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タイムカプセル

季節の変わり目で楽しみなこと。
それは昨シーズンから眠っていた、洋服のポケットに残したレシートを見ることだ。

過去の自分がどこで何をしていたのか、日付から詳細な時刻までが記されたそれは、かつて過ごした何気ない日常を鮮やかに思い起こさせる。

特に東京に来てからというもの、大阪で遊んでいた自分の痕跡がレシートに刻まれているのを見る度に、ノスタルジックな気分に浸っていたのだ。

別に敢えて残しているわけではなく、ただゴミを捨て忘れるという怠惰が講じた楽しみである。
「怠惰が講じた」などという日本語、使う機会はこのnote以外に存在するのだろうか。

先ほど少し散歩に出かけようと、コーチジャケットを羽織った。
久しぶりに袖を通し、その軽さと暖かさに改めて感心しながらポケットに手を突っ込む。

左手に感じる、丁寧に折り畳まれた感熱紙の感覚。

ツルツルなのかシワクチャなのか、不思議な手触りのそれを引き抜くと、近所のマクドナルドでポテトを食べたときのレシートが出てきた。

確か友人ともんじゃ焼きを食べて、そのまま家に帰る途中で買ったっけか。きっと少しテンションが高かったのだろう、シャカシャカポテトのシーズニングもご機嫌に名を連ねている。

そうか、と思った。
私のクローゼットにズラリと並ぶ、春秋のジャケット達には、きっともう東京のレシートが眠っている。

東京に来たのは4月末。
ちょうど半年ほど前だった。

今や生活にも徐々に慣れ、休日には足を伸ばす余裕も出来た。
定期的に感じる孤独すらも、もはやルーティーンのようなものである。
と同時に、独りというのは何かあったときに心許ないというのも強烈に味わった半年間だ。

近所のお店で「この間引っ越してきて…」と言わなくなってきたのも最近の事。
もはや新参者ぶるのも恥ずかしくなってきた頃合いなのである。

気づけば、この新生活を振り返るところまで来ていた。
いつも予期せぬタイミングで現れるタイムカプセルは、残酷に時間の経過を突き付ける。

もうしばらく、近所のレシートが続くだろう。
激しいアップダウンを乗り越えながら、
加速する時間に必死をこいて着いて行くだけだった毎日の隙間を、
この冬はゆっくりと思い出すことにしようと思う。


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