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【胸中】あの日泣けなかった話

昨年、ばあちゃんが亡くなった。
余命を告げられてからは五年以上生き、峠ですという医者の言葉を3度以上聞いた。
主治医もびっくりの長生きだった。

何度も峠を越えて越えて越えて、完全に油断してしまっていた時、ばあちゃんは亡くなってしまった。

あと一駅で病院の最寄駅につく時に訃報の連絡が来て全身の汗と血の気が引いていった。

あれだけ何度も峠を迎えて、その度に何度も何時間もそばにいたのに、本当の最後にだけ間に合わなかった。
その事が申し訳なくてさみしくて悔しかった。

それはずっと介護をしてきた父も同じだった。
「ばあちゃんらしいやん」と父は言っていたけどめちゃくちゃ悔しくて寂しかっただろうなと思った。

ばあちゃんは私にとって本当に太陽のような存在だった。




両親が離婚してから複雑な事情の末に母と暮らしていた私はよく母に殴られ、罵詈雑言を浴びせられた。
そして心がぼろぼろで空っぽになると、ばあちゃんに会いにいった。

「あんたがいると明るい気持ちになるわ」

「あんたはなんでも上手にやるね」

ばあちゃんは空っぽになった心に愛がたっぷり詰まった言葉をつめてくれた。
そしていつも「お母さんは元気?」と母のことも決して悪く言わず気にかけ続けてくれた。

今も私が元気に生きてられるのは、陰のような自分に陽の影響を与えてくれたばあちゃんのおかげだと思っている。
本当に太陽のような存在だった。

そんなかけがえのない存在を亡くした時、私は何故か涙が出てこなかった。
この数年で何人もの家族を見送ってきたけれどいつも葬儀のたびにハンカチがびしょ濡れになる程涙が出たのに、なんで、ばあちゃんの時だけ涙が出ないのか不思議で自分が怖かった。
そしていまだにあの日を受け止めきれずに、あの電車の中で携帯を握りしめてLINEの画面と電車の窓を交互に見つめた瞬間の事を思い出す。

私は全然まだばあちゃんの死を受け入れられてないんだと理解した。自分の感情を理解した途端涙がぼろぼろ溢れた。
スピリチュアルな事はわからないけど、もし幽霊がいるなら今ここにばあちゃんの幽霊がいて欲しいと思った。

こんなに大好きやったんやと、大泣きするアラサーの孫を見て笑って欲しい。知って欲しい。
うまく言葉にも表情にも出なかった思いが全部全部スケルトンになって見えていて欲しい。
心を読める幽霊になって私を見て欲しい。

そんな事も多分ないやろうと思うので、拙い言葉で文章にして書いて誰かに読んでもらえたらと思い立ちnoteと向き合ってみた。

同じような気持ちの人の肩に物理的に手を差し出す事は出来なくても、文章で寄り添えるかもと思って。あの日泣けたなかった自分の事を理解したら次はばあちゃんみたいにあたたかい陽のような人になりたいと思えました。



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