機動戦士Gundam GQuuuuuuX beginning見た(ネタバレ注意)
前半は完全に庵野秀明がやりたかったことだろうな、という感じで、ある種のオタク共感性羞恥と、嫉妬にも似た感慨を同時に抱く。こんなことやっちゃうんだ、おほほ、という感じ。そりゃここまで好き勝手できるのなら、やるよね、という。アムロの声優問題がこのプロジェクトの実現にどうかかわっているのかがゴシップ的に気になる。ところどころにいつもの節(口元を隠した顔面アップと同時に、意味深で何か物騒なことを予感させる新出単語をつぶやく、といったような)があって面白い。架空戦記は好きだから楽しめた。
後半は「最近のアニメ」感が、いい意味でも悪い意味でもあった。良い意味としては音楽と映像のマッチと美しい映像美。可愛い女性、ジェンダーへの目配せ(そこも一点文句があるが)。悪いところだがまず、主人公とロン毛の美少女の、互いへの関わり方がなんとも不自然だった。説明が不足しているというか、そんな仲良くなれるか? あのロン毛の女(ただのお金の無い美少女、ということ以上のことは分からない)と仲が近寄る作劇上の理由も示されず、なんなんだ、可愛いからまあ映る分には良いけれどさ、という。
同じことは主人公がガンダムに乗る動機についても言える。娯楽目的でもなければ、納得のいく切迫性・緊急性・必要性があったわけでもない。後半、戦間期の平和時代におけるアンダーグラウンドの娯楽としてモビルスーツの格闘戦がある種の必要悪的なものとして社会に流通している世界であることが示され、それによってこの世界のこの時代の人間にとっては、モビルスーツに乗ることと殺人は必ずしも紐づいているわけではないのであろうと想像させられる。ジオンの軍人に目を付けられた主人公が戦争に身を投じていくであろうことは間違いないので、民間人が兵士としての覚悟を決めていく悲哀などはむしろこれから描かれていくのだろう。しかしそれでも、あの危険な状況の中で兵器に乗ることを躊躇しない女子高生という像は、同時に描かれているごく普通の社会(きわめて徹底的に明示的に意図的に現代的な文明文化観で、それもSF考証的にはどうなのかという気もする。例えばジェンダーについて、0085年の艦橋においてはメンバーは露骨にジェンダーバランスを意識した構成となっているが0079年から5年であそこまで行くか?)を生きる女子高生の姿とは、少なくとも何かしら批評的変換手続きを経ない限りは接続や同居がし得ないように思える。
例えば、この日本的な文明文化の流入が、シャアが巻き込まれた謎現象による時間や歴史のもつれがあーだこうだでどうのこうの、という設定が後々明かされたりするのだろうか。そうなってくるのであればそれはそれで面白いかもしれない。あるいは過去文化のリバイバルブームである、とか。しかし後だしで言われるよりは話のなかで自然に説明してくれるのが、一番うれしい。
ニュータイプやその周縁のオカルト現象が、エヴァで言うならば旧劇的ではなく新劇的に使われているように感じられたのも、ちょっと苦手だった。SF的オカルトというよりは、スーパーロボットもの的オカルトということ。
繰り返される「マブ」という言葉への違和感を後々に回収する流れは、その意図は理解するものの効果的とは思えなかった。
キャラは可愛かった。歌も良かった。コロニーの描写は凄くよかった。きれいだった(こなみかん)。
おそらくアニメ本編自体は余り合わないものになる気がしている。それでも、最初の放映を見てみようとは思わされたので、俺に対しては宣伝が成功したと思われる。