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歌川国芳『浦島太郎玉手箱をひらく』の善玉強し、悪玉弱し…?
昨日訪れた太田記念美術館で開催されている『歌川国芳 憂き世に笑いを! ー戯画と世相』展で印象に残った作品『ほふづきづくし』を紹介しました。
本日は気になった作品パート2である『水滸伝ふくまのでんにて百八の星おはしらす見立 浦嶋太郎玉手箱をひらく』を紹介します!
その作品がこちら
玉手箱を開けると黄色い煙とともに善悪の球がわんやわんやと湧き出てきている様子が描かれています。
でもそれを浦島太郎と見られる赤い服の男の人は冷静に見つめているのが不思議なコントラストです。
題名にある”水滸伝”というのが私にはわからないので調べてみます。
「中国、明(みん)代の長編小説。北宋(ほくそう)の末、徽宗(きそう)の宣和(せんな)3年(1121)淮南(わいなん)で宋江(そうこう)らが乱を起こし、一時大いに勢力を振るったが、やがて敗戦投降したとの記事が『宋史』にみえる。この宋江の乱を題材とした講釈がしだいに発展し、元末明初にいちおうの形を整えたものが『水滸伝』とよばれる。水滸とは水のほとりの意味で、宋江らが梁山泊(りょうざんぱく)という湖水に根城を構えたことに基づく。」
https://kotobank.jp/word/水滸伝-82884
コトバンク、日本大百科全書の枠からの抜粋です。
この絵の黄色い煙を纏って箱から飛び出ている善玉と悪玉ちゃんたちというのは山東京伝の『心学早染草』に登場する人間の善悪の心を擬人化したキャラクターのことらしいです。
そのことについてよく書かれている記事を見つけましたのでコピーさせていただきます。↓
https://www.web-nihongo.com/edo/ed_p001/
「人間の心のありようをつかさどる魂(たましい)を半裸姿の絵で描き、人が善魂に支配されると善行をつみ、悪魂に取りつかれると悪行に走る、というわけである。悪魂は、まるで貧乏神や死神のようなものだという。その善魂・悪魂を「善玉・悪玉」と呼ぶようになった。
(中略)
さて、まじめだった息子・理太郎(りたろう)は「悪玉」に取りつかれ、江戸の遊廓・吉原へつれていかれ、遊女・怪野(あやしの)のとりこになってしまう。図版は、悪玉と善玉に手を引かれ右往左往する理太郎。このあとついに善玉は悪玉に斬り殺されてしまい、理太郎は悪行のかぎりをつくすが、善玉の女房と子どもたちが悪玉をやっつけて、理太郎が正気にもどるというストーリー。
この「悪玉」は若者にうけ、「悪」と書いた丸提灯をさおにくくりつけて高くかかげた少年たちが夜な夜な街中を走りまわり、町奉行が禁止令を出したほどであった。今風にいえば暴走族である。作者・京伝は勧善懲悪の黄表紙に仕立てたつもりであったようだが、悪玉は悪のヒーローとしてもてはやされてしまった。これだから世の中はわからない。」
自分の中の善玉と悪玉が拮抗して行動を決めるなんて、まるで天使と悪魔みたいですね笑
山東京伝の『心学染早草』の挿絵(真上)の善玉は一人で頑張って三人の悪玉たちの力に現状ぎりぎり釣り合っているのは善玉の方が少し肥えて、逆に悪玉は痩せこけているからですかねえ、、。
主人公の男の人を言葉や呪術で導くとかではなく、力尽くで引っ張り合うのが主人公の行動に直に影響するイメージがより増しますね。
歌川国芳の絵に戻ると、善玉は黄色い煙(と思っていましたが、川のよう、、)の流れに乗って扇や木の棒を持って悪玉を退治しているように見えます。悪玉は黄色の川の流れから落ちて転がっています。それをじっくり見つめる浦島太郎はなぜこんなにも冷静に見つめていられるのでしょうか。。その足元にいる亀や絵の右下にいる二匹の亀も何かしらの感情を体で表現しているのにも関わらず。。浦島太郎が竜宮城でした経験について善玉悪玉の騒ぎを見て何か悟ったのでしょうか。
図録の解説欄にはこの絵が教訓にしている・風刺している事柄についてはわからないとされているのでなんとも言えないですが、騒ぐ善玉悪玉と冷静な浦島太郎のコントラストには何かしら含意されていることがありそうでならないです、、。
『水滸伝』にしても『心学染早草』にしても、知らないことだらけでしたので詳細なサイトを見つけて知ることができて満腹です!
明日はもう一つの気になっている作品を取り上げていきます!まだまだ歌川国芳展の余韻に浸っております、、笑