見出し画像

先に乗って後に出る

もう2025年の1カ月が過ぎましたか…という気持ちになる。相変わらず職場と家の往復の日々だけど、現時点ではそこまで悪い気はしてなくて、あと1年ぐらいは飽きずにやっていけそうな感じがしてます。
労働を取り巻く環境においては、この月に大体こういうことが起きて、あるとしたらAかBの二択を迫られるだろう…みたいな見通しがつくので、ここ2年ぐらい自分の人生はなんだかゲームをやってるみたいなんですよね。
ペルソナとか、カレンダーシステムがあるタイプのゲームが一番近いイメージ。
でも自分から行動しないと偶発的な面白いこととかは一切発生しないので、寒い日に部屋でくねくねしててもしょうがないなって感じです。


話は変わりまして、エレベーターって先に乗った人が後から来た人のドアの開け閉めまで担当しがちなシステムだと思うんですけど、結構イカれてるなと思います。数日前にTLで見かけて確かに~って感じた事象の1つです。
開閉ボタンを素通りして自ら奥に配置されにいけば解決でいいんですけど、自分1人のみで乗り込んだ場合、閉めるボタンはまあ押しますよね。

その後に別の階で乗り込んできた人に対しては、もう自分がエレベーターのボタン担当になるしかないじゃないですか。全然どうでもいいですけど、エレベーターガールってこの多様性の時代になんて表現するのが適切なんでしょうか?マンでも、ガールでもないって…何?


まあエレベーターの話はいいんですよ、前座に過ぎないですから、最近ムカつくのは電車です。僕はドアの右側か左側に寄りかかることが多くて、その間のスペースに体を入れてくる人に対してヘイトが溜まりがちです。
勝手なイメージですけど、電車のドア部分って右サイドに1人、左サイドに1人が妥当な収容人数じゃないですか?
お互い真ん中は空けるから最低限のパーソナルスペースが確保できてると思うんですけど、この暗黙の国に入り込んできて、吊革も遠慮なく持ち始める方々が近くに来ると、フィジカルの使い方エグ~ってなってしまいます。

満員電車なら何も思わないんですけど、座席だけはちょうど埋まってるぐらいの、比較的電車が空いてる時にこの現象起きがちなんですよね、他にもフリーなドア付近のスペースあるのになぜここだけ…といった、パーソナルスペースを浸食される不平等感みたいなものが気にくわないんだと思います。

スマホ見るの辞めて、反対側のドアに映る自分の死んだ顔とか見つめてしまいますからね。距離が近いのが嫌すぎて。
座ってる時はそこまで気にならないけど、立ってる時のセンサーが過敏な傾向があるのかもしれません、自分。
この前提条件なら大体こんな感じで行動するだろう…の枠を超えてくる人間を許容できるキャパがないのかも、視野が広いようで全然狭いですね。


だからエレベーターの話に戻すと、先にエレベーターに乗ってた1人の人間がボタン素通りで奥に構えていた場合、後から乗った2人目の人間である自分がボタンを閉めるワケですけど、いやお前(1人目)がやらねえのかよ…って気持ちになるのか?という話です。
これに関してはあんまりならないかもしれないです。自分も奥に構えてスマホ見ちゃおうかな?とかは思いますけど、まあまあ…怒りに繋がるイメージは湧かないですね。なんなんでしょう。

あくまで自分の中では順番が大切なのかもしれないです。なんとなくだけど、先に乗っている=偉い、権利がある、みたいな感覚がありそうです。
同じ階でエレベーターに乗る人に優劣はないけど、上の階や下の階に対しては無意識に区別してるかも。
だから電車でも先に乗ってる人が不快になるぐらい近くにスペースを確保できる人間が近くに来るとびっくりしちゃうし、こういうメンタリティがあれば図太く生きられるのかもしれないとも思う。行動を真似することはありませんが、生き方のヒントではあるのかも。こんなの気にしてる方が時間の無駄だから

いいなと思ったら応援しよう!