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「はねたのわたし弁才の社」−いろんな匂いと客のいろんな声−『名所江戸百景』

今日は朝目覚ましを掛けた時間に目は覚めたのにその1時間後に起きてしまいました。
昨日夜遅くまでこの記事を書いていて電話をしていたらかなり遅くなってしまいました。今朝は急いだ用事もなかったのでダメージは気持ちだけで済みました。

今日は早くこの記事を終わらせて寝て早く起きるぞ、、!
そんな寝坊をした日も広重。今回は『名所江戸百景』「はねたのわたし弁天の社」です。

◼️ファーストインプレッション

でた!「すね毛の絵!」と心の中で呼んでいるものです。笑
このおじさんがきっと船の船頭かな?手で持っている舵のようなものはどんな仕組みで動いているのでしょうか。
もし水の中に落ちてしまっても保証がないくらい身軽です。心もとない、、。

左側の岸には何か神社のようなものがあるのがわかりますね。これがきっと題名の「弁天社」ですね。「はねた」とありますので、羽田空港近辺にあるものかな。
ということは、この辺りで七福神が祀られているわけですかね。

向こうの湿地には櫓が立っていて、そこにいくまで大変そう。船でしかそこに行って何か観察物を採取してくるのでしょうか。

全体的に広重の主観で描かれているのが面白い描き方。海の潮っぽい匂いとその湿り気と、おじさんの足の匂いなどが混ざって息苦しくなりそうなのが伝わってくる絵です。笑

◼️羽田弁財天

先ほど指摘した左側の岸は羽田弁財天というもの。

この赤ピンの玉川弁財天が現在の羽田弁財天の姿。

羽田七福いなりめぐりの別格として名を連ねる玉川弁財天は、真言宗智山派の寺院・醫王山龍王院常楽寺(現・羽田2-26-11)の境外堂である。
龍王院に上宮が祀られ、もとは要島・鈴木新田付近(現在の羽田空港敷地内)にあった当社が下宮とされている。
江戸名所図会には「要嶋辨財天社 羽田村の南の洲崎にあり 故に羽田辨財天とも称せり(中略)本尊辨財天女の像は相州江島本宮巌窟辨財天と同躰にして弘法大師の作なりといへり」などと記され、神像には830(天長7)年空海作の銘があるという。
弘法大師が護摩の灰を固め自刻したと伝えられているが、江戸時代に教化のため各地へ頒布された複製品のひとつとみられる。

羽田村の南の洲崎にあったために羽田弁財天と呼ばれたそう。江ノ島の弁財天と同じものでもあるため弘法大師の作でもあると言われているらしいです。副製品であるとも言われているとかいないとか。

そしてそもそも羽田の渡しと題名にあるのでそこもどこか指摘しておきましょう。

大森から糀谷、羽田を抜け、羽田の渡しで多摩川を渡る人が増えたため、東海道・川崎宿では商売にマイナスになると、幕府に羽田の渡し廃止を願い出ています。

羽田と川崎にある渡しで暗黙のお客様の取り合いをしたのですね。

真ん中の赤ピンが羽田の渡し。そのまた左下の大師の渡しがあった跡があります。

どっちからお客さんを取るか、視野に入れば入るほどがめつくなっていきますよね。


◼️奥の櫓

本当はここで終わりにしようと思いましたが、ちょっと気になったので少しだけ触れちゃいます。

先ほど触れた湿地の中に一つだけ立っている櫓は常夜燈でした。

こちらのサイトに、幾つもの綺麗に灯る常夜燈の写真が載っています。
とても美しい。渡しは夜まで海の景色を見るような経験は遠い昔のことで、最近はそんな青春や哀愁に溢れた生活とは程遠いので眺めているだけでちょっと羨ましくなりました。

このように意外にもきちんと高札が建てられているのが嬉しいですね。いつか海沿いに行ったときに、灯っている瞬間を見られなくてもちゃんと呼んでおきたいなと思いました。

なんだかこちらのサイトを見て心が洗われたのでここいらで終了にしようと思います。

今日は羽田の弁財天、渡しを見ていきました。
今日はここまで!

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