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大切な人のため=私のため


可笑しいよね、好きな人のためだったら全力で頑張れちゃう。

今まで「頑張る」と言っても何をすればいいのかさっぱりわからんというのが現状であった。
ただ闇雲に頑張るっていうのは難しい。
なんでかって、目的とかモチベーションみたいなものがみえないから。
でもそれって、たぶん、自分に対するメリットを考えてたからだと思うの。

でもさ、なんか、この人達のために頑張りたいって強く思った。
そしたらなんでも出来そうな気がしたの。
ふと、
「ああ、そっか。そうだ、そうだった。私は、大切な人のためだったらどこまでも行ける人だった。
そういう人間なんだわ。」
って。


自分のためだと頑張れないってわけじゃないんだけど、ただ得意ではない。(実際、自己愛を手に入れるのに3年かかったくらいだ)
だが、比べてどうだ。他者のためだと有り得ないぐらいのパワーを発揮してしまう。
これは自分でもよくわからない。
自分はそんなつもり全くないのにそう言われる。
たぶんこれが私の得意な事なのよね。
得意な事って自分ではあたりまえに感じる事が、他人に褒められたりする事らしいし。
苦手な事を伸ばすより、得意な事を伸ばした方が逸脱した強みになる。

だから、私の大切な人たちのために、私は頑張らなくちゃならない。これは、私のためでもあるの。



私、気づかなかった。
私のスイッチは逆だった。


私のため=大切な人のため 
ではなく、
大切な人のため=私のため



なんだ。
自愛は他愛なり
他愛は自愛なり
そうだね。
きっと、自分を愛せた今こそ、私の本質である利他主義な才能を開花させる事が出来るかもしれない。
きちんと、倒れず、自分の足で立った状態で私の強みを活かす事がもしかしたら出来るかもしれない。

これは私のため、やらねばならない。



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