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広重くんのこともっと知りたいなあ…❤︎///(ギャップ萌えで逆転勝利)【追記:私は凄く恥ずかしい間違いをしています!!!】

さて、今日から何をテーマにしていこう、、。
風景画をやりたいと思っていて、歌川広重も触れたことがないので広重の江戸の名所系が良いなあと思っております。

『東海道五十三次』『名所江戸百景』『冨ニ三十六景』のどれか、、。


ずっとサントリー美術館に行った時にグッズ売り場で見かけるこちらが気になっていたのでこれを今度行った時に購入してみようかな!

行くのは今の聖徳太子展がやっている間の1月10日までの間なのでそれまでに買いますが、今は手元にないので広重の略歴でもみてみようかな今日は。


今回はこちらの資料を参考にさせていただきます。

歌川広重1797年から1858年に生きた人です。
よく知っているのは風景画で上に挙げたような作品集を書き上げていますが、元々は美人画を中心的に描いていました。

広重についての家族関係や生まれといった個人情報についての文献というのは残っていないそうです。


広重の作品は全部で65点。美人画や風景画が多かったよう。


よく北斎と対比される広重ですが、一番の違いがあります。

北斎は以前やった通り、人生をかけて絵を描き続けていました。少年時代から入門して、亡くなる直前まで旅に出ては絵を描き続けていましたね。

けれども広重の作画期は1859年から1861年であると推測されています。
たったの3年!!!!!!

たったの3年で65点の作品を残したということがもっと世の中に広がれば良いのに!!!!!

これまで広重について触れてこなかった理由はありませんが、北斎が好きになっていたのでライバルの地に足を踏み入れるなんてできなかったのです。笑


広重が残した作品は3年にしては多いとは言っても、やはり謎が多いのでまだまだ作品はありそうですね。


最後の作品として記録されているのが『江戸名所道戯尽』という作品。
あまりメジャーではないものの、みたことのある作品がいくつかありました。

上に乗せた『ヘンな浮世絵』という本の取り扱っている作品です。

例えばこれ
『浅草反甫の奇怪』

確か太田記念美術館のちょっと前のnoteの投稿に載っていました。


あとこれ
『御蔵前の雪』です。

確か『江戸の天気』展でみた気がする。


あとこれも

『筋違御前うち』です。

この絵には見覚えがありますね。虫眼鏡を向けられている女性は北斎漫画で出てきた絵と完全に似ています。

『北斎漫画』十二篇

『江戸名所道戯尽』もいつか取り扱いたいです!!!


広重が忽然と消えた理由として推測されている説が一つあります。
「皇国有志連」というグループが

”広重が時勢を題材にした『青物魚軍勢大合戦之図』を描いたことや広重が外国人に諸国城絵両御本丸絵図を贈ったこと”

が貼り紙となって江戸中の市民に広重の居場所を知らせること、もし隠したら同罪になるという事件がありました。

それを受けて広重は自分の身の危険を感じて江戸を離れて絵師を辞めたのかもしれないとされています。


北斎並みのイケイケな絵師ライフだと思っていましたが、こんな事実があったことがなんだか惹きつけられる要素なのかもしれないと感じます。


いよいよこれから『江戸名所百景』を取り扱うのが楽しみになってきました。

もっと広重のこと知りたいな❤︎(片思い中の女子が送りがちLINE)

今日はここまで!
#歌川広重 #名所江戸百景 #江戸名所道戯尽

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