恋するフォーチュンクッキーが昔から大好き



AKB48の恋するフォーチュンクッキーが大好きだ。

自分でも何故だかわからないのだけれど、MVを何回も何回も齧り付いて観ていた。

アイドルのことを凄く好きになったこともなく、AKB48をしっかりと追ったこともない。

他の曲も好きな曲がある程度で、一般的な人たちと同じぐらいしか知っていることもない。

それでも″恋するフォーチュンクッキー″だけは何度も観たし、観る以前よりもAKBのことは好きになった。とても。

何故だかわからないが、ふと考えてしまうし、カラオケで流れたら画面に齧り付いてしまう。

今も、帰り道で大寒波が流れていった余波で冷え切っている寒空の下で指先を凍結させながらこんなnoteを書いてしまうほどに

いつか言語化したいと思っていたので、何故こんなにも心惹かれるのか、自分の気持ちを整理しながら考えてみたいと思う。

絶対に今じゃない。

でもなんか絶対に今な気もした。

多分、当時、俺は10代だったんじゃないだろうか、高校生とか、高校生終わったぐらいとかそのぐらいだった気がする。

初めて観たとき、本当に嘘偽り無しで泣いた。

号泣とかじゃないけど、ほんのり目頭が熱くなったのを感じて、その感覚に身を委ねてみたら、AKBのMVを観ながら泣いていた。

凄く好きなわけでもないし、オタクと名乗るのは勿論烏滸がましくて、そのことを誰かに言ったことは無かったけれど。

もしかしたらどこかで言ったかもしれないけど。

そんなAKBのオタクと言うほど想いが強くもない人間を泣かせるまでに至るのやっぱり、名曲たる所以なのかもしれない。

電車に乗って、目頭ではなく指頭が温まってきたので、ここからnoteを加速させる。

この速度の変化を読み手のみんなにもどうにか感じで欲しい。


また脱線してしまったけど

恋するフォーチュンクッキーのMVの良さを語ろう。

高校生の吉野おいなり君は、烏滸がましくも、目頭を熱くさせたその時、″AKBが名実共に国民的アイドルになった瞬間だ″と思った。

烏滸がましいが

そもそもなんの思い入れもない人間が泣くのって烏滸がましさからくる気もするが

何も感じずにただチャンネルを回していたらこの感動には出会えなかったわけで

応援しないよりは、その想いの大小に限らず、応援した方が良いと思う。

これまた烏滸がましくも応援される側になって本当にそう思う。

だから、少しでも感動して、この想いを待って、伝えることが出来るなら、俺は人間は烏滸がましい方がいいと思う。

まあそもそもこんな一つ一つの感動の邪魔をする奴は、排他的で器の小さい人間の「その程度でファンを名乗らないで」なんて言うカス文句だけだ。少数派のくせして声がデカい。

それでもその全てを清濁を併せ呑んで、国民的アイドルとしてムーブメントを作ったあの動画、あの歌に心が動かされる。

日本が本当に元気になっていくような。

それが作られた動画だとしても

作られたフェイクドキュメンタリーだとしても

高校生の男の子がAKBを目の前に喜び照れる姿

様々な職業の人たちが

恋するフォーチュンクッキーのダンスを踊る姿。

好きなものの為に全力になっている人

好きなものを見つめるその瞳

それがどれだけ美しいものかわからせてくれた。

何かを一生懸命に頑張っている人

何かを一生懸命に応援している人

好きなものに一生懸命になっている人は最高だ。

どうせ全員終わりが来るのだから、好きなものを目一杯好きになった方が良いに決まっている。

ミーハーとか、ノリがどうとか、周りの目とか、世間体とか

そんなのは器の小さい数少ないスピーカーから流しておいて

むしろそんな騒音もBGMにして

好きなことの為に好きなだけ踊りたい。

踊って欲しい。


あの瞬間、あの場所では日本は最高に景気が良くて

あの瞬間、あの場所では日本に生まれたことが何よりも幸福で

あの瞬間、あの場所では自分は誰よりも幸せで


だから、それを切り取って一生観れるし一生聴ける

後世に残してくれたのは偉大なことなのだ。

音楽に限らず

スポーツに限らず

ドラマや映画に限らず

漫画やアニメに限らず

何にも限らず

残ってくれたから
残してくれたから

俺は恋するフォーチュンクッキーを何度も観る。

振り付けを覚える気がなくアイドルのオタクでもないのに擦り切れるほどMVを観るのなんて変なことかもしれないけど

振り付けを覚えずとも、好きなものの前では体が震えて揺れる。

自分にそんな大層なものが作れるとも思わないけど

俺は一生、恋するフォーチュンクッキーに心震える人間かもしれないけれど

みんなでそんなに悩まず

好きなものを楽しもう

未来はそんな悪くないよ。

面白く無ければいりません!!!!