社会人10年目の美
介護の仕事をしている。
この仕事をとても気に入ってるのだけど、気に入ってる理由の一つが
「ビジュアルを褒められる」
ということにある。
きれいねぇ、かわいいねぇ、素敵ねぇ
といったふわっとした褒め言葉はもちろん、
・この村で1番の美人
・人生の疲れというものをまるで感じさせない美しさ
・まだあどけなさの残る清楚な顔立ち
・顔を見るだけで心に爽やかな風がふくようだわ
・こんなお姫様みたいなきれいな人に優しくしてもらってねぇ…(ここで泣き始める)
・(職員さん、と呼ばれて振り返ると)あんまり美人だったから言いたいこと忘れちゃった
・(薬を手渡すシーンで)美人がきたもんで手が震えちゃうなぁ
といった日常でなかなか聞けないような褒め言葉も毎日のようにいただく。
(最後の2つはいつも忘れてるしいつも震えてる)
・・・満更でもないとはこのこと。まじで仕事がんばれる。
疲れ果てた夜勤明けの朝でも、「あなた美人ねぇ」と言われるだけで、メーガン・トレイナーなみに自己肯定感がアップする。
そんなわけで夫に「今日はこんなこと言われた」「新しく入った人にも褒められた」とウキウキ報告していたら、夫が嫌なことを言い始めた。
「でも、いっしょに働いてたときはそんなことなかったよね」
「おいちゃんが美人って聞いたことないもん」
人が喜んでるのに水をさしやがって。でもその通りである。
今から10年前、夫と同じ介護施設で働いていた。大学を卒業したばかり、若くて希望に溢れた23歳。
若いねえかわいいねえとは言われていた気がするが、美人と言われた記憶は確かにない。
顔の造形そのものは変わっていない。むしろ肌や髪のツヤは失われ、マスクで隠れない位置にクマがくっきり、目を見開くとおでこにシワがよるようになってきた。
それでも、それでも今の方が圧倒的に外見を褒められるということはだ。
台風一過の空が輝いているように、
寒さにあたった野菜が甘くなるように、
いろいろと経験してきた30代の「渾身の作り笑顔」がはなつ美しさというものがあるということだろう。
人生の疲れを感じさせないと言われても、実際には疲れ果てている。
それでも笑顔でがんばる私はやはり美しいのである。
この理論でいくと、歳をとるごとに、大変なことが起きるたびに、私はどんどん美しくなっていく。がんばっているうちは。
若い頃は美人ではなかったのだから、歳をとるのも悪くない。
そして、介助が必要な身になっても、「あなた美人ね」の一言で、疲れ果てたアラサーをメーガン・トレイナーにする力があるという事実も、覚えておいて損はないだろう。