1日に使える精神力の上限は決まっているので、袋麵は作らないほうがいい
よくある話だけど、人間には体力の他にMP的な精神力の概念があると思ってまして、労働、家事、ゲーム…1日に使える集中力に上限があるのに無駄に時間を費やしてしまいがち
1人暮らしを始めて2カ月経過したけど、想像以上に洗い物が面倒くさい
今日は余っている袋麵を消化しようと思ったけど、めちゃくちゃ面倒くさい
具材買う手間とか料理する手間を考えるとカップ麺でいいな…となりますし、最初は自炊すんぞ~と気合を入れたものの、洗い物や準備の手間を考えたらコンビニや外食でいいな…と誰もが通る道を順調に歩んでいます。
あと労働に関してですが、8時間も働く必要がないと思っています
8時間働くことはできるが、8時間フルで集中できた試しがない。
であればギリ集中が維持できるぐらいの労働時間にして、残りの時間を別のことに充てたほうが生産的。
労働時間減らして何かしたいことあるの?と問われたら今はゲームぐらいなんですけども…
ダラダラすることにより罪悪感を感じる人も多いと思うけど、後ろめたい気持ちになる必要はない
ダラダラすることは魂の放電みたいなもので、この時間がないと次の一歩を踏み出すことができない。もしくは途中で充電が切れてしまう。
袋麵を作って精神力を消費してしまうぐらいなら最初から作らなければ良かったと後悔しています。美味しいけどカップ麵と差を感じないし、洗い物がだるすぎて余力が残りません。
一定のペースで毎日物事に取り組んでいる人間が最強なので、自分の精神力を残すためにお金をかけるの、いいな…と再認識。食洗機買えよって話ですね
今日は袋麵を作ったのでもはや何のやる気も起きませんが、無職なので偉そうなことだけは言える。8時間以上働いている人はすごいです