松井くん
〜少年おいちょがゆく〜
最初の投稿は、私の昔話をすることにします。
私がまだ小学三年生だった時の話です。
当時、父が転勤族だったこともあり、様々な土地に移り住んでは
引っ越す、を繰り返していました。
友達もそれなりにできて仲良くはなるんですが、
悲しいかな、新たな土地に行き時間が経つにつれて徐々に連絡する回数は減っていきました。
ものすごく楽しかったのに何故だろう。
短く微かな美しい思い出だけが今も記憶の片隅に居座っています。
そんな別れを幾度か繰り返し、また新たな土地、北海道は「札幌市」に引っ越すことになった私。
早速、親に連れられ転校先へ挨拶に行きます。
期待よりも不安の方が大きかったことを覚えています。
なぜなら、新しい同級生とはいえ見ず知らずの他人たち。既に出来上がっている輪の中に入るには、物凄く勇気がいります。
クラスには何人いて、どんな子がいたなど細かい記憶は殆どもうないのですが、
その中に一人、一緒にいてなんとなく気が合う男の子がいました。
それが「松井くん」でした。
彼のことは"まっちん"と呼んでいました。
帰る方向が一緒だったということもあり、まだ慣れない帰り道を一緒に歩いてくれました。
「分からないことがあればなんでも聞けよ」と言ってくれたり、今思えば兄貴分のような存在でもありました。
彼のおかげで、新しいクラスにも徐々に慣れていきました。
ある日、家に遊びにおいでよと誘ってくれました。
どんな流れでこの話になったのか覚えてませんが、
好きな音楽の話題になりました。
彼と私の音楽の趣味はびっくりするくらい似ていました。
私はえらく感動してしまい、思わず「出会えてよかったよ!」なんて熱い言葉を発してしまいました。
というのも、その選曲の渋さといったら小学三年生とは思えないものでありました。
その曲とは
・米米CLUB…君がいるだけで
・槇原敬之…もう恋なんてしない
それまで周りの他の友達にそれを言うと
知らない! 誰? なにその歌!?
と返されていました。
きっと私の趣味はおかしいのだ、、、
流行りの歌を聴いて周りと合わせなきゃ、、、
気の弱い私はそんなことばかり考えておりました。
※当時は大塚愛、バンプオブチキンなどが流行っておりました。
その中に現れた救世主のようなまっちん。
私を肯定してくれたように感じました。
有り難かったなあ、少年おいちょはしみじみ思うのでした。
その後、小学五年生の時に彼は転校することになります。
彼の両親もまた転勤族でした。
あのときまっちんと語りあった時間や、趣味を理解し共有しあえた感動というのものは、いつまでも私の中に残り続けることでしょう。
彼もまたどこかで元気でやっていてほしい。
そして、今も音楽が好きなままでいてくれたらなお嬉しいなと、そんなことを思う木曜日の夜であります。
この経験は、今の私の人生に影響を及ぼしていると言っても過言ではないくらい、心を揺さぶられたものでした。
音楽は素晴らしいですよね。
私は心からそう思います。
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