物語の中のロリータファッション 〜『下妻物語』から20年、映画『ハピネス』公開にあたって〜
この春、嶽本野ばら原作の新作映画が公開されます。
それが、『ハピネス』── 余命一週間を宣告された高校二年生の「君」と、同い年の恋人「僕」との、最後の一週間を描いた物語です。
ロリータとヤンキーの友情を描いたコメディタッチな『下妻物語』が映画化し大ヒットしてから20年。同じ原作者ながら、内容も空気感もがらっと異なる『ハピネス』ですが、どちらの作品でも共通するのは「ロリータファッション」が作品の軸になっているところ。この点はまた、作家・嶽本野ばらの作品の特徴でもあります。
実は、この『ハピネス』が映画化されるというニュースが耳に入ったとき、原作ファンとしてもロリータファッションを愛する者としても、私には気になる点がいくつかありました。
映画での台詞は嶽本野ばらの文体のまま反映されるのか。
いま映画化するにあたってどの時代を舞台にするのか? 原作当時の2000年代か、または現在なのか。
キーとなるロリータファッションはどのように描かれるのか。
原作にある具体的な性描写の再現はできるのか。
そんなことをあれこれと考えつつ、ドキドキしながら試写会へ。
冒頭のふたりの会話から既に、「〜じゃないか」「〜なのです」という嶽本野ばら文体は健在でした……!
嶽本野ばらの文体の特徴については、最新刊『ロリータ・ファッション』の中で作家自身がこう分析しています。
ファッション誌『Olive』で使われた、語りかけるようなキャッチコピーの口調と、大正・昭和の美文が独自のバランス感で配合された文体。それが嶽本野ばら文体です。
雪夫役・窪塚愛流は素朴でありながらどこか現実離れした佇まいで、彼の身体から発せられる嶽本野ばらの文体は、自然と映像に馴染んで感じられます。
それに対して、由茉役の蒔田彩珠は誰もが感情移入できそうな女の子。天真爛漫で主体的に振る舞いながらもどこか儚げで、時代に左右されないような風貌や話し方も、嶽本野ばら作品のヒロインそのもの。
『ハピネス』の原作小説では「僕」「君」と一人称・二人称で呼ばれる主人公たちに、映画版では「国木田雪夫」「山岸由茉」という名前が付けられていることからもうかがえるように、「僕」の視点だけでなくさまざまなアングルからふたりの物語が描き出されていきます。
ちなみに、この映画版での名前は原作者の嶽本野ばら自身が映画化にあたってあらためて命名したそうです。
そして、この映画の中で私がいちばん心惹かれたのは、2024年の今、ロリータファッションが敬意と愛情をもって丁寧に描かれている点でした。
※以下、映画のディテールに関する言及が含まれます。
Innocent Worldと由茉
この映画では登場人物たちがスマートフォンを使っていて、現在の吉祥寺がそのままロケ地になっていることから、舞台を2020年代の現在として物語が展開するということが序盤で分かります。
時代背景というのは、ロリータファッションを語る上では気になるポイント。時代によって、ブランドやディテールのデザインなどに流行があるからです。
1週間という余命を告げられ、いちばんの夢だった「ロリータさんデビュー」を果たす由茉が愛するのは、クラシカルロリータを代表する実在のブランド・Innocent World。20年以上にわたり、根強い人気を誇るブランドです。
実際には、物語に登場するInnocent World原宿店は2017年5月に、大阪本店は2022年1月に閉店しており、現在は直営店は存在せずオンラインに特化しているのですが、映画の中ではそのお店が再現されています。しかも、実際に店舗があった「ローソンのあるビル」と同じ場所にふたりが向かう様子まで、細かく描写されるというこだわりにハッとしました。
憧れのロリータブランドのお店に足を踏み入れたとき、かわいいものの情報が一気に押し寄せてきて、ふわふわと夢を見ているような、ハイな気分になる感じ。その高揚感が、ビルの外観を見つけて階段を上っていくリアリティと店内のファンタジックな装飾、由茉の恍惚の表情によって追体験でき、観ている自分もロリータの世界に足を踏み入れたばかりの10代の頃に戻ったような気がしました。
きっと性別や年齢を問わず、ロリータを知らない人へも、映像を通してこの感覚は少なからず伝わるのではないでしょうか。
嶽本野ばらは小説『ハピネス』でInnocent Worldの店内を緻密に描写したことについて、こう述べています。
消えていく景色は、まるでマッチ売りの少女が見る幻のように、映像として立ちのぼるのです。
ロリータファッションの中でもとくにInnocent Worldに惹かれた理由を、由茉は「フリルやレースをふんだんに使用しているのに、王冠や薔薇、アリスってロリータの定番のモチーフを取り入れているのに、クラシカルで、赤毛のアンや小公女の衣装みたく清楚なの。お姫様っていうより、お嬢様な感じかな」と語っています。そんな由茉に、「Innocent Worldって、クラロリだよね」と相槌を打つ雪夫。こんな彼氏、欲しすぎる……!
映画を観ると明らかだと思いますが、由茉が着ているお洋服はふんわりとファンタジックなシルエットでありながら、落ち着いた色が使われていて露出も極限まで少ないので、決して「派手」という感じではない。生成りのボンネットや、ボルドーのシンプルなリボンカチューシャ、淡い色のヘッドドレスなどを合わせるコーディネート。それが、 ロリータの中でもクラシカルロリータと呼ばれるスタイルなのです。
由茉を包み込む、優しいピンクや淡いグリーン、ナチュラルカラーのInnocent Worldのお洋服は、そのまま拡張して吉祥寺のカフェや井の頭公園の風景になっているかのよう。
由茉にとって、Innocent Worldのお洋服は衣服を超えて、好きなものの詰まった自分の部屋であり、夢を語る喫茶店であり、楽しい街であり、雪夫と生きる世界なのだと思います。
映画『下妻物語』では、BABY, THE STARS SHINE BRIGHTのロリータ服を纏う主人公・桃子のスタイルは、茨城県下妻市の風景と人々との対比もあってかなり奇抜な、浮いているものとして描かれ、だからこそ2000年代には斬新で注目を集めたように思います。
一方で今回の『ハピネス』の中でのロリータは、多くの他人とは違うファッションではあっても、誰もが興味を持ち、当事者として着たときの気持ちを理解できる可能性を秘めたものとして描かれているように思えました。
由茉が黒髪のボブスタイルの地毛、素顔に見えるようなナチュラルメイクでロリータになるというのも高校生らしい初々しさで、「ロリータさんデビュー」のお手本のよう。
制服にフリルソックスを履くだけでも、カジュアルなお洋服にリボンカチューシャを合わせるだけでも。いつも心にロリータをしのばせておきたくなります。
Melody BasKetと月子
もうひとり、ロリータファッションに身を包む重要な人物が、雪夫の姉。橋本愛演じる国木田月子です。
雪夫が由茉に出会う前からロリータファッションを知っていたのは、姉の月子がロリータだからでした。
月子が着ているのは原作ではBABY, THE STARS SHINE BRIGHTのところ、映画版では Melody BasKet になっています。
身体のラインを拾いづらいシルエットに露出を感じない長めの丈、細かい装飾は控えめにした動きやすさ、といった大人も着やすいデザインでありながら、ティアードスカート、フリルやレースなど甘めの要素はふんだんに取り入れていて、Innocent Worldとの大きな違いはドットやオリジナルテキスタイル、赤やピンク色など、奔放なポップさがあるところでしょう。
それもそのはず、Melody BasKet は子ども服ブランド Shirley Templeのオリジナルメンバーが2018年に立ち上げたブランドなのです。
映画の一場面では、この豆知識を雪夫がチラッと披露するところも面白い……。
子どもの頃、Shirley Templeのお洋服をきっかけに、ロリータ的なファッションが好きになったという人も多いと思いますが、私もそのひとりでした。
Melody BasKetはそんな人が大人になってまた夢の世界に再会できるようにと、かわいいお洋服を用意してくれているようなブランドだなと思います。
大人と子どもでペアルックできるお洋服なども展開していて、ロリータファッションをより広い世代に楽しんでもらいたいという心意気を感じます。
そんなMelody BasKet のお洋服は、雪夫と由茉の大切な世界をそっと照らしてくれる、無邪気かつ芯の強い月子にぴったり。由茉と対比してもとても華やかで、ハイトーンヘア、透明感あるメイクがお洋服に映えています。
原作小説では回想の中にしか登場しないのですが、映画では何度か雪夫の大事な局面に姿を現す月子。
映画では月子の子ども時代にも少し言及され、大人になった月子は「小さい頃の自分を助けたい」という思いで自分の信念を貫いているという生き方が窺えます。そのさりげない言動を通して、月子は雪夫の背中を押すのです。
国木田月子=橋本愛は、『下妻物語』の桃子というロリータ像を更新し、今後30歳前後のロリータの新たなロールモデルになるのではないか……そんな期待がふくらみました。
大人のロリータファッション
そして山崎まさよしと吉田羊演じる由茉の両親が見守るロリータファッション、という視点も、この映画の中で印象深いところです。
ロリータには縁がなかった、いつもカジュアルな服装をしている父母。
「好きなものを見つけなさいとは言ったけど、まさかこれだとはね……」と母は微笑み、「この服を着ていると世界が輝いて見えるのだろうな」と父はしみじみ呟く。
そしておもむろに由茉のロリータ服に触れ、自分の身体に当ててみる母。
それを見た父はちょっと引くような素振りをします。
もしこのシーンが何の伏線でもなかったら、ロリータ服はやはり理解されない奇抜なもの、という印象を与えてしまうのではないか?と私は少し引っ掛かりました。
しかし、この映画はそこで終わらなかったのでした。
由茉と雪夫がデートしている間、由茉の両親もふたりでディナーに出掛けるという、映画オリジナルのシーンが挟み込まれます。これも、「僕」視点の原作では描かれなかった、両親の姿です。
いつ亡くなるかわからない娘の意志を尊重し、家族で過ごす時間よりも恋人同士の時間へと送り出す両親の心情は、娘不在の場で痛いほど引き立ちます。
そのときの母が着ているのは──ロリータ服なのでした。
これは、舞台挨拶の際に山崎まさよしも見どころだと仄めかし、会場を沸かせたシーンでした。
「大胆だ」と夫も言ったように、決意を感じさせるような赤いロリータ服に、お洋服に合わせた力強いメイク、ウィッグまで完璧にして、夫にもフリルのシャツを着てもらって……その様子は、張り詰めた空気を和ませるようなユーモアも感じさせながら、滑稽さやぎこちなさはまるでなく、とても美しくかわいい姿。
そこには、由茉と雪夫という10代のロリータファッションと対比的に描かれた、「大人のロリータファッション」としての理想の形があるように私には思えました。
由茉は、大人にはなれない。
そんな由茉の気持ちをできるだけ近くで感じていようと、母は娘が愛するロリータ服に身を包むのです。ロリータファッションを理解はできないけれど、受け容れる──最初はそんな姿勢だった両親が、さらに一歩踏み込んで、 ロリータがくれる心強さを体感した場面でした。
由茉が亡くなってしまった後、弱気になってしまいそうな時には、母はまたInnoncent Worldのお洋服に身を包むのかもしれません、きっと。
ロリータ服は、目立ちたくて着るのではない。父が言ったように、身を包むだけで世界が輝いて見えるようなお洋服なのです。
それを、ロリータ当事者ではなかったはずの父母が体験するというところに、この映画がロリータファッションを特異なものではなく、誰もが着てみればその魅力がわかるものとして描こうとしていることが伝わってくる気がしました。
純愛とフリルネクタイ
『ハピネス』原作に書かれていたロリータファッションのディテールとして、絶対に映像で観たいな、と思っていたシーンがありました。
それは、Innocent World大阪本店でふたりがお揃いのフリルのネクタイ(リボンジャボ) を買うというところ。
由茉だけでなく雪夫がロリータなネクタイをつけるのは、由茉からの感謝の気持ちの証でもあり、由茉の好きなものを全力で一緒に楽しむ雪夫の優しさと無邪気さの表れでもあると思います。
ふたりがお揃いのネクタイをつけて高級カレーを食べに行くシーンは、由茉が人生で叶えたかったことのすべてが最高潮に達した瞬間。
世間の男性の中には「ロリータの女の子とは一緒に歩きたくない」という意見もあることは、たびたびロリータさんの間で取り沙汰される永遠の論点ですが、一緒に歩くだけでなくお揃いのネクタイもつけてくれるなんて、「最高の彼氏」すぎます。
しかし皮肉なことに、この白いフリルに黒いリボンのネクタイは、のちに喪に服すためのアイテムになるという、伏線でもあったのでした。
「純愛」と銘打たれた、この物語。
しかし、純愛とは何なのでしょうか。
性欲や利害関係などが絡まなければ純愛なのか、若くて一心不乱なのが純愛なのか、浮気などせず一途であれば純愛なのか?
性愛ということに関しては、『ハピネス』の原作では耽美的な性描写もありますが、レーティングのないこの映画ではあくまでもセックスは「大事なこと」、幸福を感じられる刹那、薔薇を浮かべたバスタブのような、美しいものとして描かれている印象でした。
一方で『下妻物語』では性は「お淫ら」なもの、ギャグのようなもの、ふたりの少女にとって無縁であり、桃子にとっては嫌悪感に近いものとして描かれていたのが対照的です。
『ハピネス』の恋愛観としては、冒頭から結末まで「アムールとプシュケ」の天使の絵画が象徴的に使われていました。
「アムール=愛、エロス」と「プシュケ=息、心、魂」を幼い天使の姿として描いたこの絵を見て、由茉は「キスって、アムールとプシュケから成り立っている」と言います(原作より)。
そして雪夫は、由茉が自分自身の骨壺として「アムールとプシュケ」の絵がついた紅茶の瓶を用意していたということを、由茉の死後に知らされるのです。
なぜInnocent Worldのお洋服がこんなにも好きなのか、なぜ雪夫との恋にこんなにも夢中なのか、その理由などわからないけれど、死んでもそれを最優先していたい、と貫き通すのが由茉の少女らしさといえるでしょう。
それは純愛というより、まさにInnocent World──無邪気な世界です。
自分の学生時代にもこんな青春があったら良かったのに、と羨ましくなってしまうような眩さを感じつつも、誰に何と言われようと好きなものを好きと素直に言って、かけがえのない時間を過ごすことの幸福は、きっと私も知っているはず。
そう気付かせてくれる映画でした。
ロリータという窓を開ければ
20年前から今に至るまで、たくさんの女の子にとって、ロリータファッションを知り、ロリータになるきっかけとなったのが『下妻物語』でした。
『下妻物語』の桃子はロリータであることの心得を語り、ロココの美学にのっとって生きようとしています。それはあくまでも桃子のキャラクターであって嶽本野ばらやロリータ全体の主義主張というわけではないのですが、桃子の精神性に憧れ、「ロリータとはかくあるべし」という流儀を掲げるロリータさんも多くいました。
しかし、桃子と同じ17歳である由茉は、ロリータの美学について多くを語りません。ただロリータ初心者として、「好き」の気持ちだけで試行錯誤しながらコーディネートを完成させていくのです。
月子は「ロリータ玄人」感がありますが、やはりロリータについて持論を語ったり教え諭したりはしません。「私は狂ってなんかいません。至って正常です」と言うだけです。
由茉の母に至っては、完全なロリータ初体験であの貫禄……!
雪夫と由茉の父も、戸惑いながらもスーツにフリルシャツを重ねたりしている。
だからこそ、観る人はストーリーに浸りながら、たとえ男性であっても、ロリータファッションをより身近に感じることができるのではないでしょうか。
ロリータの中でもInnocent Worldの落ち着いた色使いやデザインは、ロリータ初心者にもハードルが低く、中高生でも価格的にはさておきデザイン的には親や親戚などにおねだりしやすく、また、大人でも挑戦しやすいものだと思います。
また、Melody BasKetは、由茉もソックスだけ制服に合わせていたように、小物から入りやすい。
『ハピネス』は、登場人物の背中を見せながら、ロリータという窓を広く開こうとしている映画だと思うのです。
ロリータは、ピュアでかわいくて、時に強くかっこいい。
さて、私は次に仕事を頑張ったら、月子が持っていたEmily Temple cuteのリボンバッグを買おうかしらん。
(文・イラスト:大石蘭)