「赤坂桐畑雨中夕けい」−広重の二代が描きました!!−『名所江戸百景』
なんだか痩せない日々だなあと感じてもどかしいと感じてます。
最近炭水化物ばっかり食べてるから仕方ないなあ。と思って運動をします。
夜に寝る前にヨガやってるからプラマイゼロということにして寝てしまっているのが最近の甘さ。笑。
そんな自分の甘さに甘くなりながらも今日は広重。
今回は『名所江戸百景』の「赤坂桐畑雨中夕けい」です。
道が手前にあって、そこを笠を被った人と傘を差している人々が歩いています。おそらくそこをまっすぐ行くと右に曲がって上り坂です。そこがシルエットのようになっていて雨の深さと夕方の暗さがよく表現されています。
今日も参考にさせていただく資料は『広重 TOKYO名所江戸百景』です。
桐の畑はどれのことなのでしょう。
手前の木々が桐でしょうか。
その奥にある池が溜池。昨日見たダムがわりの溜池と繋がっているのかな?
その奥の坂道が赤坂御門につながる道であるそう。
赤ピンの赤坂御門の石垣と刻印というところとその下の赤坂見附跡というところが坂道の先にあるところなのでしょうか。
まさに405とある道標の部分にちょうど溜池があったそうです。
ということはちょうど赤坂見附駅があるところがこの絵の桐畑があったところであったのでしょう。
実はこの坂の奥の方にあるのは紀伊和歌山藩徳川家上屋敷であるそうです。
あまり絵に描かれていないから言及しにくいところではありますね。
この絵で一番気になるポイントはこの絵に「二世廣重畫」という文字。
二世というのがどういうことかというと、広重が亡くなった後に弟子で養女の婿であった重宣が二代広重を襲名したんだそう。
広重の門人で、入門した後に重宣と称し美人画、花鳥画、武者絵、風景画など多岐にわたっていました。
1858年に初代が没すると、翌年に初代広重の娘のお辰の婿になりました。
『名所江戸百景』ではこの一点のみであるらしいですが、作品制作にも参加したようです。まさに初代が亡くなった翌年に描かれたものでありました。
他の作品群には『諸国名所百景』、『東都三十六景』、『東都名所』などの制作に参加したようです。
歌舞伎役者みたいな襲名の仕方ですね。
彼の作品がこちら。
広重二代 『諸国名所百景 伊予峯越鳧坂網』
広重感を醸し出しているのをなんとなくわかりますね。
何がと言われると難しいですが、藍色とその下の空の配色やそこへのモチーフの置き方が似ているような気もしますね。
そんなことないかもしれないけど!笑
今回の絵は広重が描いた訳ではなく、彼の門下で襲名までした弟子が描いたものだったのでした。
今日はここまで!
#歌川広重 #名所江戸百景 #赤坂桐畑雨中夕けい #二世広重 #赤坂御門