映画『ひとつのバガテル』感想

この文章はネタバレを含みます。敬称略

監督・脚本・撮影・編集:清原惟

 2年前に『わたしたちの家』を観てすっかり「ひとめぼれ」してしまい、清原監督の他作品も観たいと思っていたのだが、このたび出町座にて本作が待望の上映となった(〈肌蹴る光線 -あたらしい映画- 特集〉)。

 あらすじ。アキは古い団地のマリという老婦人の部屋を間借りしている。マリのことは好きではないが、昔からこの部屋にあるというピアノを弾くのは好きだ。ある日「あなたにピアノをあげる」という手紙を受け取るが、そこに記された住所の12号棟は存在しなかった。

 謎の手紙、マリの不可解な行動、ワケアリな彼女の孫、見え隠れする秘密組織の存在、部屋の中から見つかる古い楽譜や地図…ミステリアスな伏線が幾重にも張られ、それらはたいてい解き明かされることもなく宙ぶらりんになってしまう。人気のない古い団地の超現実的な雰囲気、部屋の暗がり、静寂を断ち切る不可思議なノイズが観る者を「彼岸」へといざなう。時々なんでそうなるんだ、というような不条理さも含めて(りんごとか、『わたしたちの家』のクリスマスツリーとか)僕はたいへん好きだ。

 そしてこれは音大に行けなかったアキが自分なりに音楽に向き合う物語でもある。ひとつは10年も練習しているというベートーヴェンのバガテル。もうひとつは撮影中の写真家のためにレコードをセレクトする仕事(名曲喫茶ライオンの雰囲気がまた超俗的で良いのだ)。面接で「BGMを選ぶんですか?」と尋ねたアキを「何を言ってるんだ、音楽は常に中心にある」と窘める写真家。その台詞で僕が思い出したのは、『わたしたちの家』における2つのプロットが「追っかけっこ」しながら進行していく構造が、バッハのフーガで暗示されていたこと。清原監督は音楽の形式をヒントに映画を創造しているのかもしれない。ではこの映画はどうか?「辿っていくとスタートに戻る地図」というのはもしやフランクの「循環形式」をヒントに…というのは考えすぎだろうが、いろいろ深読みしたくなる映画ほど僕にとっては楽しいのです。

(8/22 出町座にて鑑賞)


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