「真乳山山谷堀夜景」−もっと掘りたい三囲神社–『名所江戸百景』
最近一日に飲む水分の量を多くすることを意識してます。
お通じが良くないというのが正直なところですが、肌にも影響しますので最近の水分量が今の肌に影響しているなと実感しているのです。
水を飲めば無駄な間食を防げるし、お腹に溜まるしでいいことばかりです。
しかしバイトに行っているとわざわざトイレにいくのが面倒なのが難点ですね。
水分問題は飲食バイトには付き物ですからね。
そんな悩みを抱えた今日も広重。
今回は『名所江戸百景』の「真乳山山谷堀夜景」です。
なかなかこのシリーズでは見なかったタイプの、一人を被写体にする形ですね。
女性の横顔がリアルですね。日本人らしく高すぎない花と平面的な造形が相当リアルな気がします。
しかもこれまでの両国上野界隈ではあまり見なかった地名が出てきています。
このあたりの江戸っぽスポットというと真乳山、山谷、三囲神社、今戸橋、ですかね。
この真乳山、三囲神社は実は昨年の「江戸名所図会」を解釈する講義でやったのでなんとなくどんな場所なのかは理解しているつもりです、、?
待乳山は真土山とも真乳山とも書き、聖天様のお堂があるところです。
待乳山聖天というと、訪れた時に大根を供えることができるんだったかな。
こっちの方が詳しい。
https://www.senso-ji.jp/guide/guide17.html
聖天様の供養のために備えた大根をこのお堂のシンボルとして備えているそうです。
正月には大根祭りという、調理した大根を参拝客に振る舞う祭りがあるそうです。
赤ピンが待乳山聖天。
隅田川沿いであります。
その対岸にあるのが三囲神社。
三囲神社に関する絵画は多くあることを講義で学びました。
それで江戸絵画の面白さを知ったというのもあります。
南北時代に近江三井寺の僧源慶がこの地で荒れ果てた小堂を見つけました。それは弘法大師が建立した社だと知った源慶はこの社の再建に着手しました。
すると中から見つかった壺から老翁の神像が見つかりました。その時、白い狐が現れ、その御神像の周りを3周して去っていったというお話からこの名前が付いたと言います。
またもう一つに元禄年間の話で、厳しい旱魃に江戸は見舞われました。雨乞いをする農民たちに、歌人の宝井其角は「夕立や田をみめぐりの神ならば」という歌を詠みました。すると翌日には雨が降り、この歌の掛け言葉による霊験は江戸中に広まったといいます。
絵画をいくつかみていきましょう。
歌川広重の『東都名所』の「隅田川三囲堤」です。
三囲神社が堤よりも下に位置しているということがよくわかります。
それが顕著な絵がこちらです。
喜多川歌麿の『三囲神社の御開帳 向島の花見』です。
これのどこが三囲神社なの?となりますが、この違和感の残る鳥居の位置が堤より下に位置する特徴がよくわかります。
なのでこちら側が隅田川ということになります。
後ろの狼煙に「三囲稲荷」と書かれており、ここが三囲神社であることもよくわかります。
いろんな絵画をつなげてわかるのが三囲神社の面白いところ。
そんな2スポットを見たところで、本題の絵に戻りましょう。
絵の右上に木のシルエットが見えますが、この木は桜であるらしい!
だからさっきの一つ上の絵と状況が重なるわけです。
つまりこの堤は桜の名所だった可能性が高いのです。
対岸の明るい光の漏れている家屋が今戸橋の界隈。
この前やった時にピンとこなかったのですが、こういう街並みだったのですね。
その奥の小高い場所を真土山といったそう。
だからこっち側が三囲神社であるということです。
この女性は今戸橋に用があった?芸者さん。
ちょっと着込んでいるのでまだ肌寒い春の季節かな?
今日はここまで!
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