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「神田紺屋町」−藍色の心の拠り所感は2020も健在でした。–『名所江戸百景』

さ、今日の悲しみを書き連ねましょう。
元々今日はお友達二人と焼肉に行く予定でした。そのために私は一月中食事制限をしておりました。なのに!!!今日の予定を忘れていたお友達が違う予定を入れてしまっていた!!
かなぴや。
これはもう友達も悪気があったとは思えないのでしょうがない!し、また今度集まろうという話になったからこんなこともあるなあと思って今日も食事制限をとウォーキングに励むのでした。

悪気ないから全然今は気にしないけれど、やっぱり自分が思っている以上に向こうが楽しみにしてくれていないという事実が露呈するとがっくししますね。自分は誘った人にはそんな気持ちにさせないようにしようと心に刻んだ日でもありました。

そんなところで私が友人にされたら悲しくなることのベスト10が発表されそうなので早々と広重に移ります。


今回は『名称江戸百景』「神田紺屋町」です。

これは確か『江戸の天気』展で見た気がする!晴れの枠で見たなあ。

伸びやかに靡く何枚もの布と奥に映る富士山と朝日。
静かな朝のような空気感と微風が吹く快晴が合う清々しい絵ですね。

紺屋というのは藍染職人のことですが染め物屋として江戸時代には呼ばれるようになりました。

江戸時代にはこの紺屋町一帯は”土屋五郎右衛門”という紺屋頭の男が支配していたと言います。
なのでこの前の木綿問屋が多い大伝馬町のように、専門的なことに特化した町として紺屋町は染め物職人が多く住んでいたのでした。

「……其(そ)の晒らせし(さらせし)布は概ね(おおむね)手拭染にして……晴天には、いづれ晒らさぬ家もなく、遠く之を望むに、高く風に翻へりて(ひるがへりて)、旗の如く又幟(のぼり)の如く、頗ぶる(すこぶる)美観なり」
藍や紺の手染めの布が、あたかも万国旗のように町を彩っていた(いろどっていた)というわけです。また、「狂歌江都名所図会(きょうかえどめいしょずえ)」には、「紺屋町近くにありて藍染の川の流れも水浅黄(みずあさぎ)なり」と、川の水まで浅黄色(藍色を薄めた色)をしていると詠まれて(よまれて)います。いずれも江戸時代から明治期にかけて、手拭い(てぬぐい)や浴衣(ゆかた)の一大生産地だった町のさまをほうふつとさせる描写です。

ちょうど絵のように染め終わった布を干している様子がとても派手で賑やかな光景だったのでしょう。
ここで生まれる模様や色は非常にトレンディーなものだったことがわかります。
なので、ここ以外で染められた布は「場違い」として敬遠されていたそうです。

大阪で広島風のお好み焼きを注文するみたいなことでしょうか。


上の絵の藍色の染め物の柄を見てみると、左の真ん中は市松模様。まるで東京オリンピックのエンプレむみたいと本には書いてあり、確かに!と思いました。
確かに東京オリンピックのエンブレムは藍色でしたね。ブルーというよりは藍色の方がしっくりくるのは東京ならではの色を使ったためでしょうか。

右側にある白地に藍色の柄がついている布は、「魚」と書かれているものと「ヒ」という文字が「ロ」で囲われているマークがあります。
「魚」は広重の版元である「魚屋栄吉」のマークを示したもの。北斎も版元のマークを半被の背に配していたえがあったのを思い出しました。粋な演出でしたよね。

「ヒ」に「ロ」は広重の”ヒロ”を菱形に象ったものであるらしい。
絵師と版元の絆を感じるちょっと粋な演出絵。

今に繋がる日本人の好みと粋な絆を感じた絵でした。

今日はここまで!

#歌川広重 #名所江戸百景 #神田紺屋町 #藍染 #魚屋栄吉

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