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「駒形堂吾嬬橋」−太夫の恋をのせて流れる隅田川−『名所江戸百景』
今日は6時半ごろの早朝に近所でカラスがガーガー鳴いていて目が覚めました。
隣の隣の家で十何羽ものカラスが集会を開いており、20分くらいしてからいなくなりました。
朝礼にしては長すぎる。
絶対部下たち文句言ってたでしょって感じですよね。
人間に迷惑をかけ終えたら気が済んだのかみんな一斉にいなくなりました。
そしたら近隣の家の車の下から白い猫ちゃんが出てきて様子を伺っていました。
ね、猫ちゃんもびっくりするよねえ。
そんな動物界に侵食された今日も広重。
今回は『名所江戸百景』の「駒形堂吾嬬橋」です。
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一羽の鳥が雨の中飛んでいます。
それと一本の赤い旗を掲げた棒がシンボリック。
画面左の川に架かる橋が吾嬬橋かな?
その手前のお堂が駒形堂でしょうか。
まずは駒形堂からみていこうかな。
駒形堂は隅田川にかかる駒形橋の傍らに建つ。推古天皇36年(628)に浅草寺ご本尊の聖観世音菩薩が宮戸川(隅田川)にご示現されたおり、この地に上陸されて草堂に祀られたという。すなわち、浅草寺発祥の霊地に建つお堂である。駒形堂の名の由来については諸説あるが、浅草寺の一山寺院住職の故網野宥俊僧正は、「駒形堂の地が観世音菩薩上陸の地であることから、隅田川に棲む魚類に対する愛護の必要を感じ、生物の守護仏である馬頭観音を祀り、人びとが心願成就の御礼として馬形の作り物を奉納したことが名の由来ではないか」と推考している。
生物の守護仏である馬頭観音を祀ったことから馬形の作り物を奉納したことが駒形という名の由来だそうです。
浅草寺の境内の中の一部のお堂なのですね。
ちなみにこのシンボルのような赤い旗は、駒形堂の西にある小間物屋と言う日用品売り場の紅屋百助の看板だったそうです。
この絵の見どころは上を飛ぶ時鳥と駒形堂のコラボ。
これは単なる広重の造った偶然ではなく、吉原の遊女・高尾太夫が詠んだ歌をもとにしているのではないかと言われています。
その歌がこちら
「君はいま駒形あたりほととぎす」というもの。
口語訳「時鳥(ほととぎす)が鳴いています。あなたは今、駒形の渡しのあたりで舟を待っているのでしょうか。」
情緒あふれる女性の恋心を詠った歌ですね。
時鳥が鳴いているということを機に自分が吉原に向かう船を待つよということを告げられた女性が恋する男性の来訪を待ち侘びているのでしょうか。
確か吉原に向かう船が出るのが御蔵橋のあたりの首尾の松でしたので似たようなシステムのある船が駒形の渡しにあったのかな。
広重はその歌をもとに、駒形堂と時鳥を組み合わせたこの絵を描いたのではないかと言われています。
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赤ピンが吾妻橋。その下の橋が駒形橋です。
駒形橋の西河岸に卍マークの浅草寺駒形堂があります。
なのでこの絵は駒形橋を渡った西詰から駒形堂の屋根が写るように描かれたのですね。
隅田川はいろいろな人の情緒をのせて流れていたのですね。
(ちょっといいこと言った。)