【短編小説】木曜のビヨンド ver.3
ある秋、定春にカノジョが出来た。聞いたのは昼下がりの噴水横。狭いキャンパスの中央、ささやかな噴水広場がある。春先と秋の僕らはよくそこで落ち合っていた。件のカノジョは元々、仲の良かった同じ学科の友人らしい。僕もカノジョのことは知っていたし、定春のこだわりに興味を示す稀有な女性と思っていた。あの童貞論を面白いだなんて、屈強な女子だ。小田和正でも歌いたい気分だな。
「サダくん」
おうおう。よかったな。
これからはカノジョとの時間を大事にしろよ。大事にしないと捨てられるぞ。僕みたいにはなるなよ。以前、交際相手を放置しすぎて別れた奴からの助言だ。知ってるろ、おまえだって。あの時の自暴自棄具合くらい。
「俺のこと、好きなんだって」
そりゃそうだろ。おまえだってそうだろ。そうじゃなきゃダメだからな。こういうのは、順序が大事なんだ。付き合ってるから好き、なんてふざけたことほざいたりすんなよ。好きだから付き合うんだ、それだけ忘れるな。
「サダくん」
ん? どうしたよ。遠慮することないだろ。
「カノジョ、いい子だ」
それきり、定春は何も言わない。僕にはこういう若者の機微なんて分からない。知りたくもない。おまえは、次の日曜には二人でお出かけするんだ。おまえらの大好きな古書店巡りをして、オレの選んだストールをカノジョに褒められるんだ。ほどほどに着飾れよ。じゃなきゃ女の子に失礼だ。向こうだっておろしたてのブラウスでも着るだろう。鞄くらい新調しないとな。
「だめだよ」
わあってる。細かい男は嫌われるぞ。
定春が僕を見下ろす。
日差しがあつい。もう秋だぞ。
(僕は心配だった。定春がちゃんとセックスできるか心配だった。オナニーのオの字も知らない男だ。いい子とセックスなんてできると思わない。想像が、できない。そもそも、性欲なんてあるのか? 定春、僕はおまえの父にも母にもなれると、確かに思うよ。)
大学生にもなって、僕も定春も。
ひどいや。
定春は周囲が僕らをどう見ているかを知っていた。知ったうえでそのままを続けてくれた。カノジョにも気を遣わせてしまったと思う。不安にさせたとも。だが、誓って誤解されるような仲ではない。定春と僕は、同志だ。とても仲の良い新選組だ。星のよすがを求める若輩同士。間違っても乳繰り合ったりしない。あの二人は似合いの童貞と処女だ。僕はなにものでもない。定春のまなざしが僕を刺す。熱くあつい。逆立ちしたって、ああはなれないんだ。本物はやっぱ違うわ。
おめでとう。
「俺は何も変わらない」
しってるよ、とっくに。
「あの子は」
そうだな。カノジョが成りたいのは、そうだ。あぁ、そうかもしれない。普通は逆だろ。こっちだろ。こっちがあの子に嫉妬するんだろ。でも、違うんだろ? なぁ、定春。おまえ、僕をオレにしないでくれ。
「大学生にもなって、オレ、は駄目なんだよ」
タコになっちまうくらい聞いたよ、それ。だから、僕のままでいさせてくれって頼んでる。あの子を大事にしろ。ちょっとくらい変われ。
「どうして」
変わんないことも大事だ。けど、一緒にいるっていうのはそれだけじゃ駄目なんだ。変われないってことが分かるまで、変わろうとしたり……がむしゃらにひたむきに、穏やかに歩く。止まってもいいけど、歩けなくなったら全部がオジャンだ。
僕は子供みたく困ってみせた定春を見上げる。
「憧れるって言ってた。サダくんのこと」
カノジョは乙女だ。身も心も処女だから
「君だって」
黙れ! オレは男も女も嫌いだ。黙れ、黙れ、黙れ定春。定春、定春。定春……オレは、定春――
おまえの幸せが僕の希望だって、なんで分からない。嘘っぱちの夢くらい、見るくらい、いいじゃないか。
僕を愛せないおまえを愛している。