「丸子 名物茶店」−夫婦喧嘩から逃げきりやっとのとろろ汁、、−『東海道五十三次』
今日はなんとなく厄祓いをしたくて、近所の神社にお参りに行きました。
これまでそれほど信心深くはなかったけれど、お参りしてゆっくりどれぞれの成就内容を読み、お礼をすることで心が清らかになる”気がします”。
朝に行ったので静かだし、人も少ないし、涼しいし。
悪いことはありませんね。
これからも気持ちが沈んだ時や何かの節目にお参りをしてみたいと思います。
いきなり信心深くなった今日も広重。今回は『東海道五十三次』の「丸子 名物茶店」です。
◼️ファーストインプレッション
ここ最近見てきた中でやっと人々の生活が見られる場所になりましたね。
ここ数日は川の中にいたり、雪道の中にいたり崖の上にいたり、人間が住まうには適さない場所に足を運びがちでした。
今回は茶屋。そこで休憩している旅人やもうそこを発った人、そこで働く人が描きこまれています。
赤ちゃんを負ぶった女性が客に器を差し出して、もてなしています。彼女が切り盛りする店先には「名ぶつとろ々汁」と看板が出ていて、座っている旅人たちがとろろ汁を食べていることが推測されます。
それか、一番右の看板に出ている「茶漬」を食べているのかも。
ここが宿場の出口にあたることはなんとなく予想できますね。なぜなら茶屋の左側に坂道を歩き出している男性が一人いること。
その彼が向かう先には軒の並びがひとつもなく、だだっ広い野原が見えます。これからまた次の宿場まで長い歩きの試練が待っているのですよね。
また、この茶屋が後ろに見える軒の中でも一番端にあるように見えますね。
茶屋は旅の休憩所としての象徴であるし、宿場のど真ん中にあるようなイメージがありますが、今回は次の旅路に向けて見送る役割を果たしていますね。
入り口としてではなく、出口として象徴しているのですね。
今回は丸子の場所、丸子のとろろ汁についてみていきたいと思います。
◼️丸子
昨日の安倍川からの距離が気になるところです。
意外と離れていない。川を渡って、体力が奪われるのですぐ近くにあるものなのでしょうか。
とろろ汁を名物としていることが書かれているのでとろろ汁についてみてみます。
◼️とろろ汁
とは言ってもピンときていないのが正直なところ。
確かにとろろを熱い汁に入れたらバラバラになるよなあと思っていたので冷汁にしているのは納得です。
山かけ美味しそう。笑
「丸子のとろろ汁」は場所の名前とともに有名なもので、名物だったことがわかりますね。
松尾芭蕉の歌を見てみます。
「梅若菜 丸子の宿の とろろ汁」
梅若菜とは、、?
梅若菜としてものがあるわけではなく、「梅が咲き始める若菜の頃」という時期を提示しているということですかね。
https://shizuoka-hamamatsu-izu.com/shizuoka/shizuoka-city/sz061/
江戸に向かう人に向けたということでその旅路の始まりを梅の咲く頃に重ね、幸先の良さを表現しているのですね。
そしてそこに名物を重ね、時期が旬のものと出発に良い時期を連想させているのでしょう。
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも丸子を描写した時にとろろ汁が出てくるらしい。
小学生の時に買ってもらった村松友視著『21世紀版 少年少女古典文学館20 東海道中膝栗毛』を棚から掘り出してきたので丸子に当たるところを見てみました。
概要としては
「弥次さん喜多さんが安倍川を渡ったところ、雨が降ってきたので丸子宿の茶屋に飛び込んだ。そこでは方言の違いに戸惑いながらも頼んだとろろ汁が出てくるのを待つ。店主の旦那が作っているところ、女房を裏から呼び出し客である弥次喜多にお膳を出すように指示する。しかし二人は喧嘩中であったために仕事よりも口喧嘩に花が咲いてそれがヒートアップ。旦那が擦っていた山芋を女房が投げつけたところ、とろろ汁が床にばら撒かれた。お互いに殴りかかろうとしてとろろに滑って転んでしまった。この喧嘩を止めに入ろうとした近所の女房も知らずにとろろに滑ってしまう。立っては滑って、立っては滑ってを繰り返して取り止めのない状況になってしまった。」
という話です。
弥次喜多と関係ないとはいえ、二人がいたからこんなことが起こったのかもしれないとさえ思いますよね。疫病神笑。
今回の絵はこの騒動から逃げ出して新たな店に入ることができた弥次喜多が落ち着いてやっとご飯を食べている様子にも見えますね。
『東海道五十三次』は『東海道中膝栗毛』と重ねてみると人物描写ももっと想像が膨らむかもしれませんね。
今日はここまで!
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