暁の星を仰ぎて
【暁の星を仰ぎて】(阪神大震災被災生物追悼巡礼行)から
多くの人々の人生を一瞬で変えた、1月17 日午前5時46分(1995・平成七年)
毎年この日は、各地で追悼行事が営まれ
静かな祈りが捧げられます。
☆【暁の星を仰ぎて】阪神大震災被災
生物追悼巡礼行(遥かな友に♪played Ocarina by Akira.U)
:https://youtu.be/GANEKKg4w1Y
「お父さんに合掌〜〜震災が再会の場になるとは、不思議なことでしたね。…」
そう労(ねぎら)いの言葉を下さったのは筆者の音楽理論や指揮法を教えて下さった 元 合唱団指揮者の 渡辺 寛先生。
中学時代に父の居場所が不明になって以来、26年目のこと、
【阪神・淡路大震災「石川県出身者で亡くなった8名」】
の見出しによる新聞紙上(夕刊)で、父と長年ぶりの対面(再会)でした。
【風化させないで、阪神・淡路大震災】
そう言われ始めた頃、遠方から一通の手紙が届きました。
小笠原の父島で活動を共にした、旧友のチエさんからです。
「今日はお父様のご命日ですね。改めてご冥福をお祈りします。」
感謝と共に当時のリアルな状況が甦り胸がつまる思いでした。
1980年に「ほうき星号」(手製7m小型帆船)で太平洋を南下、小笠原父島に上陸し生活をしていたとき、ネイティブな島の文化を基に、自立活性化を促進しようと、【小笠原文化振会】を立ち上げました。
きっかけは、日本の科学技術庁が島にやって来て「小笠原近海に核廃棄物の海洋投棄をする」ための説明会を開いたことからです。
志ある仲間と共に、チエさんも誠意ガリ版刷りの啓蒙冊子【夢有民】の編集発行を手伝ってくれた同志です。
当時、震災が起きる直前まで、徹夜で土笛の製作と、《土ひとにぎりの革命「土の音普及会」設立趣意書》を書いていました。
居間の囲炉裏の炭火で、自作のオカリナ
を焼きつつ、独学で試行錯誤を繰り返し
新聞社で仲間を募ろうと初の教室がオー
プンした頃です。
🔻🔻🔻趣意書抜粋🔻🔻🔻
🦜土ひとにぎりの革命🌳
【土の音普及会】発足趣意文
はるかなる太平洋に浮かべた小舟で波間に漂っていると、船底からピューッと澄んだ哀愁を誘う、それでいて明るくさわやかな愛嬌たっぷりの声が聞こえてくることがあります。 イルカ達です。 昼夜を問わず遊びに来て、手が届くほど近くで跳びはね歌っているのです。 生き物どうしの連帯感をけんめいに伝えようとする意志さえ感じられます。
また、山に登るとき、畑や田んぼの作業、野草つみなどで里山を歩き回るときの大地と人が かもし出す音、風が草木の間を抜ける音、空飛ぶ魚ともいえる野鳥たちのさえずり、そして見上げる星たちがまたたく時の愛らしいウインクのような "ゆらぎ" に潜むきらめく光の波動・・・、そんな大地や海や星からのメッセージを生きた音色で見近に再現できたらという想いが “土笛” という形で具体化してきました。
ささやかな響きが人の感性をみがき生活にとけいり、そこからかもしでる気流が大自然に還元される。そんな社会の働きにつながることを信じ、ひとにぎりの土のかたまりから大きな変革のうねりを •••
非暴力文化大革命は "大地の響き(A SOUND OF THE EARTH)" からと。
土の音普及会の活動内容
◆音の響きの実用考古学・活性民族学として。
大地に親しみ楽しむ器として、また“吹禅”のお手伝いとして、心を込めた手作りの土笛・オカリーナとその響きを普及する。 作品は会員相互のふれあいと いのちのぬくもりをつなぐ音の文(ふみ)をかもしだす音筆として頒布する。
◇一人一笛50億普及運動として、
全人類同時合奏で地球が動く。 世界は変わる。
◆音の響きの応用文化人類学として。
オカリーナ教室を各地に設置し アンサンブルを構成し運用する。
また、 "A SOUND OF THE EARTH" を本会のメインテーマとする。
(☆長い歩みのつもりで星や雲の動きと共にまいりましょう。)
平成7年(1995)1月17日(火)未明
🔺🔺🔺以上🔺🔺🔺
ふと外に出て星空を見上げると南の空高く、マイナス二等級の木星(ジュピター)が煌々と輝いていました。
夜明け前に横になり、うとうとし始め意識が夢の中に埋もれた未明、突然家全体がグラグラと揺れました。
見ると部屋の片隅に提げてある灯油ランプが踊っています。
夢ではない…なぜか関西方面に意識が走りました。
偶然見た翌日の夕刊に「石川県出身者で亡くなった8名!」の写真が掲載。
なんと、父の顔が並んでいるのを発見❗…神戸市灘区にいたことを知りました。
現地の交通機関はもちろんマヒ状態。金沢から、原動機付き自転車(50ccバイク)で、大型トラックが爆走する中に紛れ、8号線で神戸の現地に走りました。
現地でつぶさに見た記録については、小冊子【暁の星を仰ぎて】にまとめ親友や縁の深い方にお渡ししてきました。
神戸からは、愛知県~静岡県を通り~砂上の楼閣に見えた東京都をあっという間に抜け、茨城県龍ヶ崎へ。
自然医学の恩師 佐藤成志先生(故 自然薬方研究所所長)を報告共に訪ねました。
佐藤成志先生は、元 国際自然医学会で、森下敬一会長の片腕としてご活躍。勉強会で「同じ薬学部の後輩じゃないか」と声を掛けられて以来のご縁。
化学薬剤を一切使わず【食箋】により、ガンなど慢性病を快癒に導いた実績が豊富。佐藤先生の指導で ガンから救われた医師のお礼状まで拝見させて頂きました。
佐藤先生を訪ねた日を機に、筆者の祖父が創業した「上村光明堂薬局」を 食養・マクロビオ
ティック普及の拠点として新開創‼️
【グリーンノート(環境食養研究所)】→現【食と健康「グリーンノート」】です。
震災から胸に刻んだ無数の教訓は、個人の思惑を越えて、地球社会の在り方に活かさねば犠牲者は救われないでしょう。
限りある地球資源を搾取し「生き物」を モノとして扱ってきた現代物質文明と、砂上の楼閣のような束の間の豊かさの中で、「本体」を見いだす事の大切さ。
天に与えられた各人の「使命」(いのちの使い方)を 其々が見出だし全うすることを願うばかりです。
星になった父は、筆者が小学生の時にハーモニカで「ふるさと」を吹いたり、柔道四段(講道館柔道を伝える岩井道場)の手解きをしてくれたり、早朝の卯辰山で蝉の脱皮を見せてくれたりと、薬剤師でありつつも、海も山も好きな自然派でした。
太平洋を周航した「ほうき星」には、父のハーモニカや質屋で入手した白いギターが積んであり、各地に寄港する度、船内外で音楽交流もしました。
オカリナに縁してから、店の奥に工房を設けて土笛の製作をスタート。
【つちのね(土の音)だより】を発行するなど、ささやかな活動を進めました。
奇しくもその時期に重なり、大きなご縁が…
なんと、交響楽•宗教音楽等の作曲家であり 日本の「土の音(土笛)」オカリナ音楽芸術文化のパイオニア、火山 久(かやま ひさし)氏が逝去された1997年、夫人の直子さまとの出会いです。
1971年収録の 火山 久 オカリナ演奏の音源が、CD【土の詩】として新装再販として世に出た頃、直子夫人に CDの広告デザインをご依頼頂き、慣れないワープロ作業に苦心惨憺😅
群馬交響楽団のチェリストでもあった 火山 久氏を偲び、直子夫人に誘われ赴いたのは、神戸復興祈念の大イベント【1,000人のチェロ・コンサート】です。
1998年11月29日、阪神・淡路大震災で多くの犠牲者を出した神戸市のポートアイランドで、名誉総裁高円宮憲仁親王 を迎えての開催。
会場に向かう電車の中は、人とチェロが林立する奇妙な風景。壮大なチェロコンサートの光景は圧巻で、世界に大切なメッセージが発信されました。
悲惨な戦争同様、日々薄れる記憶と貴重な教訓を未来に繋げ活かされんことを祈念します。
🔻🔻🔻【暁の星を仰ぎて】(阪神大震災被災生物追悼巡礼行)から🔻🔻🔻
このたびの震災は日本の近代文明を代表する地で起こりましたが、ヒトの被災以前に、日本の急激な人的開発(破壊)行為によって数知れぬ多くの生き物たちが人知れず声を上げる事なく被災を受けています。
それに対するささやかな彼らののろいの一端がたまたま阪神地方に現れたのではないでしょうか。
あの大きな揺れの中で唯一もとのまま立ち残り大地に根をはり踏ん張っていたのは神社の杜(もり)や申し訳程度に植えられていた街路の樹木であり、今なおアスベスト粉じん舞うコンクリートビルの残がいを見渡しながら人類の分別を監視しているようです。
先だって“海と星のネットワーク”の上村が行った11日間の環境調査を兼ねた巡礼行から状況概要をここにしるしました。
阪神地域からかつての大震災地の関東地域までの様子を肌で感じ、ヒト社会の地球社会における位置と在り方を問うものです。
被災したあらゆる生き物を弔い、次代を育む無形の糧を分かち合えますれば幸いです。
⭕️2月28日金沢(出)→京都(生活全体が奉仕的な河西さんと)→3月1日神戸→3月3日名古屋(自然の保全に熱意ある東海TV局次長の長谷尾さんと)→3月4日静岡→3月5日東京(隅田川)→3月6日茨城(自然薬方研究所で)→3月7日東京(海洋工学研究所で今西進化論など造詣の深い佐尾さんと)→3.8山梨・桐原~清里→3.9~10山梨・明野村~長野・諏訪
[2/28~3/10原付き自転車にて。使用燃料約59ℓ(7,182円)・全走行距離約1,900km]
(3月10日上諏訪~金沢・普通列車)
⭕️【写真シートB4、1枚目】
琵琶湖西側湖畔の国道を家路に向かう小学生。連続してばく進する大型ダンプの風圧を恐れてか歩いている。白いヘルメットがいたいげだ。
11日間で見かけた自転車旅行者はたった一人。世の病変を実感。原付き自転車でさえ かろうじて命拾いをしたようなもの。
無造作に伐採される湖岸林。
震災周辺地区に入ると廃材満載のダンプがゴミ捨て場に押し寄せる。産業廃棄物をより分ける余裕もリサイクルを考えるヒマもなく投棄される。このゴミの山は文明が築いた最終的象徴だ。
周辺の倒壊住宅に対し、神社の森のみ健在。
乗合バスに長蛇の列。復旧した国道はまるで無政府地帯。大型トラックを先頭に皆悪魔が取りついたごとく超スピードでブッとばす。
神戸市灘区。粗末な家屋の二階が落ちて倒壊し、一階の住民が一瞬にして天に戻った現場はすでに整地され、次の日にはこりもせずコンクリートで固められていた。
人工石とコンクリート護岸の河川は見るも無残。自然に近い河川ほど被害はなかった。
六甲山から望む。巨大ビルディングのみ目立つ中で青シートを屋根にかぶせて雨漏りを防ぐ庶民の家が痛々しい。
食料の配給を受ける住民と身を投じるボランティア。各界のエライさんの姿は見かけない。
「この街の姿を後世に伝えたい」と終日筆を執る画家。
いつ全壊してもおかしくない傾いた自宅で生活を余儀なくする方。
元の姿を誇るのは、申し訳に植えられつつも根を張り生き延びた樹木たち。周囲に無言のメッセージを語っている。
学校内部に収容しきれない人やボランティアがテント生活。
救いのチラシもあれば不信な広告も。信じられるのは隣人の暖かなささやき。校内で避難生活をする老婦人は「何を聞かれても分からない。ここには何の知らせもないんです。」と。
⭕️【写真シートB4、2枚目】
静けさが戻ったと思うやホテルや観光タワーが競って電力浪費のライトアップを無神経に再開。
つかの間の静けさは、ヒト以外の生き物の寝息さえしない、無機的機械音の一時停止による沈黙の冥界だった。
路上の交通事故死亡者への花束が目に痛い。
三大震災ゴミ捨て場。一か所一日当たりダンプ4000台が捨てに来る。山を壊して造った広大なゴミ捨て場の焼却炉の煙が昇る上空に輝く星は、「焼き焦がすもの」という意味をもつ大犬座のシリウス。
長良川河口堰近くの漁師は「こんな河口堰があると上流から砂も栄養も来なくなる。アサリもシジミもとれん。あかんあかん。」
どこにぶつけたらよいか分からぬ怒りをつぶやく。
異様な光景の河口堰。河口近くの国道橋上は、自転車や原付き自転車の通過を許さぬ暴走トラック
の連打に大きく揺れ、生きた心地がしない。
河口付近のコンクリート護岸あたり。下校時ヘルメット姿で遊ぶ子ら。他に遊び場がないのか。
貴重なカメの産卵場が犯される遠州灘。海岸間際にまで高速道路が開通されつつある。今こそ現代の浦島太郎は結集すべき。
遠州灘を見下ろす峠の食堂で。
アサリたっぷりのみそ汁つき超安価の野菜炒め定食。思わず長良川の漁師が目にうかぶ。
箱根越え。芦ノ湖を見下ろす山が削られゴルフ場になっているのに愕然。
ここでも自然保護団体のボランティアがあらゆるいのちのために無償の汗を流す。
自然医学の浄血理論をもとに自然な手法による健全な生態系の治癒の実践を全国的に推進される自然薬方研究所所長佐藤成志先生と茨城県筑波山(876m)にて。
四六のガマの出迎えを受け、誓いを新たにする。
自然薬方研究所の方々と。
早朝、寒風に霜化粧する本物のホトケノザ(シソ科)が一面に。春の七草でいうのはコオニタビラコ。
あらゆる文化はいのちの発現。
命の源は食。料理をする人は台所の薬剤師。すべてを顧みてたどりつくのは農耕の祖「神農」に象徴されて伝うる経の現代における普及拠点。
⭕️【写真シートB4、3枚目】
日本一の長寿の里で名を馳せた山梨県上野原村の桐原では近辺の山がゴルフ場に。たまたま通りかかったこの地は、大いなる呼び合わせか長年夢見たところ。
自信満々の安全野菜の販売所があり「ホッ」とするひとこま。
急斜面で玉汗をかき作物を作る桐原の長寿者の生活は「食・心・働」規を体現する。
地元に住む長寿研究医の住まいについて尋ねた翁は78歳の長田秋雄さん。築150年も経つという太い大黒柱の家に住む。草取りの手を休め親切に電話で知人にあたって下さった。
青年のような明晰な口調と朗らかな闊達さは往時のこの地と生活の健全さを実証する。
山梨県清里。星空を守る会の大友 哲さんは、歯科医院の仕事のかたわら地球エネルギー問題の象徴である「光害」問題に取り組み、また私設天文台で230個もの小惑星発見の業績を持つ。脱原発のため太陽光自家発電所を併設する。
縄文人の生活を再現すべく40年もの間土器作りをしてこられた 関勝 翁81歳を尋ねる。著書「縄文土器に魅せられて」に感動させられたのがつい最近。大いなる導きに感謝。
毎朝ハコベなど野草を摘んで食べると言う。頑健で軽やかな身のこなしは桐原の翁同様。心温まる空間が生き物の無限の知恵を呼び起こすかのようだ。
食も心も豊かだったと言われる縄文人の文化は計り知れない深い味わいがある。
長野県諏訪の青木医院で働く功刀 望さんは30年ほど前“、日本星空を守る会”を起こした天文家、故・青木医院長の意志を継ぎ、星空の写真や星見会開催などで普及活動に余念がない。
自然食」とわざわざカンバンに大書きしたソバ屋で。諏訪では7軒しかなくなったという国産ソバ粉による本物の手打ちの味に舌をまく。
葦原が失われ水際にホテルが林立し、水質汚濁が懸念される諏訪湖に、浜辺の再現を試みる地域がわずかにみえる。
神代より古い起源をもつともいわれる「御柱祭」の地には、道祖神のほこらにも四つの柱が祭られる素晴らしい文化の土壌が、浄土へと耕されることを願う。
⭕️あとがきにかえて
ふりかえって拙誌をまとめるにあたり何度も胸を痛めました。
しかしこれらはどんな犠牲を払っても現代そして次代の生きとし生けるものに伝えねばならないことを使命と認識しあえて作業を行いました。
震災地の国道は無政府状態様に猛スピードの大型トラックがディーゼル排気粉じんを散布しながらを連なっており、一歩裏通りに入ると避難所などで働くボランティアたちがいました。
地方から来たある青年は、少年時代に両親が離れて以来不明だった父と奇跡的に、地方新聞被災関連記事を通じて26年ぶりに紙面上で対面。
父は晩年、清貧に甘んじ休日には六甲山に登り絵を描く生活であったことを知り、星になった場所で野宿、しめやかな通夜を行ったのだった。
国内外の何十万人もの被災関連者に何十万様の物語があります。でも最後まで避難所生活を余儀なくされるのは、家を失い身寄りなく財産もない庶民。
その中で何が起こっても給料が入る役人には見ることのない無償の美しい汗をボランティアたちは流しています。
それと対照的に、どさくさに紛れて住民不在の新たな開発(自然破壊)計画がごり押しされる動きもある中、義援金が罪無き弱者にこそ確実に渡るようあわせて見守りたいものです。
ゴミ箱に使っていたポリバケツに水をもらい、分かち合い、助け合い、がれきの谷間で談話する庶民のたんたんとした動きの中には 一筋の救いさえ見るようです。
しばらく居るうちにまるでそれがずっと前からそうであったような気さえしてきます。
生きるために本当に必要なものは随分少なかったのでは。
いつのまにかタダ同然に考えていた水・空気・大地への感謝と、少しのものを十分に活用する潜在能力を捨て去っていたのでは。
森と川と海とさまざまな生き物の中にかつてあったひかえめなヒトの暮らし…。
天を突き破るようなコンクリートビルディングの林立する中で見失っていたものに気付き、取り戻すきっかけにしなければ被災庶民は成仏しないにちがいありません。
無神経にも一部のホテルや観光タワーは、地球エネルギー資源の浪費を象徴する無意味なライトアップを再開し、生き物の安息の夜の自然環境を破壊し続ける宣言をしています。
狂おしいスピード社会は第三次世界大戦そのものと言えるでしょう。
歩いていても自転車でもせまり来るダンプは殺人鬼のごとくで、弱者と強者の差別を実感します。
近いうちにさらに大きな天災が起こるといううわさも多いのですが、そうだとしてもそれは人災という方が正確ではないでしょうか。
神が戸をたたいてわたしたちに与えてくれたメッセージは漏らさず聞き取りたいものです。
ヒトの行動規範をつくるものはなんでしょうか。ヒトの働きと性格、文化を織りなすのは命を育む環境。いのちの源は食文化からといえるでしょう。
「ヒトの原点、生き物の原点、あたりまえの世界に生かされる原点は浄土に育まれる正常な食の生態にほかならない。」
今回の巡礼行で改めて確認した最大の収穫です。
アスベスト粉じん舞う白昼の街を抜け、がれきの中での野宿から目を覚ますと、暁の星が冴えた空気の中に “春空如語” と輝いていました。
海と星のネットワーク事務局 上村 彰
【暁の星を仰ぎて】
発 行 1995年3月21日〔限定版・謹呈誌〕
🔺🔺🔺以上🔺🔺🔺
◼️上記冊子を 長年にわたり 必要な方に頒布させて頂いております。遠慮なくご連絡下さい。
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土の音工房「イルカ」& 食と健康「グリーンノート」
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綜合サイト:https://lit.link/claytone
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