『すずしさう』−人が多いところが苦手なタイプかもしれない−『風俗三十二相』
今回は月岡芳年の『風俗三十二相』の第二十四「すずしさう 明治五六年以来 芸妓の風俗」です。
これまでの絵も同じ1888年の明治21年の作品でありましたが、年間の記載が明治五六年以来という記載になっています。
明治は45年までですのでいずれにせよ変な年間ということになります。
これは5、6年という解釈にした方がいいのかな。そしたら1872、73年の間のことなのかもしれませんね。
かなり険しい顔をして外を眺めている女性。
納涼船か何かの船に乗って風に靡かれて、ぼーっとしているのか何かを睨んでいるのか、、、。奥の川は何川でしょうか。
本の解説を読んでみると、明治五六年というのは予想通り1872、3年のことであるようです。
この船が浮かんでいるのは隅田川。川開きとともに屋根船が大量に川に放出されたようです。
歌川広重の『新撰江戸名所 両国納涼花火ノ図』です。
両国橋の上には人々が花火を見るために人混みになっています。
川には屋根船が多く止まったりすれば迷惑になるくらいの混み具合です。手前の船の提灯には「歌川」と連なっておりますね。ちょっと広重も浮かれるくらい楽しい行事だったのでしょうか。
歌川貞房 の『東都両国夕凉之図』です。
花火がひょろひょろと天に伸びてパッと散っているのが異時同時図法的に描かれていますね。
両国橋には上の広重の作品と比にならないくらいぎゅうぎゅうに混んでいます。
船も真ん中の提灯を三角に引っ提げている船を中心に周りには小舟があって、少しでも動いたらぶつかってしまうほどですね。
この絵のように川開きがあってからの江戸の川は賑わっていました。
江戸の川開きは毎年5月28日だったようです。
そこから三ヶ月の間は川開きが幕府から許可されて、納涼を楽しみました。
この川開きで名物だったのが花火ですね。
上の絵二つには両方描かれています。
当時の花火は現代のようにニコちゃんちかハートとか、よりどりみどりの色彩と形がある花火とまではいきませんでした。
木炭、硫黄、硝石からなる単純なもので、色は赤系か黄色系のシンプルなものでした。
よく花火を見ながら「玉屋〜」という文化がなぜか体内に染み込んでいる人がいますが、それは江戸時代の花火屋の玉屋が大盛況だったためであるようです。
結局玉屋は一代で失脚してしまったようですが、花火を見て「玉屋」と言う文化が今でも細く続いているのは、江戸時代の盛況ぶりが凄まじかったことの表れでしょうね。
絵の女性は副題の通り「芸妓」であるために船を営業する側人間ですね。
宴会を盛り上げるために酒を勧めたり飲んだり、で疲れちゃっている様子。
夏の暑さでぼんやりして逆頭寒足熱状態なのか、暑さと疲れでマジでうんざりしてしてしまっているのか、くそ客が鬱陶しかったのか、楽しそうではないのがよく描かれる川開きの楽しそうな様子とは違って面白いところですね。
今日はここまで!
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