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40歳になりました。

今日お誕生日を迎えました。

夏休み期間中なこの日。

(今は違うけど)

みんな出かけているから、お誕生日会をしてもらった記憶は小学校1年生の1回。そして母方の祖母と同じ日で、嬉しい反面、お祝いムードも分散。

自分の価値なんてない。

何者でもない。

ムダ。

そんなふうに考えてたこともあって、自分の誕生日は恥ずかしくて薄くて、申し訳ない日でした。

お祝いしてもらうことや、周りに伝えるのも苦手。

元々友達が少ないので、大勢(私にとっては片手以上の人数)から祝福してもらうと、心臓バクバクします。


そんな私ががんになり、年齢を気にするようになり、誕生日も気にするように。

がんを公表して発信する機会が増えたことで、Facebookのお友達も増えて、お誕生日を「お友だちには公開」設定していたら、毎年お祝いしてくださる方々がいて、感動と共に動揺。

やはり心臓バクバクなのです。


「おめでとう」と言ってくださることに対して、どう受け止めていいかわからない、めんどくさい人間なのです。

そして今年は、40歳という年代の変わり目。

そのプレッシャーに耐えられなさそうなこと。また心臓バクバクしてしまうこと。

それと。昨年大事な30代の友人を亡くしたこともあり、1人年を重ねることにも罪悪感を持ち、昨年の誕生日後に「非公開」としてしまいました。


結局こうnoteに書いてるんですけどね。


40歳は、自分が思うよりなんて子どもなんだろう。

例え成長(老化)していても、見かけが年齢相応でも、自分自身はまだ幼い。

よくこんな状態で、子どもを産んだなとよく思います。私は一生子どもはいらない。子どもを持ってはいけないとしていました。

*そのことはまた別の機会に書きたいと思います。

今では子どもがいることで救われています。もしいなかったら、断言できること。治療は継続していなかった。


誕生日否定をしておきながらなんですが、お祝いは大好きです!自分事以外のものなら!

飾り付けしたり、プレゼント考えたり、あれこれ企画するのは好き。

誕生日以外の、行事も。

肝臓がんで亡くなった祖母は、ある時バレバレのサンタクロースの格好をして、白い大袋に、孫たちへのプレゼントをいっぱい詰めてやってきたことがありました。

楽しかった思い出。

アレコレ面白い祖母だったけど、半分はあんなおばあちゃんを目指しています。


先日定期的なCT検査で、肺の転移は引続き《維持》でした。

乳がんでもHER2というサブタイプは、ありがたいことにたくさん薬が認可されてきていて、ある薬ではがんを無くすことができるんじゃないかとか言う人も。

40歳どころか、50歳、60歳も現実的に考えられるかもしれません。


だから今日は、新しい1歩を踏み出す日。


マイペースな私なので、その1歩はとろいかもしれませんが…

35歳で乳がん告知を受け、約5年。

最低でもその1年前からは乳がんだっただろうとのことで、33、4歳あたりから、すでにがんだったかもしれません。

その期間、健康でいられたらどんな今だったんだろう。

これから私はがんの人生で何ができるんだろう。

ムダ、と思っていた自分自身をさらに模索する日々となりそうです。


取り留めのない文章を連ねています。すみません。

まだまだ、ぐちゃぐちゃで未熟。

今の私です。

こんな大人もいたりするよ。


最後に。

画像のようなキラキラな世界を取り戻す、つくる、関わることが今の全体の夢です。

このウィンドウを見た朝、私が失っていたものはコレだと思いました。

健康な心体や、変えられない過去ではなく、「このキラキラがあれば私は幸せ」だと思いました。

語彙力、表現力がないですね。

いつ死ぬかわからない、状態が変化するかわからない、今でも安定は得られない、そんな中でこのウィンドウみたいな世界が自分にあれば、いつ終わりが来ても平気かもしれない。

そう思えたのです。


ちなみにこれは、再発が解って少し離れた土地へ行った時。ここに限らず、全国に店舗があるお店。


今年はもっとソレに近付きたいなぁ。



今日も落ち着かない1日を過ごしています。

成人式を拒否したため、W成人式として着物が着たかっ今回も着れないみたい。

ま、いっか。
















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