。確かに私は平凡です。それに私の方から多分先に、ユウゴを好きになっています。

 初めてユウゴを見かけたあの日の放課後。彼の周りだけ時間が動いていませんでした。議会室の後ろで友達を待って佇む姿を見た瞬間、身動きが取れなくなりました。

 うっかり見つめ過ぎて、よく目が合いました。その度に慌てて誤魔化しました。気付くと私も見られていました。その度に恥ずかしさを隠して「何?」と聞くと、そっけなく「別に」と言われました。

 少しずつ少しずつ、小さな誘いを受けました。遅くなった時の一緒の下校とか、塾前に寄るファストフード、その少し先にあるモールとか。

「一緒に居ると落ち着くから、そばにいて」

 唐突に言われた時、どういう意味か聞き返せなかった。でもそれからずっと一緒にいます。なのに何故か、こちらの分が悪い気がします。

 それはきっとちゃんとした確約が見えていないから。それに私が平凡だから。それにひとつ歳が上だから。だから私が我慢しなければ、余裕を見せなければ。どうしてもそんな風に考えてしまう。

 風に飛ばされる茶色の落葉と山茶花の朱い花びらが、私とユウゴに見えました。新春早々、賑やかな街並みで私はひとり。果たして自分は今、自分を大事にしているのでしょうか。


『ぐあああー最終日ヒマー! おまいら集合ー!』

 私鉄駅の改札前、端末に着信がありました。言い出しっぺはクラスで一番のお調子者のヨシカズです。冬休みの課題も何処へやら、愉快な仲間達はこれから何処かで集うでしょう。

 だから私も返事をしました。今日は夕方までユウゴと一緒に居るつもりだった。このまま帰りたくありません。

「あれ、ミキはユウゴとデートじゃなかったの?」

 カラオケ屋のフロント、仲良しからは不思議がられましたが、「ライブに行かれた」とボヤいたら瞬間で納得されました。目立つユウゴはロック好きでも有名です。

「そんな甘い顔して。あんまり相手を調子こかせるなよ」

 ヨシカズだけが私を叱りました。彼はユウゴと同じ小中学校出身で、昔からユウゴを知っています。それ故でしょう、ヨシカズはいつも私をたしなめます。

「ユウゴは中身ヒョロ坊主だぞ。マジで甘やかすな」

 甘やかしてるかな。その前に自分を出せていない時点で私の負けかもしれません。でも上手く考える事も出来なくて、皆で飲み物と曲を選び、ワーワーと憂さ晴らしをして休みを彩りました。


 お正月料金のカラオケを二時間こなしたら、あっという間に夕方です。誰もが別れがたくて店舗前で話し込んでいると、ヨシカズに肩を突かれます。

「ミキ、あそこに居るの、ユウゴじゃね」

 私は慌てて言われた方向を見ました。少し離れていましたが、確かにユウゴが立っていました。昼間に別れた時と同じ、紺のニットコートと大きいチェックのマフラーです。でもちょっと表情が硬い。
 私はヨシカズと皆に「先に失礼するね」と断り、ユウゴの隣に行きました。

 去り際ヨシカズが「大丈夫か」と聞いてくれました。私はヨシカズに「またね」と笑って手を振りました。雪が舞っていました。街中の空気も新年らしく、しんと冷えて綺麗です。


「ユウゴどうしたの。ライブ終わったの?」

 吐く息が白くあがりました。ユウゴはすぐに返事をしませんでした。暫く沈黙してからやっと「もう帰ったと思ってたのに」と、不貞腐れたように言いました。

 帰ったと思ってたのに、だって。
 今日の予定を先に切り上げたのは誰でしょう?

「駅でヨシカズの招集がかかったの。クラスの皆も参加するから、私も」

 ユウゴはまた黙りました。何が言いたいのでしょう。

「ユウゴはこんな所でどうしたの」
「ヨシカズのツイート見たから……居るのかと思って」
「ツイート?」
「別に名前はなかったけど」

 慌てて件の呟きを探しました。

 ◾️yossi_kazukazu-peke
 ヒマヒマが揃ってこれからカラオケ!
 デートを強制終了された方の参加も
 受け入れるオレの懐深さスゲエ!

「あはは! ヨシカズうける!」

 うっかり笑ってしまいました。するとユウゴがますます不貞腐れました。

「どうして怒るの?」「別に」

 さっぱりわかりませんでした。すると、おもむろに吐き捨てるように言いました。

「……暇ならなんで言わないんだよ」
「は?」
「なんでライブ行くなって言わないんだよ」
「はー?」

 流石に今度は呆れました。それから私は初めての経験をしました。人は驚き呆れ過ぎると、言葉を失って固まります。

「なんでヨシカズなんかと」何故そこにヨシカズが出てくるのか。
「なんでいつも」何がいつもなのか。

 瞬殺で面倒くさくなりました。母とは違うニュアンスだけど、可愛さ余る瞬間です。私がどんなに初詣を楽しみにしていたか、ユウゴは全然わかってない。いつもどんなに不安なのか、この子はちっともわかってない。

「じゃあなんで初詣の予定の日にライブの約束まで入れるの?」

 尖った口調の早口になってしまいました。私の激昂ぶりにユウゴはひるみます。

「そんなにライブが大事なら約束の掛け持ちなんかしなきゃいいじゃない! 私はライブハウスが苦手だって知ってるんだから、こっちは違う日にすればよかったじゃない!」

 あっ、うっかり家用の口調になってしまいました。

「貴重な冬休み最終日に誘われたら、頑張って一日予定を空けちゃうじゃない! 最初から掛け持ちならどうて前もって言わないの!? そうすれば私だって今日を有効に使えたのに!」

 あっ、もう止まらなくなった。

「私の時間はユウゴの為だけにあるんじゃない!」

 ああ、でもこれって、母が父に対して怒った瞬間と同じ内容です。


 暫く待ったけれど、ユウゴは何も言いませんでした。身体と心がシンシンと冷えてきました。

 私は「じゃあね」とだけ言って、その場で踵を返しました。追いかけてくるかと思ったのに、来なかった。「じゃあね」の台詞はそのままサヨナラになるのかな。でも仕方がないのかも。私はユウゴをとても好きだけど、どうして好きなのか、わからなくなってきたからです。

 私はユウゴの何処を好きなんだろう。ユウゴがあの容姿じゃなかったら、果たして好きになったかな。
 自分を見直すのにはいい機会です。ただの意地っ張りかもしれないけど。

(ユウゴ、私を冷静にさせてくれてありがとう)

 ただの負け惜しみかもしれないけど。

(ああ、もう、一目惚れってタチが悪い!)

 そう、文化祭実行委員会の、あの時の私は制御不能でした。恋ってなんて面倒だろう。

 電車の中、窓の外を見ながらほんの少し泣けてきました。自分を大事にするって、どうすればいいんだろう。夕闇の歩道、電灯の下では、山茶花の可愛い姿も闇に隠れて見えません。



「う、わ。言い放って帰ってきたのか」

 冬休み明けの教室、心配してくれたヨシカズに事の顛末を伝えると、当然の如く呆れられました。

「ユウゴは相変わらずコドモだなあ」
「そうなんだよ。コドモなんだよ」
「だけどミキも短気だったな」
「ん、」
「その後の反応を見るのが大事だったのは判るよな」
「ん……」

 ヨシカズは溜息をつきました。

「アイツ、中学の時から変わんねえな」
「そうなの?」
「独りで勝手に葛藤するんだ。それで言動が伴らなくなるというか」

 当時ヨシカズはユウゴの彼女の相談に乗ったそうです。彼等三人は同じ部活だったとか。それでかな、ユウゴは妙にヨシカズに拘っていました。

「それでその時は丸く納まったの?」
「実はその時の子がオレの今カノ」

 なかなかの遺恨だったのでした。

「でもカノジョは他校だし、付き合って三年になるから許して」
「私に言われても」

 目を反らしながら窓の下を覗きました。すると、外階段を友達と歩くユウゴが見えました。これから清掃時間です。昇降口担当なのか、外用箒を持っていました。

 やっぱり目を引く容貌です。私の好みど真ん中です。そこへ同級生らしい女の子が掛けて行きました。顔を赤くして話しかけています。ユウゴが穏やかに対応しています。側から見たら私達もあんな感じかな。

 ヨシカズが「ユウゴ、平常時にはちゃんと出来るのにな」と言いました。

「どういう意味?」
「特別な存在に対してだとテンパるんだよ」

 特別な存在。なんて甘い響きだろう。

「でも、私は特別かな」「そうじゃないのか?」

 ヨシカズが私の表情を確認すると「そういう顔はユウゴにこそ見せないとダメだぞ」と言いました。オトナみたいでした。
 そんな台詞をサラリと言えるヨシカズは、実はモテます。その事実も中学時代のユウゴには腹立だしかった事でしょう。今もそうかもしれません。

 ヨシカズは窓の外に顔を出しました。それから私に「ほら、お前も顔出せ」と言いました。ヨシカズは私の肩に手を掛けると、盛大にユウゴを呼びつけたのでした。



 ユウゴにとってヨシカズは明らかに鬼門でした。窓から顔を出すヨシカズの横に私が居るのを見とめると、ユウゴは瞬速で私達の所まですっ飛んできたのです。

「わあ、上級生の教室に殴り込みとは良い度胸だな」
「テメエが呼びつけたんじゃねえか!」

 とっても面白い余興の予感が、周りに人垣を誂えます。

「今度はミキかよ!」
「え、別にオレ、何もしてねえぞ」
「肩に手ェ回してたじゃねえかよ!」

 これは一部の女の子の憧れシチュ、『喧嘩をヤメテ』状態かしら。

「ハルカの時もそうだったよな!」
「それは問題無いから気にすんな」
「気にすんなだと!? どんだけオレが辛いのかわかってんのか!?」
「あ、まだ引っ張ってんのか」
「ハルカの家の前が通学路なんだ! 嫌でも引き摺るぞ!」
「おま……道変えろよ」
「なんで通る道までヨシカズに指図されなきゃならないんだ!」

(ハルカって誰?)
 多分その名が因縁の相手、ヨシカズの今カノなのでしょう。その名詞の投下の化学変化は凄まじく、場の雰囲気がガラリと変わったのです。

 ユウゴのキレっぷりは全てハルカさんへの執着でした。遺恨はとどまるコトを知りませんでした。ヨシカズが話を進めたくともユウゴはソレから離れず巡り、終わりが遠ざかるだけなのです。

 ユウゴの言動は蛇行します。そう、私はキッカケに過ぎないのでした。彼にとっての特別な存在は、未だハルカさん、ヨシカズ、そのシチュエーションなのでした。結局ユウゴは前の恋を、延々と引き摺っているのです。

 北風が私を冷やしました。私はとっととその場を離れました。サクサクと帰り仕度を済ませると、気配を消して校舎を出ました。

 母から聞いた想い出話が脳裏をかすめました。私のこの現状も、母の二の舞に相違ない。遺伝子の働きは侮れない。



 夜、ヨシカズから『すまんかった』と連絡があったので、「実態が掴めて感謝してる」と返しました。

『あんなに引き摺ってるとは思わなくて』
「された側は覚えてるもんだね」
『うん……反省する……』

 誰もがコドモなので、致し方ないのかもしれません。
 
 交互してユウゴからも言い訳台詞が飛んできました。でも残念ながら全てがもう、すり替えにしか見えません。

『ミキが隣に居てくれると落ち着くんだ』
 そうねー独りは嫌よねー。

『本当だよ。嘘じゃないんだ』
 そうねー寂しいのは嘘じゃないわよねー。

 私は国語が得意ではありませんが、こんなに行間が読めた事は未だかつてありません。今後の受験でこの力を生かしたいと切に願いました。

 ユウゴには「目の前の山を自力で乗り越えろ」とだけ返して、全てを終了させました。

 真意は伝わらないでしょうが、知った事ではありません。可愛さが余った以上、何より自分を愛さなければ。いつまでも誰かの代替に甘んじる必要はないのです。


 母の父との再会は、大学合同サークルでのOB会だったそうです。それぞれに青春時代を過ごした後に、焼き棒杭に火がついたそうです。

「どうしてそこから結婚まで行ったの?」
「気付いたらそうなっていたのよ。腐れ縁よねえ」

 母は「決まる時って驚く程スムーズに決まるのよ」と言いました。
(そうなの?)
 じゃあまた私も、いつか私も、ユウゴと仲良くなれる機会が、将来やってくるのかな。

 恥ずかしながら未練はたっぷりです。ユウゴと一緒に撮った画像を見つめます。文化祭の時、一緒に寄り道した公園、フードコートでのひとコマ。どれも恐ろしく私の好みど真ん中のお宝画像。

 脳内でぐあああーと叫びます。ふと思い付いて、山茶花の花言葉をググりました。ひたむきな愛、困難に打ち勝つ、謙虚、無垢、愛嬌、理想の恋……。
(うわー激しく関係ない!)
 どれも私を悲しくさせるだけでした。

 こんな説明もありました。
「椿と山茶花は似ているけれど、散り方が違う。椿の花は終わるとポトリと落ちるけれど、山茶花は花びらが一枚ずつ散ってゆく」
 どちらも終わる事には変わりはなかったのでした。

 そうです。終わったのです。今の私に必要なのは潔さです。あの時の母を見習い、何よりもオノレを大切にしなければなりません。

 この困難に勝たなければ。山茶花の花びらに習い、取り敢えず一枚だけ画像を消します。漢(おとこ)の道を歩み出した瞬間の、とある冬の夜でした。


 おしまい

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