いい場をつくるには「デザイン」だけじゃなく「遊び」 が必要かもしれない
毎週火曜日に更新しているこのマガジン、これで12回目です!
みんなでやるってすごい。
すこしずつ習慣になってきたような、なっていないような…
「デイサービス、オープンします」って発表するnoteは、何本目になるのかな〜。
「ホステル」という場で、考えていること
今回は、「三人で話したこと」というよりは「普段ぼくが、働きながら考えていること」をテーマにして書いていきます。
過去のnoteでも書きましたが、ぼくはいま、京都市のHOSTEL NINIROOMという場所で働いています。
宿泊施設とカフェがひとつの建物の中にあるので、毎日、海外の人からコーヒーを飲みにくるご近所さんまでいろんな人が集まります。
たいていはゲストと話したり、テラスの植物の世話をしたり、みなさんが差し入れてくれたお菓子を食べたり(ほんとうにありがたい!)とのんびり働いていますが、たまにまじめに考えていることがあります。
それが、ゲストだけではなくスタッフも含めて「関わる人がみんなが気持ちいい、"豊かでいい場"はどうやったらつくれるのか?」ということ。
現時点でのぼくの中の答えは、「いい場をつくるには『デザイン』に加えて『遊び』が重要かもしれない」というものです。
そもそも、いい場ってどんな場所か?
そもそも「いい場」ってなんでしょうか。
NINIROOMで働く何年か前、日記に自分が思ういい場所(お店とか)を書き出していたことがありました。
その共通点は、その場にいる人の顔が思い浮かび、かつ、そこでの思い出がいくつかあること。このランプは、自分への就職祝いにこの店で相談して買ったなあとか、ここで出会って一緒にランニングしたあの人はいまも元気にしているかなあとか。
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NINIROOMを訪れてくださったゲストから「ここって、なんかあったかくていい場所ですよね」とありがたい言葉をもらうことがあります。
「うれしいなあ」と思うと同時に、「そうだよね〜」と自分自身もスタッフでありながらこの場のことを「なんかいい場だなあ」と思っていたりもします。
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このような経験から「いい場」をあえて言葉にするならば、次のような感じかも。
いい場をつくる1つ目の鍵 | 「場のデザイン」について
いったん、冒頭で書いた「いい場をつくるには『デザイン』に加えて『遊び』が重要かもしれない」というぼくの考えに戻ります。
まず1つ目に書いている「デザイン」について。これは、リアルな場をともなう事業をする上で、間違いなく重要だと考えています。
個人的には、「場のデザインを考える」ことは「いい場をつくるため」というよりも、その前提として「事業として場を営む」というスタートラインに立つために必要なものだと考えています。
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そもそも、「場のデザイン」とはなにか。HOSTEL NINIROOMという場を例に、自分たちがどのように考えているか整理してみました。
① 宿泊施設 / 飲食店としての「機能」を満たすこと
①をシンプルにすると「機能的なデザイン」と言うことができるかもしれません。
この観点からは、「どのように清潔な滞在環境を維持するか?」といった当然のことから、「快適な照明の位置や、テーブルの高さは?」「デスクワークをするゲストにとって働きやすい環境をつくるには?」などの問いが生まれてきます。
この問いをひとつずつ、頭を悩ませながら実現可能な選択肢の中で、もっとも最適な解に落とし込んでいきます。
② 心がときめくような「かっこよさや美しさ」を表現すること
これは、①の「機能的なデザイン」に対して「装飾的なデザイン」と言えるかも。単に、「寝る」「食べる」などの機能を満たすだけではなく、その場にいて心がときめく、わくわくするなどの情緒的な動きを生み出すものやこと。
インテリアのテキスタイルから、掲示している絵画、タイルの色やパターン、テーブルの花瓶に挿す花などなど…。
装飾的なデザインには明確な正解がなく、なおかつ、デザインとしてのアウトプットも多岐に渡ります(むずい!)。
「自分たちが普段、何に心を動かされているのか?それはどうしてなのか?」を考えながら、ひとつひとつ表現に落とし込んでいきます。
③ 届けたいコンセプトや世界観とゲストの文脈を「ひとつづきの体験」で繋げること
③の「体験のデザイン」では、リアルに思い浮かべることができる一人を起点にして、どんなきっかけでその場のことを知ってもらい、どのように世界観や情報を伝えて、実際にこの場に足を運んでもらうのか、再び訪れてもらったり、紹介してもらうにはどうしたらいいのかを考えていきます。
実際のゲストの話を参考にしたり、「もし、自分が利用者だったら?」と考えながら、違和感のないひとつづきの体験にするために必要な問いをひとつずつ解いていきます。
体験のデザインは、お客さんの導線を設計するという側面では、マーケティングに近い面があるかも。
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ぼくたちは普段、この3つの観点から「場のデザイン」を考えています。
繰り返しになりますが、場をつくるときに、これらのデザインは間違いなく重要だけれど、それは「いい場」をつくると言うよりも「その場が、きちんと事業として続いていく」ためのように感じています。
少しやらしい感じになりますが「場のデザイン」は「サービスを差別化し、ゲストに選んでもらい、適切な価値を届ける」ためと言い換えることができるかもしれません。
いい場をつくる2つ目の鍵 | 「場に生まれる遊び」について
「場のデザイン」は、いい場をつくる上で間違いなく重要です。
だけど、「いい場」をつくるものってほんとにそれだけ?と考えていくと、なにか引っかかるものがあるように感じていました。
「デザインする」ことには、他の人の行動や感情、体験全体をあらかじめ予想して、結果を限定する側面があります。
「このベッドの柔らかさにしたら、ぐっすり眠れそう」「この花を花瓶に挿したら、気持ちよくラウンジで過ごせそう」「こういうサイトの設計にしたら、迷わずに予約できそう」
それらのデザインは「適切に価値を届け、利用者に満足してもらう」ためには、とてもパワフルな手段です。
だけれど、冒頭でぼくが書いたような「そこを自分の場所として捉えて愛着を感じたり安心感を抱くことができる場」になるは、まだピースが欠けているような気がする…。
その空いたピースを埋めるのが、その場から偶然生まれる遊びなんじゃないかと考えています。
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「遊び」をWikipediaで調べてみると、次のように書いてありました。
難しい言葉が並んでいますが、この中でいちばん鍵になるのは「実利の有無を問わず」という部分だと思います。
「デザイン」が、何かしらの明確な問いを解くためのアプローチであったのに対して、「遊び」には、社会的な意義や明確な目的がない(あるいは少ない)と言えるかもしれません。
個人(もしくは小さな集団)の興味や直感的な思いつきで起こす、ただ心を満たすための行動が遊びと言えるかも。
「遊び」を通じて、その場が自分のものになる
「場に生まれる遊び」とは具体的になんでしょうか。
例えば、ぼく個人の話ですが、NINIROOMのテラスで毎日、植物を育てています。モンステラやミモザ、セージやヤナギなどなど。
もともと植物が好きで、いまの季節はぎゅーん!と伸びるので特に楽しい。たまに屋上の植物をテラスに植えて交換留学させています。
この時、ぼくは「テラスを綺麗にしないといけない」という思いがあるわけではなく、「この植物育てたいな〜」とか、「もっと背を高くしたいな〜」とか、そういった、ただただ個人の好奇心を満たすためにやっています。
これは、ほんのごく一例ですが、振り返って考えてみるとこうした遊びがいくつも積み重なって、ぼくはNINIROOMを自分の場所として捉え、愛着を感じるようになってきたのかもしれません。
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他の例についても考えてみます。
以前、ゲストの一人が、テラスの空間を仕切るパーテーションをテーブル代わりにし、ラウンジから椅子を持ち出して朝ごはんを食べたり、パソコンを置いて仕事をしていることがありました。
もともと、その仕切りはテーブルという機能を果たすために置かれたものではないけれど、そのゲストなりに「ここでごはん食べたら気持ちいいんじゃね?」という、個人的な心の動きがあったのかなと思います。
テラスのその仕切りは、食べたり仕事したりするには高さも幅も向かないし、きっとラウンジのテーブルのほうが理にかなっている。
だけど、個人の思いつきを起点にして自分なりに試行錯誤し、その場にあるものを組み合わせながら「あ、これならいい!」というスタイルが見つかると、「デザインされた場やもの」を使うのとは別種の気持ちよさや心のときめきがあるような気がするんです。
この例も、明確な目的や実利うんぬんではなく、ただ個人の心を満たす活動という意味で、遊びと言えるかもしれません。
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NINIROOMという場で日々生まれている遊びの例は、無数にあります。
ゲストとスタッフが一緒にトースターでスイーツを開発したり、淡路島からおおきな笹を取って帰り七夕用に仕立てたり、スタッフやゲストが置いているギターとウクレレを使って突然セッションが始まったり、ラウンジでいきなりコンサートが始まったり…。
「場で生まれる遊び」はそれぞれに個別性が高すぎて、「これだ!」と言い切るのは難しいけれど、そのほとんどが取るに足りない些細なことであるように思います。
だけれど、本人にとっては、素直に嬉しかったり、気持ちかったり、楽しかったり、チャレンジだったりする。
遊びを通じて、そこで出会ったひとやもの、出来事の記憶が場とリンクして積み重なっていきます。ここではこんなことがあったなあ、とか、ここはこんな人と出会うことができたなあ、とか。
その遊びのプロセスの中で、その場所が「自分の場」になっていき、愛着や安心感を感じるようになってくるんじゃないかなと思います。
デイサービスという場の「遊び」を考える
ここまで書いてきたのは、あくまで「ホステル」という場の例です。これを完全にデイサービスに置き換えることはできないかもしれません。
リスクもあるし、身体能力や認知機能の維持/向上などの解決すべき具体的な課題もある。だけれど、やっぱり人があつまる場である以上は、デザインはもちろん、「遊び」の観点も必要なんじゃないかと思います。
デイサービスでの「遊び」というと「レクリエーション」を連想するかもしれませんが、それとは別ものです。
スタッフが明確な目的をもって提供する「レクリエーション」ではなく、個人のなんでもない興味や思いつきをきっかけに、目的意識や実利とはあまり関係のないところで生まれる偶然の連鎖が遊びにつながっていくんじゃないかと考えています。
それが、ものづくりになるのか、野菜を育てることになるのか、楽器を演奏することになるのかは分かりません。
だけれど、その個人の小さな遊び心の動きを見逃さず、それをおおらかに受容して拡張していくことができれば、デイサービスという場も、きっと利用する人にとって「自分の場」になっていくんじゃないかと思います。