『おもしろさう』−桟敷は特等席、推しをよく見れるから。−『風俗三十二相』
今日はというか昨日の夜髪の毛を乾かさずに寝落ちしてしまっていました、、。
ショック、、。
ここ2年くらい髪の毛のケアはしっかりしてきて絶対に髪の毛は乾かすようにしていたのにそれを破ってしまったことがショック。
だからちょっと生臭いもん、、。
ていうかnoteの行替えが1行分開くのなくなったのですね。
しっかりブロック作れるから見やすくなった気がする!
よかった!ああ、生臭えええ、、。
そんな髪の毛が生臭い日も月岡芳年。
今回は『風俗三十二相』の「おもしらさう 文政年間 奥女中の風俗」です。
女性が面白そうにしているものは歌舞伎であるようです。
私は一度小学生のときに歌舞伎を見に行きましたが、当時はもちろん内容もよくわかっていなかったので面白かった印象はありませんでしたが、今となってはちゃんと鑑賞したいと思い続けています。
歌舞伎を鑑賞しているものの、二階席からのようです。
今のライブ席のようにアリーナ石が一番いいとされているのとは違い、二階席の広々としたところから鑑賞するのが最上だったようです。
座っているところは桟敷という席。
イメージ湧かないですねえ。
演者に近い方がいい気がするんだけど、、。
歌舞伎座の座席表がありました。桟敷は一階席にもありました。
現代との価値は少し違うのかな?
勝手に引用させてもらうと、桟敷にも上下あって
とあります。
今のようにアリーナ席が一番狙い所というわけではなく、桟敷が特等席であるようですね。
でも確かに上下でも桟敷の方が平土間の枡席よりも広く取れてゆったり鑑賞できそうではありますね。
当時の鑑賞タイムでは酒や食事も振る舞われたようです。
めちゃくちゃ快適な鑑賞ですね。
今は時代的にナシではあっても本来はどうだったのでしょう。
やはり桟敷席でのお食事は時代的にナシになっています。それでも食事はお食事処でいただくのが一般的なようですね。
それにしても現在の歌舞伎はおじさまおばさまが嗜むものとしていい値段で設定されているイメージです。
当時の歌舞伎の位置付けは如何なのでしょうか。
当時の庶民たちの一番人気の娯楽として歌舞伎はあったようです。
今のように〇〇座に赴いてちょっとハードル高めの嗜みというわけではなかったようで、老若男女問わず楽しんだ娯楽であったようです。
絵の文政年間は幕府の許可を得て興行を行う座があり、それらが芝居小屋を設けて屋根のある常設の芝居小屋に人々は集ったようです。
その座の中でも当時流行ったのが江戸三座と呼ばれる堺町の中村座、葺屋町の市村座、木挽町の森田座です。
この三つは確か高校日本史でやったな。
元々四座で、山村座というものがあったようですね。
三座になるまでと三座になった後もいろいろ歴史があったようですね。
元々江戸初期には多くの座があって、それが明暦の大火で四座に整理された。その後の絵島生島事件というものを契機に山村座が廃絶、そして絵の時代の文政のときに三座にまとめられたようです。
この中から推しの演者を見つけてその公演を楽しみに日々を過ごしていたのでしょう。
今のコンサートみたいなものだと解釈できます。
今日はここまで!
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