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広”景”!!の『江戸名所道戯尽』の位置付け

あけましておめでとうございます!
元日はずっとうとうとしていたら寝てしまっていました、、。
2日は友人と初詣とスーパー銭湯に行って、一日中お出かけしてました、、。

記事を書くことを2日も休むことはなかったので罪悪感が凄まじいですが、今年一発目を書き上げて気合い入れ直したいと思います、、!!!

前回は広重の略歴をやっていきましたので今日は広景”ひろかげ!!!!!”の歴史を勉強します。


【広景】
実はこの広景の歴史について、勘違いしていた日に解説してしまったのが事実です。
なので自分はわかったつもりでいます、、。笑

なので今日は代表作品を見ていきたいと思います。

広景と打つ時はこのままでなくてちょっとめんどくさいので彼と称します。


彼の代表作を挙げると、
『江戸名所道戯尽』
『青物魚軍勢大合戦之図』
しか上がりません。。。。

『江戸名所道戯尽』は多くの研究で取り上げられたり、本にまとめられたりしている作品ですね。
代表的なもの一つあるだけで名前が大きく取り上げられるというのはやはり、そこに彼独自の面白さがあるのでしょう。


今日は『江戸名所道戯尽』を取り上げたいと思います。
『江戸名所道戯尽』は江戸の名所の五十ヶ所を取り上げて風景と人物やモチーフを描いたものです。

その絵のほとんどが師匠の歌川広重が描いたような場所と構図が多く、それを彼なりのユーモアを戯画調に交えて描いています。
このように浮世絵に風景とユーモアを交えたものを描くのは当時あまり例がないものだったのでこれが他の絵師の作品と違うところとして評価されたのでした。

また、この作品は模倣の集まりと言っては言い方が悪いですが、その模倣をしたところが面白味となってもう一つの特徴として評価されています。


彼の描く絵は江戸の市民が非常に剽軽に描かれ、どんちゃん騒ぎの楽しい毎日を送っているように見えますが、当時の世相はかなり波乱激動の時代でした。

というのも、刊行前には安政の大獄があり後年には吉田松陰の処刑や桜田門外の変、東禅寺のイギリス公使館襲撃などがあり、不安定になりがちな世の中でありました。

このような雰囲気の世の中になってしまっていたからこそ、まさに”浮世”に焦がれるように、人々はこのような馬鹿馬鹿しいエンタメを求めたのです。

そう考えると彼のしていることは現在のお笑い芸人やYouTuberのようにコロナ禍の世の中を元気付けるようなエンタメを発信する行動と似ていますね。


彼は広景としての活動期間は二、三年だけでしたが非常に世の中に影響を与える人物だったのを知ると、彼の追っかけをしたくなったりならなかったり、、笑。


今日はここまで!!
#歌川広景 #江戸名所道戯尽  

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