『むまさう』−ファストフード、、寿司や天ぷらはハードル高そうね、、。–『風俗三十二相』
今日はゴルフのコースを回って参りました!!!!
人生初のコースだったので、後ろの組からのプレッシャー(絶対かけてない笑)で緊張して焦って、練習どおりにも行かずに絶望して、プレーヤーは母親と回ったのですが差が大きくて、なんとも初めてのプレーヤーだなって感じだったのです。
しかし先生が毎回アドバイスをくれたりサポーターとして来てくださったゴルフ場の社員の方の明るさに助けられて、本当に楽しくできました。
ダラダラ汗をかくわけじゃないけど体力を消耗するし、充実感があるスポーツとして、大人が数人で競い合うには本当にちょうどいい運動だと思いました。
大人がハマる理由がわかるなあとつくづく。。
まだまだ課題が見つかったので練習に行きまくりたいと思います!!
楽しかったーー!
そんな楽しい余韻に浸っている今日も月岡芳年。
今回は『風俗三十二相』の第十七「むまさう 嘉永年間 女郎之風俗」です。
この女性は月が見える時間に美味しそうに天ぷらを食べています。
海老天かな?髪型もきっちりというわけではなくほつれていたり髷もざっと結った感じがしていますね。
副題にもあるとおりこの女性は女郎の、つまり遊女であるようです。
だから笄が豪華であるのです。髷や生え際が整っていないのはきっと仕事終わりか仕事の合間か?
夜の仕事が始まる前の月が見えている時間、夕方あたりにちょろっと寄っているのでしょう。
彼女がいる場所がきれいな月が見えるからなのか?、江戸湾沿いの品川宿の岡場所であると言われています。
岡場所は以前やりました、仲町という深川にある場所でした。
そこだけでなく江戸の要所には絵のように天ぷらのような食べ物を屋台が販売している光景はあったようです。
寺社や門前には通行人が多く、その人の多さを狙った簡易的ながらも販売設備があったのです。
今は屋台のようなものは例えば今川焼とかクレープとか焼き鳥のような販売車で回る出店しか思い浮かばないですが、当時は手軽に食事を楽しむことができる寿司、蕎麦、鰻の蒲焼などが絵の天ぷらのように屋台で出ていたようです。
こちらから引用しますと、
屋台は担ぎスタイルの担ぎ屋台と立ち売りがあったようです。
始まりは浅草の境内で茶屋で豆腐汁や煮染めなどを売り始めて「奈良茶飯」と呼ばれたことからでした。
そこから江戸に溢れる人々は間食として屋台を利用しました。
そこから段々とメニュー数も増えていき、寿司や蕎麦など増えていきました。
少しずれますが、このようにして屋台で流行った食べ物は多くは今では高級なものであったりしますよね。それは当時関西の方で流行ったものを江戸で洗練されたものとして出したことにより「江戸前料理」として出したことから始まっているようです。
売り方としては「振り売り」、「棒手振り」、「担ぎ屋台」、「屋台見世」でした。
今の祭りの出店のように串焼きにしたもの、調味料、魚介類、お餅や心太などを多く売っていました。
売るものは幕府からの許可を得ないと売ることができませんでした。
蕎麦は今でも電車の駅のホームでよく見かけることがありますね。
あれもきっと簡単に空腹を満たすことができるものとして江戸時代に出た屋台のスタイルを引き継いでいるのではないのでしょうか。
江戸の雰囲気が今でも残っている都心の方には高級な天ぷらやさん、お寿司やさんが多くありますね。
きっと当時の名残を引き継いだ明治時代の人々がそれを店として軒を構えて今にも残るような名店に発展させたのでしょう。
今回は女性美味しそうな表情から江戸のファストフード事情まで知ることができました。
今日はここまで!
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