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江戸時代あたりからの薬局の歴史を振り返る
こんにちは!大井田薬局です。
大井田薬局はそろそろ100周年を迎えるかなり歴史の長い薬局です。
先日、店舗でレトロな薬の容器を見つけてこの時代ってどんな薬局だったんだろうな…と思いを馳せてしまいました。
ということで、薬局の歴史を一緒に紐解いていきます。
江戸時代の漢方薬局から始まり、明治維新での西洋医学の導入、昭和の戦争と高度経済成長期を経て、令和のデジタル時代に至るまで、薬局は常に時代と共に進化し続けてきました。
紹介していきます!ぜひ最後までお付き合いください!
江戸時代のお薬事情
江戸時代の薬…といってもあまり聞きなじみがないかもしれませんが、結構身近な存在だったみたいですね!
例えば、水戸黄門の印籠「この紋所が目に~」のアレは、実は薬入れだったとか。
現在でいう、ピルケースみたいなものが当時すでにあったんですね!
あの頃の薬局は「薬屋」などと呼ばれていて、薬もほとんどが自然由来。植物や鉱物、動物の一部などを使ったいわゆる「生薬」がメインだったようです。
どんな薬が売っていた?
薬の種類もまた興味深いです。薬種問屋から生薬を仕入れて、百味箪笥(ひゃくみだんす)なんていう引き出しの沢山あるタンスに入れて保管していたみたいですね。
想像が難しい方はジブリ映画の千と千尋の神隠しに出てくる、くもじいのシーンを思い浮かべてください。手は2本しかありませんが、あんな感じで当時は治療をしていたのではないでしょうか。
適当な加減で物事を行うことを「さじ加減」、取り組んでいたことをあきらめることを「さじを投げる」なんていいますが、これは、当時薬を調整する際に使用していた薬匙(やくさじ)に由来するといわれているんですよ!
すでに、風邪や腹痛、皮膚病などの症状に合わせた特定の薬もあったようですね。現在でも使用される「葛根湯」や「小柴胡湯」などは当時から使用されていたみたいです。
現在にも通じる江戸時代のお薬事情でした!
一度でいいから百味箪笥で調剤してみたい…。
明治時代の西洋医学の導入と近代的な薬局の誕生
文明開化が与えた影響
「薬剤師を何と呼ぶかもわからず、調剤は無茶苦茶であった。棚の薬びんにはラベルがほとんどなく、貼ってあっても、書いてある薬品名はでたらめであった」ミュルレルらは、医療は医師と薬剤師を両輪として成り立ち、薬学教育が急務であることを政府に強く進言しました。これを受けて、1874(明治7)年に制定された『医制』にはこう記載されています。
「医師タル者ハ自ラ薬ヲ鬻(ヒサ)クコトヲ禁ス 医師ハ処方書ヲ病家ニ附与シ相当ノ診察料ヲ受クヘシ」
「調薬ハ薬舗主薬舗手代及ヒ薬舗見習ニ非サレハ之ヲ許サス」
「処方書」は処方箋(しょほうせん)、「病家」は患者さんのことで、処方箋を出して診察料を受け取るという今日では当たり前の医師の姿が、あるべき姿として描かれています。
「薬舗主」は薬剤師で、1889(明治22)年の『薬律』制定とともに、本格的な薬事制度が導入され、薬局、薬剤師の呼称が用いられるようになります。
明治時代の薬局についてはどうでしょうか?
この時代は、まさに日本が大きく変わった時期でした。明治維新により、封建制度が廃止され、西洋文化や技術が急速に取り入れられました。これを「文明開化」と呼びますが、その波は薬局業界にも大きな影響を与えました。
江戸時代には、薬局は主に漢方薬を取り扱っていました。しかし、明治維新以降、どんどん西洋医学が導入され、西洋薬の需要が急増したようです。
明治6年には、第一大学区医学校(今の東京大学)に製薬学科が創設され、本格的な薬学に関しての教育が始まったといわれています。
また、現在は化粧品を主に扱っている「資生堂」が、洋風調剤薬局として創業したのもこの明治時代です。洋風調剤薬局…行ってみたいですね。
役割も変わってきた
医薬品の性状及び品質の適正を図るため定めた医薬品の規格基準書を【日本薬局方】といいます。
この日本薬局方が初めてつくられたのも明治時代なんですよ!
いろいろ現在の基準に整備されてきたってことですかね。
厚生労働省によると、初版は明治19年6月に公布されたとのことです。
…もはや西暦何年かわからない…。
※1886年だそうです
また、【薬局】【薬剤師】と呼ばれるようになったのもこの時期のようですね。
明治時代の薬局は、現代の薬局の基礎を築いた重要な時期でした。
昭和~高度成長期と薬局の急増
昭和初期
昭和初期もお薬事情を語るうえで魅力的な時代です!
このころ、強力わかもとやキンカン、サロンパスなど現在も販売している沢山の薬が発売されました。
戦争の影響もあり、企業活動が一時止まってしまったのは残念ですが、それでもしっかり現在まで残るブランドがあるのはなんだかうれしいです。
高度経済成長期以降
戦後の復興期、特に高度経済成長期になると、薬局業界は大きな変革を迎えました。経済が急速に成長し、人々の生活水準が向上する中で、薬局や医薬品も様々な変化、進化があったようです。
栄養ドリンクの「リポビタンD」が発売されたのもこの時期ですね!
高度経済成長の時代…毎日仕事に追われてたサラリーマンの心に刺さったのでしょうか。
ユンケルやチオビタ、エスカップなどもこの時代に販売開始されたようです。
また、高度経済成長期には、薬局の経営形態も変わりました。
1970年ごろからチェーン店やドラッグストアが登場し、より多くの人々にサービスを提供するようになりました。
生活用品も購入できるという利便性もあって、どんどん店舗数が増えていったようです。
昭和時代の薬局は、日本の経済成長とともに進化し、現代の薬局の基礎を築いた時代でした。
本格的な調剤薬局は、まだ存在が大きくないですが、市販薬に関してはこの時代の流れが現在も続いているのではないかと感じます。
現代の薬局の進化と地域社会への貢献
調剤薬局がものすごく増えた
さて、現在の薬局事情はどうでしょうか!
現在では、薬局=調剤薬局と考える方も多いように感じます。
でも、病院で出された処方せんを持って、薬局に行って調剤するというシステムは実は昔からあったようなんです。
本格的に調剤薬局が盛り上がり始めるのは1990年代以降で、それからどんどん店舗数が増えていきました。
今ではなんと、コンビニより店舗数が多いといわれています。
それだけ需要が多かった…とも言えますが、あまりに多い調剤薬局。少し淘汰もされていくのかもしれませんね。
オンライン?AI?
ここ何年かの薬局について話しましょう。
最近の薬局は、まさに技術の進化とともに大きく変わりました。昭和や平成の時代から比べると、圧倒的にオンライン化とデジタル技術が大きな影響を与えています。
まず、インターネット環境の整備が大きな変化です。
忙しい現代人にとって、インターネットを通じて情報が簡単に調べられるのは非常に便利ですよね!
市販薬は自宅に届けてくれるサービスも充実しています。
また、オンライン診療やオンライン投薬など、医療の環境も徐々に変わりつつあります。
私も正直ついていくのがやっとですが、大きな流れとして確実にオンライン化はやってくると思います。
特に、遠隔地や移動が困難な高齢者にとっては、在宅で薬が手に入ることは大きなメリットです。地域の健康に貢献するためにも頑張っていきたいですね。
AI技術の導入も進んでいるようです。
AIが患者さんとの話を要約して薬歴として記録してくれるサービスや、処方箋の入力をAIが文字を読み取り行ってくれるサービスなど…
すでに、色々な部分でAIが活躍しているみたいです。すごいぞAI!
令和時代の薬局は、AIなどのテクノロジーと融合し、ますます便利な存在へと進化しています。
薬剤師がAIに取って変わられる…とは思いませんが、強力なサポートになるのは間違いないですね!
まとめ
いかがだったでしょうか!
薬局の歴史って面白いですよね。
まだまだ面白い話は沢山ありそうなので、「薬局 歴史」などで検索してみると面白いかもしれません!
私も今回の記事作成にあたり色々調べたのですが…
江戸時代以前や、海外の薬局の歴史についても気になってきてしました。
また機会があれば記事の題材にしてみたいと思います!
この記事が皆様の薬局への関心につながれば幸いです。
それでは、また次の記事で!
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