火山と、火山の恩恵を受ける町【2015.03 鶴見岳】
学生時代に所属していたオリエンテーリング部の卒業旅行で、大分の別府温泉を訪れた。大阪南港からフェリーで向かう。かつて村上海賊が覇権を握った瀬戸内海、内海であるがゆえの天候の穏やかさと、内海であるがゆえの地形の複雑さ、そして海流の複雑さを抱えている。これだけ大きい船だと、船外の様子はあまり伝わらず、重低音の船音と騒がしい同期の声が船内に響く。船室のカテゴリーに明確なヒエラルキーのある客船だからこそ、無骨な客室から船旅のロマンが醸成されていく。小綺麗な風景よりも、錆び付いた手すりのほうが記憶の奥底にこびりつく。
着いたのは別府の早朝。3月の九州とはいえど、依然として冬と春の狭間の気候で、温泉に入るのにはもってこいの季節だった。自然のなかにある野風呂へと向かった。野風呂に温度調節など皆無で、源泉からの距離と、外気に晒す肌の面積で温度調節を行う。目に見える山は穏やかだが、この源泉の奥深くには、たしかに熱源があり、目には見えないエネルギー活動が行われているのが想像される。別府は火山活動が活発な地域であり、自然も生活も、そうした自然条件によって形づくられている。人間社会の抱えるエネルギー問題なんてどこ吹く風な、そんな莫大なエネルギーが地球の地下深く、いやほんの数10km深くで蠢いている。
鶴見岳という山がある。別府市を象徴するような山で、隣の湯布院との境に聳える山、もちろん火山。由布岳と相対すように聳える様は、とても厳かでもあり、またどっしりと見守られているかのような安心感もある。卒業旅行にわざわざ登山しようと思っていなかったので、ありがたくロープウェイを使わせてもらう。抜群の空模様、なにをするでもなく、硫黄臭の染みついたパーカーに身を包ませながら、ただただベンチで缶コーヒーを味わい、日向を浴びた。コーヒーもおいしいし、日向もおいしい。鶴見岳というのだから、かつてはここにも鶴が見られたのだろうか。
大陸性の地形とは違い、火山性の地形は山脈を連ねることがないので、展望が素晴らしい。九州の大地にぽつぽつと現れる山塊、阿蘇や九重の山並みが見える。麓の町は霧で覆われ、山頂の爽快感なんて知るよしもないだろう。以前に阿蘇の草千里を訪れた際も霧が充満しており、もしかしたらこの地域は地熱の関係なのか、地形の関係なのか、風の関係なのか分からないが、恒常的に霧が発生しやすい地域なのかもしれない。火山と霧、そして温泉。この土地の風土そのものを、遥か上空より偉そうに見下ろしていた。
霧と海が交わり、もはや境目がわからなくなっている。境目なんてどうでもいいかのように、空中の水分と海中の水分は親和性高く、風景として融合している。どちらも同じ水、かたちだけが異なる、本質的には同質な物質。霧は海になり、また海は霧にもなる。かつて人々は、こうした自然のせめぎ合いを神話になぞらえて受け入れ、現代における神話は科学に取って代わられた。それでもなお人間の想像力は死ぬことなく、人の表現は決して歩みを止めない。
対面に聳える由布岳。典型的な火山地形で、いまにも爆発しそうなかたちをしている。結婚する前に、妻が湯布院に旅行に出かけ、おみやげに由布岳に落ちていた石ころをもってきてくれた。持って帰ることが果たして良いのか悪いのかわからないが、その石ころは引っ越しやらなんやらでどっかにいってしまい、きっと我が家のどこかで、この火山エネルギーの一部を有した石ころが、静かに爆発の時を待っていることだろう。
どこのロープウェイに乗っても、ローカルな技術、時代の香りのするものが多く、船旅と同じくロマンを燻ってくる。海沿いの町に聳える山のため、ロープウェイの景色を遮るものがない。室内の密など気にする必要がなかったこの時代、密なロープウェイで硫黄の匂いを撒き散らす我々に、軽蔑の目線を寄せる人間なんて1人もいなかった。
このままロープウェイごと海に沈んでみたくなるような、そんな素晴らしい降下を経験し、再び地上へと降り立った。上空からはあれほど広く見えた景色が。地上からはほんの一部しか見ることができない。沈みゆく太陽の光が、山影より漏れ出でるのを眺め、ここからは見えない景色に想いを馳せた。
パーカーに染み付いた硫黄の匂いは、このさき何週間かとれることはなかった。