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「舞坂 今切真景」−本当に真っ白に浮いて見えたかもしれない富士山−『東海道五十三次』
今日の大河にまさかの大竹しのぶさんが出てくるということでちょっと家の中が沸きました。
また、菊地凛子さんのブラックな女の役柄が前回から楽しみでなりませんでした。
展開が次々と変わるたびに新しい役者さんが出てくるのでそこもまた楽しみですね。
そんな大河に沸く今日も広重。今回は『東海道五十三次』の「舞坂 今切真景」です。
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◼️ファーストインプレッション
まさに真景といった印象を与えますね。
大きな山岳は色を持たないで角張った陰影を海まで根を張っていますね。
しかしその後ろに白光りしている富士山が見られますね。
冬の景色なのでしょうが、ここまで前の山岳との色のコントラストがはっきりしていると富士山を強調させるための描写だったのですね。
その下には大きな湖かな?浜名湖であろう湖が広がっており、船が何隻も揺蕩っています。意外と浅瀬なのか、水の中に立って船の中を探っている様子が見受けられます。
一体何をしているのか、気になる所ですね。
手前には大きな帆を立てている船かな?が座っていて、停泊しているのかもう一つの山を作っているようにも見えます。
なんなら湖をこうした高いものたちで囲っているようにさえ見える。
今回は舞坂の場所とこの浜名湖の場所、その他描かれた浮世絵や真景図の意味を再確認してみましょう。
◼️舞坂
浜名湖は昨日見た時に少し覗くことができたので昨日の浜松と近めなのでしょうか。
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浜名湖の南にある細い赤線で囲われたエリアが舞坂です。現代の表記は大阪と同じ、舞阪なのですね。
このエリアがまさにこの絵が描かれた場所だとすると、富士山が見えるはずなので今切口舞阪堤と描かれている場所あたりがまさに描かれた立ち位置となるかもしれません。
昨日見た浜松もかなり近いですね。
うなぎぱいとかはこの辺りですね。だから本舗があるのですね。
久々に食べたいなあ。
ところで、副題にある今切れとは何かと調べたところ、こんな意味合いがあるそう。
静岡県西部、浜名湖が外洋(遠州灘(えんしゅうなだ))に通じる決壊口。東海道の要衝で、新居宿(あらいしゅく)(湖西(こさい)市)と舞坂宿(まいさかしゅく)(浜松市西区)間に位置し、渡船で結んだ。渡船場は新居関所(今切関所)に隣接していた。1498年(明応7)の大地震、1510年(永正7)の地震、津波で浜名湖の堤は決壊し、大きく湖口が破られて、半鹹(はんかん)半水湖になり現在に及んだ。1600年(慶長5)新居関所が設置されると、今切渡航は、関所改めの一翼を担い、東海道通行の旅人の完全な検閲に貢献した。現在、浜名バイパスが通じ、今切は浜名大橋によって結ばれている。
今切というのは海に繋がっている状態のことなのですね。
確かに湖にしては海に隣接しすぎているし、ほとんど湾のような状態だなとは思いましたが2回の地震で決壊し、今の形に至ったということらしい。
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広重の『六十余州名所図会』「遠江浜名之湖 堀江館山寺 引佐之細江」です。
浜名湖は水辺が高い岩山のようなもので囲われているのですね。
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三代歌川豊国『双筆五十三次荒井』です。
こちらの作品群は東海道の宿場町を背景に、人々の動きを描きこむのが特徴的な作品です。
手前で一体何が繰り広げられているのか、理解に苦しみますね。
その背景に描かれる浜名湖の絵はきっと一つ上の『六十余州名所図会』と同じ構図であるのでほとんど同じ絵でしょう。
◼️真景図
副題の真景というと、南画のイメージ。広重がこうして副題に用いたということは広重自身も南画を目にして参考資料にしていた可能性が高いですね。
この真景というのがそもそもこうした意味。
実際のけしき。実景。
もう、そのままの意味ですね。笑
広重は写実を芯に画業に励んでいたことは以前もどこからか引用しましたが、北斎に対抗して私はそのままを写しとると意気込んでいました。
まさに今回の絵は広重の写実性が副題にも覚悟として表れているようですね。
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真景図と調べたらこうして出てくるのが南画など。
南画は正直不勉強で誰が主に描いてるということしか出てきません。。。
谷文晁、池大雅、渡辺崋山などの主要メンツ。
山や湖、雲をまるで垂らし込んでいるかのような技法で描きます。
以前お話しした先生で南画を主に扱っている先生にこうしたところが魅力だとかいろいろ教えていただきました。浮世絵にも非常に関係していて、なんせ風景を描いていますから。浮世絵師と南画の関係を勉強することで広がる疑問もたくさん生まれそうです。
浮世絵だけでなく、江戸時代の絵画は隈なく知っておきたいとずっと思っています。
そんな不勉強を実感したところで今日はここまで!
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