見出し画像

「かつお節を削る生活を多くの家庭に」 道の人をたずねる食の旅 開催レポート【かつお食堂編】

12月8日に、おいしい学校の講義「ニッポンのいちばん 「道の人」をたずねる食の旅【かつお食堂編】」を開講しました。

食の世界には、愛すべき変態がいます。

彼らが手がける料理の感動の裏にある技術と精神を掘り下げ、その謎に迫るのが本講義のテーマ。茶道や華道が精神性と様式を追求したのと同じく、普遍の真理を探しつづける食のトップランナーを「道の人」と呼び、彼らのもとを訪れ「ニッポンのいちばん」を食べ、感じ、学べる講座です。

第2回となる今回は、居酒屋からフレンチまで、年間600回以上も全国を食べ歩く食の文筆家・マッキー牧元さんを案内役に、“かつおちゃん”の愛称で親しまれている、東京・渋谷にある「かつお食堂」の店主・永松真依さんを講師にお招きし、本物のかつお節を味わう「節道(ブシドウ)編」を学びます。

永松真依(ながまつ・まい)
1987年生まれ、神奈川県育ち、成城大学文化史学科卒業。鰹節を削る祖母の姿に魅了されたのを機に、鰹節の魅力に開眼。以来、かつお一筋の生活に。2017年、東京・渋谷に鰹節の美味しさと魅力を伝える料理店「かつお食堂」をオープン。その一方、全国の鰹節の産地を訪れては、鰹節にまつわる取材を重ねる。各地での講演やワークショップ、食育などのイベントを通して、手削りの鰹節の普及、鰹節の魅力を伝える活動も行う。ニックネームは「かつおちゃん」。




かつお食堂をはじめるまで

大学生の頃の永松さんはやりたいことが見つからず、夜遊びに本気。就職活動もせずフラフラとしていた最終学年の夏に、おばあちゃんの家に遊びに行ったことが人生の転機となりました。おばあちゃんが、亡くなったおじいちゃんから結婚のときにもらったというかつお節削り器で削ってくれたかつお節を食べた際に、初めてかつお節に出合ったそうです。

当時は食にもあまり興味がなかった永松さん。おばあちゃんが幼い頃からかつお節を削っていた思い出を話ながら一生懸命削ってくれた姿に感動し、かつお節が大事な日本の食文化だと知ると同時に、自分がおばあちゃんと同じ年になったとき、こういう人でありたいと思ったことから永松さんの節道がはじまりました。

その後、友人などに削ったかつお節を振るまうなかで「どうしてかつお節はこんなに硬いの?」「どんな人がどんなふうに作っているの?」「歴史は?」と、かつお節のことをどんどん知りたくなっていったそうです。本やスマホを見れば知ることもできますが、永松さんは実際に体験しながら学びたいと、かつおの産地巡りを13年前に始めました。

まず、最初に訪れたのは伊豆地方の田子。

名産地を訪れると、他の名産地の名前を耳にし、その地を訪ねたくなる。こうして多くの職人や現地の人々、食文化と出合い、知識や視野が広がっていったそうです。その過程で、かつお節を削るという一見簡単に見える行為の中にも、追求すべき多くの要素があることに永松さんは気づきます。

「かつお節の世界は知られていないことだらけ。なぜ日本の味としてこんなにも大事にされているのかを知ってほしい。かつお節の見方が変わってほしい」

そんな想いが募り、かつお節がある日本の食文化を守り、多くの人に広めたいという気持ちが高まり今日に至っているそうです。

講義当日、かつお食堂の扉を開けると、かつお節のいい香りがふわっと広がり、自然とお腹がなってしまうほど。

この日の営業でも朝からお客様が絶えず、永松さんは120人前のかつお節の提供を終えたあと。それでも疲れた顔を一切見せず、気配りの言葉を添えながら、たくさんの愛と各地で体験してきた体験談を交えながら、永松さんの節道をお話しくださいました。

かつおと日本の歩み

かつおは赤道付近で生まれ、黒潮にのって日本近海にやってきます。

最長で10年ほど生きると言われており、死ぬまでとまらない回遊魚。太平洋沿いの全国各地にかつおの文化が根付いていますが、地域によって文化のあり方が異なるそうです。

そもそも日本人とかつおの歴史は8000年前!の縄文時代からと言われています。青森県八戸の博物館には日本最古と言われるかつおの骨の化石が展示されているそうで、永松さんも念願かなって訪れたときに撮影したという写真を見せていただきました。

青森県八戸の博物館で撮影した写真を見せながらお話しする永松さん

貝塚の中で発見されたというかつおの骨の化石は、立派な骨が綺麗に残っていました。鹿の角などで作られた釣具も一緒に見つかっており、釣具の形は今とほとんど同じなんだとか。

また、かつおは江戸時代までアワビに続く高級な海産物で、庶民は食べられない高級魚でした。奈良時代から伊豆の田子地域では、かつおにたっぷりの塩を塗り、藁で編んで作る塩がつおや、伊勢神宮での御神酒にもなっていたそうです。

伊豆地方田子で今でも作られる「塩がつお」

本枯節のルーツを探る

回遊してきたかつおは捕獲されると、様々な工夫で保存性を高め、食べられてきました。

房に切って天日干し(堅魚)にしたり、一度煮てから天日干し(煮堅魚)にしたり、かつおを煮た汁をアメ状になるまで煮詰めて、堅魚煎汁として調味料にしたり。

現在も作られている堅魚煎汁を体験

かつおは捨てるところがないと言われる魚で、身はもちろんのこと、煮た後の汁まで大切に使われ、醤油が誕生するまで大切な調味料として重宝されていたそうです。

室町時代に入ると、火を使って燻すという製法が南西諸島の種子島周辺ではじまり、かつおの一本釣り発祥の地と言われる和歌山県で発展していきます。和歌山県は漁船を作る技術力が高く、かつおが多く釣れるため、保存性を高める必要からかつおの食文化が発展したと言われています。

それが高知に伝わり、燻す技術がさらに発展していきました。江戸時代に入ると、燻したかつおの美味しさが京都や大阪の料亭で評判となり、次第に広まり流通していったようです。

しかし、当時はナイフで削れるくらいの硬さだったので、保管している間に悪いカビがついてしまうことがクレームになり、考えに考えた末、最初に良い菌を1回つけることで悪い菌の繁殖を抑える製法に辿り着いていったのだとか。

かつおの需要がどんどん拡大していく中で、海を渡って江戸へ献上されるようになります。近郊に届ける際は、1回のカビ付けで保存性が十分でした。しかし、海上では湿気が多く、1回のカビ付けでは不十分だったため、航海中に何度もカビ付けと天日干しを繰り返しながら、江戸にたどり着くようになりました。

何度もカビ付けしたかつお節こそ絶品!となったことがカビ付けと天日干しを繰り返す、本枯節のルーツになったと言われています。

かつお節のルーツから本枯節に至るまで、様々なかつお節を見せていただきました

本枯節の繊細な工程を知る

かつお節の最高級品である、本枯節。作る工程は職人の高い技術がなくてはなりません。

かつお節で使われるかつおは冷凍されているものを使います。かつおも一匹一匹に個性があるため、どのようなできあがりのかつお節を目指すか仕入れのときから目利きの力が大切になります。

そして、仕入れたかつおは、まず3種の刀を使って下ろしていきます。

3種の刃物を見せてくれる永松さん

3枚おろしの最初は、刃渡りが長い包丁で頭を落とします。今は機械化が進み、ヘッドカッターで落とす業者が多いそうですが、1番丁寧な方法は手切りだそうです。

続いて、ハラモ(腹側)をひらき、内臓を取り出し、馬蹄包丁というU字型の包丁で背びれをおとし、3枚下ろしにします。

料理人は横にして、3枚に下ろしますが、漁師さんやかつお節屋さんはかつおを立てて下ろします。漁船に乗りながら捌くときに、横に置いた状態だと船の揺れなどで刃がすべって事故につながらないようにするためなのだそう。

次に、相断ち包丁で相断ち(背側と腹側をきりはなすこと)をします。
工場によって包丁の入れ方や角度に工場ごとのこだわりがあり、かつお節の形・質に大きく関わる工程なので、工場のトップの人しかできない作業として大切な工程です。

かつおのぬいぐるみを使って下ろし方を実演

一度煮た後に、1本1本手作業で骨抜き・成形をします。

本枯節は、手削りが基本。骨が残っていると削ったときに、刃にあたって削りにくくなったり、食べたときに食感の善し悪しにもつながるため、欠かせない作業です。

さらに、大きな骨の周りの身を集めてすり身にし、刷り込んでいきます。すり身を刷り込んでいくのは、骨抜きした後の空洞を埋めることで形を整えたり、燻した香りが中に入り込まないようにしたり、悪いカビが中に入り込まないようにするためだそうです。

成形をした後がわからないくらい綺麗に塗れるようになると一流と言われるそうです。この後、火で燻し、休ませてという工程を2週間ほど繰り返し、荒節ができあがります。

スーパーなどで売られている花かつおなどのかつお節はほとんどがこの荒節なのだそう。燻煙も感じ、魚のパンチが強いかつお節です。

本枯節はこの後、良い菌である麹カビを噴射してカビ付けをします。カビ付けをした後に、天日干しをする。この作業を3〜4ヶ月繰り返し、半年の歳月を掛けて、本枯節ができあがります。

江戸時代に高知の人たちがたどり着いた製法が、現代でも今なお続いています。

職人の技・目利きの技術でできあがった最高峰の本枯節

そして、実はモルディブにもかつお節と同じようにかつおを節にして、燻すという文化が古くから続いているそうです。

モルディブでは、ライムやスパイスをかつお節に入れて楽しんだり、堅魚煎汁と同じような調味料が各家庭に必ずあるといいます。こんな世界が日本でも当たり前になってほしいと永松さんは語っていました。

モルディブへのかつお旅行の写真を見せてくれる永松さん

かつお節の削り体験

かつお節の歴史をたっぷり聞いた後は、削り体験へ。

コツを教わりながら削っていきます

本枯節には必ず皮が一部残っており、皮がついているほうが尾側になります。

頭側と自分が向き合うように削り台へセットして、手のひらを添えて、上から押すようにして削ります。皮を一部付けている理由としては、硬くて中を見ることができないかつお節の検品をするためだそうです。

初めての削り体験に夢中になる参加者たち

削った経験のある方はもちろん、初めて削るという方達も何度か削るうちにコツを掴んで、テンポの良い音が聞こえてきました。

参加者同士がサポートしあいながら削っていきます

同じかつお節でも道具の違い、道具の状態の違い、力のかけ方、削る人の違いによって全く異なる削られ方になっていました。

永松さんは「まず削り器で削れていれば、それが粉になっていても厚くなっていても立派な削り節です」と、語ります。

粉っぽくなったものはふりかけにしたり、そのままお湯を注いで楽しんだり、厚く削れたものは旨みがガツンと濃いので濃い出汁を引いたりと、削れたかつお節に合わせて、食べ方・使い方を変えれば味わい尽くすことができる。それもかつお節の魅力のひとつだそうです。

初めての削り体験をした皆さんは、「緊張感があるけど面白い!」と夢中になる人や、「かつお節と対話しながら、どう削れるか観察しています…」と、黙々とかつお節に向き合う人。初めての削り体験をしたみなさんそれぞれの節道が始まっていました。

「上手に削るにはどうしたら良いですか?」との質問に、「うまく削るには様々な要素が絡み合い、言い切るのは難しいですね…」と前置きをしたうえで、「まず第一には、道具のメンテナンスが必要不可欠です」と、永松さんからの回答。永松さんは毎日の営業終了後に、2時間かけてひとつひとつの道具のメンテナンスをしているそうです。

実際に行っている道具のメンテナンスの風景を実演

また、1日中ひとりで削り続けるため、身体のメンテナンスも欠かせません。週に2回キックボクシングに通い、体力・身体のバランスを整えることも大切だと言います。

マッキー牧元さんに永松さんの凄さについて伺うと、「日本で一番かつお節を削っている人。そして削るだけでなく、道具を自分自身で直している人もほとんどいない。それだけかつお節への愛に溢れている人」とコメント。

それを受けて永松さんも、自分でも道具のメンテナンスまでするようになるとは思っていなかったと話します。

ご自身で道具のメンテナンスをするようになったのは、8年ほど前にある有名な金物屋さんに修理に出した際、戻ってきた道具が全く削れなくなってしまった経験があったから。

そのとき知り合いの職人さんに「自分の道具は自分で守らなければならない」と教わり、職人さんのところで学びながら、自分の道具をメンテナンスするようになったそうです。

削り器の刃をトンカチで叩いてメンテナンスしている様子

今後の目標を伺うと、かつお節が無形文化遺産に認定されるようになること、また立ち上げた会社でこの活動を継続させ、かつお節を削る生活がより多くの家庭で行われるようになることだと教えてくださいました。

実食・座談会

最後にお待ちかねの実食の時間です。

かつお食堂で取り扱うかつお節は、鹿児島県枕崎市にある「金七商店」さんの本枯節。発酵させるときにモーツァルトの音楽を聞かせて熟成させているクラシック節を使用しています。取引の相手も、永松さんの想いや目指す未来に共感し、共鳴した方とご一緒しているのだそうです。

永松さんが削る本枯節は、ひらっと薄く透けるような薄さのかつお節。ごはんに乗せると熱でひらひら踊っているよう。

削り体験をした後に、永松さんが削ったかつお節を改めて見ると、思わず「美しい」と声がでてしまうほど。口に入れるとすっと溶けながら、芳醇な香りが広がっていきます。

ついつい見惚れてしまう永松さんの削り姿
お茶碗から溢れんばかりのかつお節

今回は、本枯節、正露の数しか作れない古来の製法(手火山式焙乾製法)で作られた本枯節など様々なかつお節を食べ比べていきます。

次々に削りたてかつお節をふるまう永松さん(ごはんが足りない!)

かつお節の味噌、かつお節で作った食べるラー油、かつお節のふりかけなど、味変のアイテムもたくさんで「ごはんが足りない!」様子の参加者たち。

一緒にご用意いただいたお味噌汁もかつおの出汁の香りが高く、シンプルな具材ながら味わい深いお味噌汁。かつおの旨みをたくさん味わわせていただきました。

お話しを聞いて、削り体験をした後なので、かつお節の有り難みを感じ、永松さんの探求してきた技術・愛情の深さを実感する時間でもありました。

探究結果と今後の講義の広がり

スーパーに行くとかつお節と一括りで陳列されているかつお節。

どれも同じように見えていましたが、その奥を探っていくと「漁師さん、かつお節を作る職人さん、道具を作る職人さん…」と、顔の見える世界が広がっていました。

今はオンラインでなんでも知ることができる気がしますが、それだけでは感じられないことがあるんだなと講義を聞きながら実感しました。

実際に各地へ足を運び、体験とともにかつお節の知識を突き詰め・技術を磨き続けている永松さんの姿は格好良く、かつお節を取り巻く職人さん、道具、歴史について熱を込めて語る永松さんの言動すべてに愛が溢れていました。

現在も、2年に一度は漁船に乗ってかつお漁に出たり、生産者を訪ねたり、現地に足を運ぶことを欠かさずに活動している永松さん。今後おいしい学校の講義でも、かつおの産地に一緒に訪問する機会を作りたいと次回の講義の構想が広がりました。

そして、かつお節を削る生活が、より多くの家庭に根付いてほしいと願う永松さんが描く暮らしの姿。

今回ご参加くださった方々も講義前は、削り器は持っているけれど最近削っていないという方や、自分がかつお節を削る生活を想像できていない方が多いように見受けられました。

しかし、永松さんのお話しを聞き、実際に削り体験をしてみると、その楽しさ・おいしさに触れ、自分でも削れる!ということを知り、かつお節を削る生活がある豊かさを垣間見ることができたのではないかと思います。さっそく、永松さんおすすめの削り器を購入したいとおっしゃってくれた方もいました。

かつお節をこれからも日本の大切な食文化として受け継いでいくためには、消費者である私たちが何を知り、選択して、行動していくかがとても大切です。節道の一歩を歩み始めたひとりひとりが周りの人に伝え、広げていくこと。この小さな積み重ねが未来のかつお節の継承につながっていくと信じて、進んでいきたいと思います。


長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。おいしい学校では他にも様々な講義を開講しています。ぜひサイトもご覧ください!


いいなと思ったら応援しよう!