「よし原日本堤」−この道は稼げるぜい、、( ̄+ー ̄)–『名所江戸百景』
今日は特に何もなく、本当に何もない日でお勉強をしただけだったので書くことはありません。
なのでちゃっちゃと書いちゃいます。
今回は広重の『名所江戸百景』「よし原日本堤」です。
でた!吉原!
これも去年の『江戸名所図会』講義で調べたら出てきました!
奥の屋根屋根立ち並ぶところが吉原遊廓。
そこに向かうまでの日本堤がこの長い道ですね。
この絵は非常に構図というか、魅せ方が面白いと感じます。
右斜め上に伸びる日本堤に対して鳥の列が左斜め上に連なっています。
日本堤の道が右に伸びる先と鳥の列の左下に伸びる線の交差するところを想像して、見えないところまでずっと伸び続いているような印象を受けます。
月が上弦の月が空に見えますので夕方かな?これから吉原に向かう客がこの堤を利用しているのかもしれませんね。
この堤の中で一番重要なスポットが絵の中の堤の右奥。
一本だけ枝垂れた柳がありますね。
これを見返り柳と言います。
吉原で遊んだ男性が吉原を名残惜しく感じ、後ろ髪が引っ張られる思いで吉原から離れる時を表現してその名がつきました。
赤ピンが見返り柳です。
この柳のある大通りが旧日本堤でしょう。
その西側に吉原遊廓エリアが広がっています。
こちらが現在の見返り柳。
現在のものは何度も震災や火災の被害を受けて亡くなってを繰り返して六代目であるそうです。
この柳が見返り柳。
その向こう側に見える壁に隔たれた屋根のある集落が遊郭でしょうか。
この男性たちはお客さんでしょうか。
あまりボリュームのない枝垂れ柳ですね。
この絵は『名所江戸百景』とは反対方向から描かれています。
見返り柳を起点に西に左折すると吉原に続く道が伸びているのですね。
こういう地理を絵画で解読していくの楽しいですね。
明日も吉原なのでまた地理理解をしてみたいと思います。
『名所江戸百景』の日本堤は葦藁で作られた小屋のようなものが立ち並んでいます。
まるで日本橋魚河岸みたいに並んでいますね。
こういった長い道にはよくこう言った露店販売が栄えたのでしょう。
この小屋たちを掛け茶屋と言います。
きっとこの掛け茶屋のある通りも吉原に行くまでの一つ確立した観光スポットであったのでしょう。
吉原のお店との癒着とかもありそう。
提供商品とかもあったんじゃないかな。
ちょっと吉原自体の世界に入り込んでいきそうなので今日はここまで!