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なぜwebデザイナーを志すのか【就活日記#2】

どうも!moeです。
私が住んでいるのは北の大地北海道なのですが、この間、今シーズンはじめて氷に転んで膝を打ちました。道民は雪道に慣れているから転ばないとかよく言われるかもしれませんが、やっぱりこの1年ぶりに冬がやってきて間もない頃、どうしても気が抜けがちです。ブラックアイスバーンにさらっと雪がかかってるやつが、本当に厄介なのです…(皆さんも気をつけてください)(膝が痛い)

今回の就活日記#2ですが、どうして事務職からwebデザイナーを目指そうと思ったのか、自身のパーソナリティも併せて深掘りして行きたいと思います。物語を読むように楽しんでいただけたらいいなと思います…


01.学生時代

話は10年以上前に遡ります。
当時、中学生の私はアートや物作りが大好きでした。運動は昔からからっきしだったのですが、美術や工作、言語、文学が好きで、典型的な文系少女でした。放課後に美術室に友達と集まって好きなものをデッサンし合ったり、たくさんの方の美術作品やデザインを展示する道展や学生美術道展は必ず何時間もかけてじっくり見て回っていました。

進学先は道内の美術大学を言わずもがな希望していましたし、中学生のうちからオープンキャンパスにも参加していました。母親も私の進みたい道を一番に考えてくれて、自由に進学先を選ばせてくれました。

結局私は美大には行かなかったのですが、考えが変わるきっかけは、当時通っていた塾の方針にありました。

「美大出たら、お先真っ暗だよ」

高校に上がってからも、成績維持のために同じ塾へ通っていました。高校1年生のとき、志望していたのは美大だったので、大学受験のための指導に切り替わってきた塾を辞めることにし、塾頭へ相談しました。
すると親が呼ばれることになり、三者面談の形になりました。

私が塾を辞める理由として美大進学を考えていることを伝えると、場の雰囲気が一気に変わりました。
話の詳細は正確には覚えていませんが、塾頭は、私を食い止めることに必死のようでした。美術大学なんか出たら、最悪の底辺生活を送ることになると、そういうことを言われました。

私の方も、はいそーですかと簡単に切り替えるつもりはありませんでした。しかし、その場で塾との契約を切ることはできませんでした。

もやもやした思いを抱えたまま、しばらく塾に通いました。そのころ、塾では「高学歴でハイレベルな生活を目指すための熱血ガイダンス」というのが、頻繁に開催されるようになりました。全員が参加するものだったので、何度も出席しました。そうしているうち、本当に高学歴を取らなければ、人生おしまいだと、思い始めるようになりました。

この話はほぼトラウマ体験談のようになってしまいますが、その塾の方針としては、激しい言い方をされてはいましたが、結論高学歴であった方が人生の選択肢が多いのは確かです。
大きな間違いを植え付けられたというわけではないのかもしれませんが、私の昔からの夢は、真っ黒く塗りつぶされてしまいました。

毎日必死に勉強しました。学校が終わったら、1秒でも早く塾へ向かうことが褒められることだったのでとにかく遊んではいられませんでした。塾からの大量の宿題に追われ、時には学校の授業をぬけだして、保健室で宿題をしていました。とてもまともな高校生活とはいえませんでした。

結果、大学受験には失敗します。これは単に私の力量不足でしたし、自分自身の責任です。しかし、この結果で私は全てを失うことになりました。

夢もキャリアも失くして

塾の学費はとても高額で、母子家庭の私の家計には大きな負担となっていたと思います。浪人したいとは思えませんでした。

大きなトラックが通る道に、何度も飛び出そうとしました。私には、なんにも残っていませんでした。
もちろん勇気が出せずに、死ねませんでした。

今までのすべてを見守ってくれていた母親から、医療事務の専門学校に入ることを提案されました。医療事務は、どんな場所でも働き口があって、安定しているためです。

もはや私には生きる活力がなく、なにかを考えることもできず、そのまま専門学校へ入学しました。

02.医療事務として新社会人へ

医療事務専門学校では2年間学びました。診療報酬の計算から基礎的な医学知識、マナー接遇、パソコン操作などを身につけ、21歳から新社会人として勤務を始めました。

医療事務の仕事

クリニックでの医療事務員は、総合病院の事務員と違って作業ごとに担当分けされるわけではないので、全ての業務をこなす必要があります。
仕事内容は大きく2つに分けることができ、一つは受付・会計・電話応対などの患者対応業務、もう一つは請求やレセプト点検などの事務業務となります。
忙しい職場だと、いかに日々の対応業務の中で請求関係のデータ処理を進められるかに尽力することとなりますが、病院にいらっしゃる患者さんはたいてい具合が悪かったり、辛い思いをして来られる方が多いので待合室での様子や優先度の判断などにも気を配ることが大前提です。
とにかく全方位にアンテナを張り巡らせ、秒単位のタスク管理と判断能力が問われる仕事だと思います。(人数がいたり、そこまで忙しくない場所であればもう少し穏やかな時間も多いと思うのですが)

タスクを抱えすぎて血管が切れそうになる瞬間もよくありましたし、手が震えていることもありました。なんというか、忙しさがピークのときは、神経が研ぎ澄まされる感覚がありました。

ハードではありましたが、そういった時間は確実に自分を成長させてくれたと思っています。わたしがよく例えであげていたのは、忙しい医療事務員のムーブは「一度に飛んでくる何十個ものテニスボールをひとつも落とすことなく全て打ち返す」行為に近いということでした。求められているタスクをテニスボールに置き換え、それぞれの球のスピードや位置を見極め、打ち返す順番を瞬時に判断し、対応する。

テニスボールはまっすぐ飛んできてくれるものだけではありません。
想像もしなかった動きをするもの、魔球のようにうねってくるものなどたくさんです。医療事務員の腕の見せ所とは、この「あらゆるケースにおける問題解決力」にあると思っています。

「初めてのケース」というのは、何年続けても出会うものです。特に医療現場では、人の安全に関わることもあるのでベストな対処が求められます。普段は請求などの事務作業のなかでイレギュラー対応をすることが特に多いですが、整形外科なんかでは、血みどろの人が突然やってくることもあります。当時看護師がいない現場でしたので、瞬間的になすべきことを考える必要がありましたし、「その場の問題解決能力」は必ずといっていいほど培われるものと思います。

医療事務に対して、ただの事務だからつまらないとか、地味な仕事だから辞めたいとか思ったことはありませんでした。もちろんおしゃれで華やかな仕事とは遠く離れていると思いますし、誰でもできる仕事だと思っています。

私が医療事務員として働く中で重要視したのは、誰でもできる仕事だからこそ、自分にしかできない働きを見出すことでした。
「今日の〜担当はあなたなのね。嬉しい」と他スタッフや患者さんに言ってもらえると特別嬉しかったですし、まさにそのために働いているように思っていました。どんな部分で人と差がある仕事ぶりを発揮していくのかを追求することも、事務員としてプライドのある働き方のために必要なものでした。

胸の奥底にしまいこんだもの

おセンチなタイトルになってしまいましたが、まさにわたしの胸の奥底にはずっと、ある思いが隠れていました。そもそも見えないようにいろんなもので塞いでいたものですから、普段から出張ってくることはないにしても、例えばこんなときにその思いは私の前に出てきました。

美大出身の広告代理店に入った同級生が、このポスターデザインを担当したって!

私の中で黒いものが、ゆらっと浮かんでくる瞬間はそういうときにありました。単純にすごいねと喜びたいのに、どこかが痛み出すような思いでした。

100%自分にはもう叶わないことだと信じきっていました。いいなとか羨ましい、自分も!なんて思うことすら無駄なことだと思い込んでいたので、どうにかして…と思うことはありませんでした。

ライフワークとライスワーク

よく言われることですが、自身の仕事をとらえる軸として「ライフワーク」と「ライスワーク」という考え方があり、

・自分の天職として、一生をかけて捧げるテーマとしてのライフワーク
・生きがいのあるなしに関わらず、ご飯を食べていくために行う活動としてのライスワーク

このような違いがあります。
私のこれまでの人生では、ライスワークとして仕事に向き合ってきたと思っています。ライスワークだからといっていい加減な仕事をしてきたと言いたいのではなく、要は自分自身がその仕事に満足しているかという違いではないかと思うのです。次のセクションで、もう少し詳しく説明します。

03.キャリアチェンジの背景

どうしてwebデザイナーがやりたいの?

デジハリに入ったとき、たくさんの人が「なんかかっこいいから」「流行っているから」「楽しそうだから」というきっかけでwebデザイナーを目指し出したと語っていました。

あととても多かったのが、「自分が作り上げたもので誰かを喜ばせたかったから」。

たしかにクリエイティブ業に関しては、この思いに尽きると思います。みんな誰かを喜ばせたい。自分がなしたことで人に幸せになってもらい、自分自身もお金がもらえる。これほど嬉しいことはないと思います。
この願いは、ライスワークにせよライフワークにせよ存在すると思っています。そこは同じなんです。

何が違うか。「自分がなすこと」に「自分自身が納得・満足している」かです。つまりは、誰かを喜ばせる前に、自分が喜びをもって仕事したい。みんなそういう思いで、やりたかった仕事に向き合う決断をしているのだと思います。私も、そのうちの一人でした。

そしてそれが、「webデザイン」でなきゃいけない理由はなんですか?

面接などにおいて、一番言葉が詰まるのがこの質問だと聞いたことがあります。たとえばそれがグラフィックとか、DTPとか、あるいは映像制作とか、はたまた空間デザイン、プロダクト設計とかでもよかったのでは?と。

私もこの問題について考えてみました。
個人の意見としてですが、その人の「好き」を絞り込んで見えてくる制作の形を見直すことと、webの特性を理解していることが、webデザインという職業の意味を明確にするのではと考えました。

まず、その人の「好き」を絞り込んで見えてくる制作の形
これは私の場合、「ひとつの画面」を作ることが好きです。ポスターやチラシ、バナー、webデザインも画面を作ることです。医療事務員のときから院内に掲示するポスター作りなどは喜んで担当していましたし、友達の誕生日にはその人の写真をたくさんコラージュして画像を作るなど、視覚的にひとつの画面を作ることが好きであるという特徴があります。これについては、食べなくても寝なくても続けられる、なによりも没頭できる作業です。

そしてwebの特性について
私たちが作るwebサイトは、一体何のためにあるのか。webサイトってあなたにとってどんなものですか。
私は間違いなく、「人と人を繋ぐツール」だと考えています。とあるweb制作会社の社長さんが言っていたことですが、webサイトはマッチングツールであり、対象の商品やサービスとターゲットをマッチングさせる媒介物です。これは、webサイトには人を動かす力があることを意味しています。

webの特性はもう一つあって、「絶えず変化するもの」です。常に新しい手法が生まれ、固定的なルールに縛られず、どんどん進化するものです。同時に、その進化する技能や流行を追い続ける必要があり、そこには終わりがありません。

これらのことから、人と人を繋ぐことで利益をもたらすwebサイトの制作のためには単純に美しい画面を作るだけでなく、人を動かすための複合的な知識や視点、手法が求められ、かつ絶えず進化する技術的なアプローチについても学び続ける必要があると言えます。
私は、この未来に広がる可能性の面で、人生をかけて取り組むテーマ(ライフワーク)としてweb制作を選びたいと思ったのです。

なんだかAIに考えてもらったような堅苦しい文章になってしまって、着いてきてくださっている方がいらっしゃるかどうか分かりませんが(汗)、
無事私がwebデザインを選んだ理由を言葉にできたのではないかなと思います。


おわりに

今回は、私のこれまでと医療事務員からデザイナーを目指した理由についてお話しさせていただきました。もしも読んでくださった方がいらっしゃったら、嬉しいです。次回は、「自主学習とポートフォリオの制作について」すこし語りたいなと思います。ありがとうございました!

日記#2の超まとめ

・なんだかんだあったけど、悔いのない人生にしたくて覚悟きめたよ!
・志すは生涯学習!


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