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「ライトノベル」ならぬ、「ライトマンガ」の可能性
スマホ時代の新しいマンガフォーマットとして、
「ライトノベル」ならぬ「ライトマンガ」というジャンルが
あり得るのではないかと、最近考えるようになりました。
大きく分けて以下の3つの理由からです。
1、読みやすさの問題
2、表現に関わる問題
3、経済的な問題
まずは1つ目の「読みやすさ」の部分から考えてみたいと思います。
スマホ漫画は、徐々にですがページスタイルから、
縦スクロールスタイルへと進化しつつあります。
なぜなのか??
一言で言えば、臨場感があるからです。
小さなコマで見るより、大きく表示したコマで読んだ方が
臨場感が高まります。
リアル(臨場感がある)であれば、迫力がありますし、笑えますし、泣けもします。
紙ベースのページの制約に縛られたマンガをスマホで見ると、
かなり小さいコマ表示になってしまい、
それだけでマンガの付加価値を落してしまいます。
ライトノベルは、一般的な小説に比べると、文字の量が少なく
物語世界も複雑なものではないため、気軽に読み流すことができます。
文字がギッシリと埋まった小説よりも、空白だらけのライトノベルの方が、
寝る前のちょっとした時間や、通学時間の空き時間には読みやすいのです。
マンガでも、もっと気軽にスマホで読める
新しいフォーマットがあるのではないか…??
個人的には、ライトノベルよりも
作りこまれた小説の方が圧倒的に好きですし、
手軽なマンガよりも、作りこまれたマンガの方が好きなのですが、
可処分時間が少なくなってきている今の時代においては、
2~3分でサクッと読める・・・
というニーズに応える作品も必要です。
年末に向けて作り込んだマンガも制作しておりますので、
作品の世界観にあった表現手法が、
それぞれ必要ではないかな...と思います。
2つ目の「表現に関わる問題」です。
ここは1番目と少し重複してくる部分もあるのですが、
「絵」と「言葉」で構成されるマンガ世界を、
どのように捉えて再構築するか?
という内容になってくるのですが、
かなり抽象的な命題です。
マンガにおける「絵」と「文字」は、
それぞれどのような役割を持っているのか?
いくらでも掘り下げられる問題ですので、
いろいろな可能性が考えられます。
この例えが、一番分かりやすいと思うのですが、
岩井俊二監督の「市川崑物語」では、映像の合間に
非常に多くの字幕を入れて、ストーリーを語っています。
「言葉」というのは、「絵」とは全く逆の意味で、非常に強いインパクトを与えます。
小説のような映画という意味で、
岩井監督は「novie」というジャンルが成立するのでは??という話をしていた事があるのですが、
マンガでも同じようなスタイルが模索できると思うのです。
3つ目が、経済的な問題です。
あまり書きたくはない部分なのですが、重要かつ切実な問題でもありますので、書いてしまおうと思います。
作品を作るには、予算(お金)が掛かります。
予算をどのように確保し、売り上げを稼ぎ収支を調整し、マンガを作るのか。
非常に大きな問題です。
ここが上手く回れば、ヒット作が生まれる可能性が出てきますが、
上手く回らなければ、どんなに才能があっても物語を作り続けることはできません。
廃業するしかないでしょう…。
紙からスマホに媒体が移行する中で、モノクロからカラーマンガへの移行も必然的に進んでしまいます。
モノクロマンガでのコストに加えて、カラー化のコストが掛かることを考えると、従来のマンガフォーマットでは、高コストになり過ぎて週刊での連載を行うことが難しくなってきます。
加えてマンガの無料化の波がどんどんと押し寄せておりますので、
コストをどのように吸収するかは大きなテーマになってきます。
そこで考えたのが、
「ライトノベル」ならぬ「ライトマンガ」です。
という事で、このようなフォーマットであれば、
「ライトマンガ」が成立するのではないか??
という作品を作ってみました。
「ライトマンガ」が広がるのかどうか分かりませんが、
上記の3つのポイントを踏まえると、
このフォーマットは、今後、成立し得るのではないかと思うのです。
「最恐彼女ヒカル」プロローグ
大坪 拝