『梅屋敷』−寒い中おしゃれして名所へ−『明治風俗十二ヶ月』
いよいよ明日の美術検定が迫ってきました、、。なんといっても落ちそうでしかないですが、こんな感じなのねと感覚掴みにやってみたいと思います。
それまで覚えられるところまで覚えておきます、、。
とはいえ毎日の記事は欠かせないので今日もやりまっせ!
今日は鏑木清方の「明治風俗十二ヶ月」の二月からみていきます。
二月は「梅屋敷」という作品。(※著作権がアレなのであれ。)
一人の黒い着物を着た女性が立って手元の青い布を見つめています。頭の後ろに手を当てて的びがチラ見えしていますね。そこから見える青い裾が手元の布とマッチしていて自然な色合いですね。後ろの屋根の奥には梅が咲いていて春の予感を感じさせます。屋根の下にはヤカンがあるし手前にはお抹茶セットが長椅子の上にあるのでここは茶屋なのかな。
清方による解説にはこうあります。
「梅園を梅やしきと呼ひならはしたのか 郊外所々にあつた中に これは亀井戸の臥龍梅 赤い手絡をかけた若い人妻の手に もてるは お納戸縮緬の御高祖頭巾 黒地綾羅紗の吾妻こうと 漸く世に行はれ始めた 頃てある 清方記」
亀戸の臥龍梅というのは名所であり、歌川広重の「名所江戸百景 亀戸梅屋敷」という作品に描かれている場所であるようです。
これは何度かみたことある作品!これが梅屋敷だったのですね!
女性が持つ青い布はただの布ではなく、お納戸色の頭巾であるらしい。
これを被っていたから髪のほつれを気にして頭の後ろに手を当てていたのです。
絵の細部をよく見るとこめかみの部分に髪の毛が垂れているのがよくわかり、そこまでしっかり描写しているのがわかります。
女性の髪型は丸髷、櫛は片輪車の蒔絵であるようです。
これが片輪車の蒔絵。この片輪車の柄が櫛に施されていたのですね。
また、女性の着る黒い着物は吾妻コートと言ってラシャ製の物です。これは東京の白木屋が考案したもので明治20年代後半に流行したようです。
こんなようなもの。いいものだったのでしょう。
頭巾の役割がよくわからなかったので調べてみます。今だと防災訓練の時にしか使わないですもんね。
ブリタニカ国際大百科事典の記載です。↓
江戸時代中期 (18世紀初) から明治,大正にかけて,主として若い女性に用いられた防寒用の頭巾。一説に,おくそ (カラムシの茎) で作った頭巾に形が似ていることから転訛した名称とされる。また,形がきものの袖に似ているところから袖頭巾,ときには大明 (だいみん) 頭巾と呼ぶこともある。頭からかぶって開いた口から顔をのぞかせ,左右を広げて耳のうしろに掛けたのち,襟や肩をおおうようにした。覆面のように目だけを出すこともあり,黒か紫の縮緬 (ちりめん) が多く使われた。
精選版日本国語大辞典の記載です。↓
〘名〙 (御高祖(日蓮上人のこと)の像の頭巾に似ているところから) 目の部分だけ残して、頭や他の部分を全部包む防寒ずきん。宝暦(一七五一‐六四)頃、歌舞伎の女形中村富十郎が着用してから若い女の間で流行した。おこそ。おこそう頭巾。おこそう。袖頭巾。大明(だいみん)頭巾。《季・冬》
事典によって御高祖の由来が違うのが面白い。
ただ防寒用であることには変わりないですね。
二月とはいえ今とは暦は違うのかな?旧暦を使用していたのが明治5年までだったから今と同じ太陽暦であるはずなので今と変わらない二月、、。確かにこれくらい寒いかもなあ、。
場所は梅が綺麗な亀戸の名所であり特に茶屋であるというわけではなさそうですね。流行の格好で行くことで季節の楽しみを満喫する当時の人々に、おしゃれして流行のスポットに行く現代人が重なりますね。
一月一日になってしまうのは仕方のないことですね。面白いので!
今日はここまで!