サラリーマンを退職するまで
twitterから見に来る人は、FXやバイナリーオプションに興味がある人が多いと思いますが、noteから見に来る人は色々な人がいる事がわかりました。
私はサラリーマンして起業し独立、FX専業と大きく3つの仕事をしてきました。今現状でサラリーマンの期間が一番長いです。
入社当時は、定年まで勤めると思っておりました。結婚しマンションを購入し、子供も生まれ、このまま住宅ローンを払っていく予定でした。
時代も転職ブームがあり、バブル崩壊など、終身雇用と言う概念が薄れてきておりました。
お盆に学校の同期会があり、会場まで4人で車で移動したときに、私以外みんなサラリーマンを辞めて起業していました。これに刺激を受けて、会社に戻るなり辞表を出しました。
すぐに受理してもらえず、引き止められましたが、決めた事は通すタイプなので、上司を説得しましたが、すんなりと行かず。
そして、交換条件をして、いったん会社を辞めるのを保留しました。その交換条件は、移動し本社勤務にしてもらう事です。
当時私は、役職になっており、次は課長になる寸前でした。会社の評価も良く最短で昇進していました。
昇進は職務評価(80点)+技術活動(20点)で毎年評価され、毎年階段を1つづつ上がって行く方法です。途中で2回、1段飛ばし出来るステージがあります。
平社員から副主任に上がるステージと、副主任から主任に上がるステージです。
私はその2つのステージで1段飛ばししており、同期の人から一歩上を行っていました。2年先輩の人と同じレベルまで上がってました。
1段飛ばしが出来るステージで、技術活動を頑張ったんで当然とも言えます。
技術活動は、技術報告書、英文全訳、特許出願、情報処理技術者試験合格など、仕事以外の活動です。更に、仕事の功績の表彰や改善提案の表彰なども加点されます。
20点以上は点数にカウントされませんが、私は47点くらい取っていました。他の人は計算して、20点確保したらそれ以上活動してなかったのですが、私は一人飛びぬけ、誰にも文句言わせない様に昇進してきました。
特許って簡単に出願できるの?と思うかもしれません。私はネットワーク技術に関しては、それなりに有ったので、図書室行って公開技報を見て、自分が知っている技術を拾い集め、その技術からの改善を見つけるだけです。
無限にある情報から1つ見つけるだけなので、出せと言われたら1週間で出せました。しかも正味8時間くらいの作業です。
そんなんで、会社の評価も良く、常にリーダーで、次期課長、時期部長を言われていましたが、それが退職すると申し出たんで、会社もざわつきました。
周りの人や同僚も、昇進のレールに乗っているのに、なんで辞めるの?と不思議がってましたし、考え直す様に言われました。
引き止め工作にあいましたが、上司を説得し、交換条件として本社勤務に移動できたのですが、それなりの立場で仕事をしていたので、引継ぎ期間が4ヶ月かかり、晴れて本社勤務です。
本社ビルは、40階建てで、エレベーターが26基ある、みんなが知っている大きな会社です。そのビルだけでも万単位の人が仕事をしています。
社員食堂は3つあり、売店、医務室、歯医者、床屋など揃っています。執務中に、歯医者に行ってくるのも許されるんです。
私は本社勤務後に晴れて退職する事が出来ましたが、その時の退職も色々揉めました。
不況のおり、関連会社を含めて18000人の早期退職者を募集したんです。私はすぐに手を上げ、応募しました。
すると、「あなたはダメ」と言われました。辞めるなら、「早期退職者制度は使えない。一般退職になる」と言う意地悪を言われました。
早期退職者制度を使うと、退職金がたくさん出ます。しかし自己都合の一般退職だと少ししか退職金が出ません。
ここでも引き止め工作にあいました。
真面目に仕事して貢献してきた人が、意地悪言われて引き止められ、有給休暇を全て取ってきた同僚があっさりと辞める事が出来て、なんて理不尽だと思いました。
これは戦わないとならないと思い、まずやったのは、有楽町の交通会館にある、総合労働相談コーナーに相談する事でした。
そこに出向き、会社を辞めさせてくれないと相談しました。色々なパンフレットを貰い、ここで相談したエビデンスを確保。
相談コーナーの人には、
「ここは、不当解雇される人が相談に来るところで、辞められないという相談に来た人は初めて」
と言われました。
総務部長やら総務課長に呼ばれ、ホテルで食事しながら話をする事になり、私の思いをエビデンスをもとに、説得し晴れて退職が認められました。
ギリギリ務められる3月31日付けでの退職です。
すると、4月以降も仕事してくれと言う話になります。私は本社に移動する前に、既に自分の会社を登記していました。
その会社に仕事を発注するから継続してくれとの事です。すぐにやる事も無かったので、月100万円で仕事しました。
仕事内容はSEです。お客さんのところに行き、やりたい事、実現したい事を聞いて、それをまとめ仕様書を作り、プログラムを制作する人に作ってもらいます。お客との間を取り持つ仕事です。
仕事の中には、日限と言うものがあるので、工程管理をしたり、人が作業するので、その工数を見積もって、それを請求することなど、多岐にわたる仕事が出来ないとダメです。
プログラマーは、仕様書通りコードを書いて、デバックして完成ですが、SEは、その仕事全体を見ていないとならないです。日限を守る事や作業工数のチェックや実際にかかる工数の見積り、お客さんの要望を実現できるかの見極めなど、総合力が問われます。
日限が守れない、作業工数が余計かかった、工数の見積りをミスした、お客さんの要望通り出来ていない、などこれら全部の責任をSEが持つので、大変な仕事だし、出来ない人も多いです。
SEが出来る人なら、起業してIT会社を回せると思います。でも単なるプログラマーは、出来ないでしょう。
退職して、さらに自分の会社に月100万円で仕事を発注され、続けていましたが、会社に出社するのは、週2回で、週8時間勤務。月32時間しか仕事しないで、100万円ってすごく効率の良い仕事でした。
発注する側も、それが高いと言わなかったし、当初は120万円だったのが、私がそんなに仕事量無いから100万円で良いと言ってなった金額です。
数ヶ月すると、大して仕事してなくて高給の私が面白くないという人が出てきます。SEの仕事をしたいという人が、私に仕事を取られています。
プチいじめされる様になり、この仕事も辞める事にしました。
6月14日付けで仕事が終わり、私は6月26日に渡米して、仕事探しの旅に出ました。このころは新なスタートで希望に満ちてました。
カルフォルニアの青い空の下で、新たな起業の内容を探しました。そこで大勢の友人をつくる事が出来て、新たな人生がスタート出来ました。
※トップの写真は、ロサンゼルスからボーダーを超えてメキシコに入ったところです。
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