消費型モデルはダサい
※注意※ 偏見に満ち溢れております。閲覧は自己責任で。
最近、様々なコミュニティの方々とお会いすることがある。
その時に率直に感じること。
・スタートアップ系のコミュニティ
・ものづくり系のコミュニティ
→これらはとても生き生きとしている。
こちらもそこからエネルギーをもらえるし、毎回何かしら良い縁がある。
・NPO系のコミュニティ
・サラリーマンが多いコミュニティ
→これらはとても停滞感がある。
一括りにしすぎ、ということはあるのだろうけど、
なんかうまく言えないんだけど、一言で言うとダサい。
でも、これって何なのだろう。
1. 消費のモデル
一時期、自分の起業モデルとしてNPOの形態を考えたことがあり、
そこでいろいろ調べた結果感じたのが、
NPO=助成金・補助金目的の社会福祉/厚生団体
ということだ。
もちろん、全ての団体がそうと言うわけではないけれど、
「社会のためになることをしてます。だから補助金ください。助成してください。支援してください。」
っていうのが多くのNPOの基本スタイルなような気がする。
で、同じような目的のNPO団体が複数立ち上がり、その活動目的のための補助金や助成金を食い合っている、そんなような実情を感じたのだった。
実はこれって、端的に言って、補助金とか助成金とかの消費をしてるだけで、新しいものの生産や再生産をしてないのではないかと思う。つまり消費して、消費して、の一方通行。
対照的に、ソーシャルビジネスは、同じように社会課題に取り組みながらも、再生産をして(つまり新しい需要と利益を生み出す)、経済的にも自立を目指す。こちらは生産のモデルと言えるだろう。
中年サラリーマンコミュニティもやはり同じような負の匂いを感じる。
なぜか。彼らは確かに仕事をしている。けれど本当に生産しているのは会社自体であり、彼らはそこにぶら下がって会社のリソースを消費して生きている場合が多い。
もちろんすべてのサラリーマンがそうというわけではない。
けれど数多いサラリーマン、実際にデキる優秀な人はほんの一握りというのもまた事実で、仕事はデキないのに会社の看板で食ってる人は圧倒的に多いのではと思う。
同じことは、選挙で比例復活当選し、不祥事を起こして離党するけど「議員としての職務に全うしたい」とゴネて議員の地位にしがみつく国会議員にも言える。
繰り返すと、彼らは自らは生産する努力をせず、ただただ消費することだけをしている。NPO助成金・会社の看板とサラリー・議員報酬を。
くれくれ主義。だからダサい。
2. 生産のモデル
スタートアップ系にも、ものづくり系にも、もちろん当たり外れはある。
それらには不断の意思を要するから、それが無いエセ者も多く存在する。
ただ、エセ者を除けば、基本的に自分で何かを生み出して生計を立てていこうという人々だ。
だから彼らは格好いいし、こちらが生産モデルなら理解・協力を惜しまない。彼らは無責任に途中で投げ出す姿を見せることは滅多に無い。
自らがお金を生み出すことを至上とする。
彼らの姿勢にはエネルギーがあるのだ。
3. 無報酬仕事の使い方
面白いもので、例えば同じ無報酬の仕事をしたとしよう。
スタートアップ直後は、ある程度の無報酬業務も有効だったりする。
生産モデルのコミュニティでそれをした場合、それは必ず次につながっていく。その仕事は無報酬でも、人との繋がりができたり、次のより大きなプロジェクトのきっかけになったりと、次のより大きな生産への呼び水となっていくのだ。
一方消費モデルのコミュニティでそれをすると、それは次につながらないどころか、彼らはそれを無料の労働力とみなし、当然のようにこちらのリソースを永遠と吸い尽くし、最終的には責任逃れもする。
つまり、消費モデルは極論すると、乞食のようなものだ。
繰り返すと、乞食に一度優しくすると集られ続けるように、消費モデルのコミュニティには一切のリソースを割いてはいけない。NPOやサラリーマンコミュニティには。
NPOの場合。もしかしたら何らかの提携ができると考えることもあるかもしれない。けれどそんなNPOに当たる確率は極めて低い。彼らは結局自分たちがどう支援されるかにしか興味はないし、いざとなったら補助金に逃げ込めるから、スタートアップが抱えているような危機感やスピード感を共有できない。
サラリーマンの場合。相当有能な人でない限り、権限もないし、責任感もない。いざとなれば彼らは会社の看板に逃げ込む。軽口が多いのも彼らの特徴だが、実行されることはほとんどない。あるとすれば、それはその会社がこちらのスタートアップを乗っ取ろうとする場合くらいだろう。
まとめ
・乞食(消費モデル)のコミュニティには、関わらない、助けない、協力しない
・消費のモデルに将来性は無い
・生産のモデルを目指そう