【愛と極 右と混血】
天の上にも、天の下にも
今世を生まれてきた「あなたはあなた」
唯一人しか居ない。
そして、誰もに果たすべき尊い使命がある。
…『天上天下唯我独尊』はそんな言葉である。
(相対的なselfishという意味じゃなくて、絶対的な存在肯定って感じの意味合い)
私は、とてもとても愛されてきた。
そして今も愛し愛されている自信があって
だから育んでくれた人に
愛してくれる人に
報いることができるように、
どんな瞬間も自分を誇り、背筋を伸ばし
好きでいたいと思っている。
そんな自分でいなければ示しがつかないとも思う。
自分を愛することと他者を愛することは同じ。
そして誰しもが
「誰かにとてもとても愛されてきた存在」
だったりする。
だって、生殖なんて生き物にとって、
たくさんの個体から一つだけを選ぶ
愛の証そのものでしかないじゃん。
セックスってそういう行為でしょ。
愛があるから気持ちいいんでしょ。
『唯我独尊』をすべての命に認めてく。
千代に八千代に。
それが『君が代』
君とは、あまねく命そのものである。
愛し愛されてきた我、
その愛のベースはもちろん両親であったり、
そのまた両親の両親の…という血の絆になるよね。
二重螺旋ね。(身体的形質だけでなく、
もっと多重の螺旋構造とも言われているけど)
ところで私はこの国を愛している。
先住を超リスペクトしているし、
文化も言葉も大好き。
日本食も古典文学も。
「極 右」と言っても過言ではない。
同時に、ある時から、
自分のことを「大和民族」と思うのをやめた。
ヤマトとは、近畿に大陸・半島から入植した
渡来系の一民族だということだ。
1300年前くらいからの、征服王朝である。
私の旧姓は「タケウチ」
漢字は途中で変わったけど、
竹内文書・武内宿禰。いずれも
秦氏(ユダヤ方面)と近い渡来系民族と言われている。
おばあちゃんの旧姓は「林」
きっと漢民族の血が入っていて
自分の中で自覚がもっとも強い血が
父方の「シノミヤ」
これは、房総・安房海人族の姓。
古くは徳島や紀伊に由来を持つらしい。
(私は黒潮に縁があるしカヤックなどの操舵が得意)
…混血だけど、郷土愛のある日本人である。
これを読んでいる多くの人は、そうだと思う。
それは単に「国籍」としての問題ではなく。
誰に愛され、誰から命をもらったか
どこで育った自分を誇りに思っているか。
「何を愛し、何を守り抜きたいか」
そんなアイデンティティの問題だ。
自分を愛するのと同じく、他人を愛する。
自分の中に文化の中に、社会の中に
「古く永い混血性」を認めていく。
「日本的なもの」にたっぷり育まれてきた私たち。
ルーツの問題ではなく、
それは生き方の問題だ。
それだけで、助け合いや優しさだけで、
宝石のような島国の
”絶滅危惧種”なんだってこと。
私もあなたも、その辺の草木も野生生物も
ある意味で等しく「雑種だけど貴重な原種」であり
「君が 代でいうところの”君”」であり
「時空を超えて天上天下をつなぐ存在」でもあり
つまりは「only one but noble one」独つだし尊い。
ここにはそれがある。
それは、思い出すべき、愛されてきた記憶。
失ってはいけないもの、取り戻すべきものが
たくさんある。
それは、森林や水かもしれないし、
かつての人が苦労して作ってきたインフラ、
GPIFが勝手に海外で溶かすべきでもない年金、
税金には「愛されて幸せになるはずの命」
私たちの人生の”時間”が奉仕として含まれている。
それはどんな個人のためのものでも
利益や市場価値のためのでもなく、
単に「決して所有できない崇高な何か」。
だから売らない、そして殺さない。
魂も命も。
時代はまた、変わる。
私たちの生き方や尊厳は
改めて問われている。