自然の暴威、それは人智の及ばぬ力【2013.08 八経ヶ岳】
南アルプスの仙丈ヶ岳登山以降、2014年夏までの写真データが吹き飛んでおり、ついぞ復旧できず。携帯データも漁ってみたが、どうやらこの時期は写真なぞ撮らん、おれは自然を感じるんやという無骨な登山スタイルをしていたようで、登山以外の写真しかなかった。したがって、この空白の1年は写真抜きにして、印象的な登山だけをピックアップしようと思う。
南アルプスを終えた後、私と砂丘(鳥取砂丘で仲良くなった友人)は大峰山最高峰の八経ヶ岳を目指した。大峰奥駈道で知られる修験道の一部。果ては熊野本宮大社へと繋がる遠大な巡礼道、山上の稜線を結ぶ参詣道のうちの最高峰が八経ヶ岳である。
車でのアクセス以外は望めないため、私と砂丘はあり金をはたいてレンタカーを予約し、登山計画を立てた。ところが登山予定日近辺の天気予報は雨、しかも台風が接近中だという。
レンタカーまで予約して、後に引く賢明さを持ち合わせていなかった私たちは、台風の上陸が遅れているのをみて、登山を決行した。大雨の夜、大阪を発つ。
登山口へと続く道路は狭く、奈良らしさを感じる。とこどころ土砂が崩れており、不安は尽きない。登山口付近まで近づくと、黒い野良犬が車を先導するかたちとなり、まるで冥府の番犬かのように思えてきた。天川のグリム。
登山口に着くと、複数台の先客がみられる。駐車場の管理人と話をし、午前中にさっと帰ってくるなら問題ないだろうとの話で、いよいよ決行することにした。
順調だったのは最初だけで、30分もすれば大雨が襲ってきた。登山道を瀧のような雨が流れ、どこが道かまったく分からない。安カッパでは何の機能も果たせなくなり、汗と雨でびしょびしょ。なんとか弥山まで辿りつくものの、辺りは横殴りの雨風で何も見えず。仕方なく避難小屋で休息をとった。このとき小屋でコンパスをなくしたのだが、果たしてまだ小屋にあるだろうか。いつの日か、本当に困って小屋に逃げ込んできた人の手助けとなってくれたらいいのだが。
服を着替え、エネルギーを補給し、退却の準備を進めた。さすがにこれでは山頂は望めまい。山を諦めた途端、すっと気持ちが軽くなり、登りのときの鬱々とした気持ちが嘘のようだった。
山で感じる天災。それは四方八方から人外の音が轟く自然の暴威。神に例えられたのも頷ける、人智を超えた現象。理屈を超えたもの。身体全身の毛が逆立つような震えが起き、痙攣が止まらなかった。凄まじい自然に触れられて、笑いが止まらなかった。
3時間以上も暴雨に打たれる経験も人生初めてで、身体に伝わる衝撃や雨の残像、全方位から聞こえる天災の音、容赦なく奪われていく体温、そのすべてが生きていることの喜びを伝えてくれているかのようだった。
こんな巨大な力、環境だの自然だの景観だの財産だのという小さな概念で論じること自体、いかに的を外れているか思い知らされる。もう本当に、笑うしかなかったのだ。自分たちの無力さと、自然の暴威、そしてあらゆるものに対する自然の無関心さ、そういう意味での平等さ、あらゆるものを意に介さず、自らの営みを訥々と進めるその淡々とした態度。創造も破壊も一切躊躇することなく、ただひたすら前に進む潔さ。現代にもこんな世界があったのだ。
テンションがおかしくなった私と砂丘は、大声でガオレンジャーの歌を歌いながら下山した。登山口近くの橋におじさんが待機しており、事情を一通り聞かされた。どうやら私たち二人を探しに登った人がいるらしく(避難小屋で休んでいたときに行き違いになったっぽい)、ひどく心配をかけてしまったみたいだ。
駐車場に戻ると、たくさんの登山者が待機していた。どうやら登山口までの道路が土砂崩れで通れなくなっているとのこと。峠を挟んで反対側の道路が使えないか、道路を管理している組織の担当者が確認中みたいだった。
職員さんの先導のもと、全員で隊列を組んで車を走らせた。無事下山し、川上村まで来た頃には天気は好転していた。とんでもない経験をした。
雨の残像と雨の音、それから雨に打たれている感触はしばらく抜けず、雨が上がってからしばらくの間は雨とともに生活していた(雨が降っていないのにワイパーを動かしたり、雨が降っていないのに傘をさしたり)。あの日みた自然の真意は、いまなお消えることなく、心に居座り続けている。